特別展 天平の華 東大寺と国分寺

2013年度明治大学博物館特別展
天平の華 東大寺と国分寺
(1)実施形態
主 催 明治大学博物館
共 催 明治大学日本古代学研究所
会 期 2013年10月19日(土)~ 12月12日(木) 55日間(会期中無休)
会 場 明治大学博物館特別展示室
入場料 ¥300
入場者数 5,144名

(2)趣旨
 明治大学博物館は、2010 年に故前場幸治氏から約1万点にのぼる瓦をご寄贈いただいた。その内容は国内外の各地・各時代に及び、国内の瓦コレクションとしては屈指の規模として知られている。当館は、墨書土器や文字瓦の研究において先進的な実績を上げている明治大学日本古代学研究所の協力のもと、3年間にわたりコレクションの全容を明らかにするための整理作業を実施してきた。その成果をふまえた今回の展示では、コレクションの中核のひとつをなす国分寺の瓦に焦点を当てている。
 東アジア世界では、漢字・儒教・律令制・仏教が大きな位置を占め、文明化の指針となったとも言われる。倭王権はその一員となるべく、6世紀から7世紀という時期にこれらを受け入れ、8世紀に至って律令国家を実現させた。それを示すのが前方後円墳の築造の停止、寺・宮都・地方官衙の造営である。なかでも、寺や宮殿・官衙の屋根を覆った瓦は、文明化を象徴する建築資材であった。8世紀には日本各地にさまざまな瓦葺きの建物が造営されるが、大きな契機となったのは8世紀半ばの東大寺と国分寺の造営と、それを取り巻く社会情勢であった。
 東大寺と国分寺は、聖武天皇と光明皇后が仏教による国家の護持や人びとの救済を願って建立した。その造営にかかわる高度な技術と生産体制は、宮都のみならず各地の文明化の進展に大きく寄与した。東大寺と国分寺の造営は、宮都と各地を結んで天平文化を体現したと言え、それは「天平の華」と呼ぶにふさわしい事業であった。
 今回の展示では各地の機関から貴重な資料を借用し、造営という観点から「天平の華」とも言える東大寺と国分寺の姿に迫った。

(3)展示構成
I 東大寺と国分寺
 約60 か所にも及ぶ国分寺(国分僧寺・国分尼寺の総称)は、疫病と飢饉が神仏への祈りによって収まったことから、聖武天皇と光明皇后が中心となり国家の安寧を願って列島各地で建設が進められた寺である。741年(天平13)に建立が命じられ、釈迦仏を本尊とした。一方、東大寺は私財を投じて仏に尽くす人々に感銘を受けた聖武天皇が、春日山麓に存在した皇太子を偲ぶ寺を発展させ、742 年に大和国金光明寺(国分僧寺)としたのが始まりである。国分寺のひとつでありながら、本尊は、仏の世界の中心に位置する盧舎那仏(千の釈迦仏となることが可能)であり、東大寺と国分寺の関係は律令国家の統治のあり方(天皇-国司)を反映するものでもあった。東大寺の象徴ともいえる巨大な大仏の造立が始まったのは、その3 年後である。

II 護国の祈り・金光明経と七重塔
 国分寺建立の命令では、僧寺と尼寺に安置する金光明経・最勝王経と妙法蓮華経(法華経)の写経が命じられ、経典名が僧寺と尼寺の正式名称となった。金光明経に説かれる四天王(仏法の守護神 東:持国天、南:増長天、西:広目天、北:多聞天)による護国と、法華経による滅罪(人の救済)が重視されたのである。僧寺にのみ建立された七重塔には、紫色の紙に金泥で書かれた特別な金光明経(紫紙金字金光明最勝王経)が安置され、751 年(天平勝宝3)ごろ各国に下された。建立の命令では「造塔は兼ねて国華」と述べられている。七重塔は、変革期における国家の威信を示す一大モニュメントであった。

III 国分寺の造営
 国分寺の建設は思うように進まず、たびたび督促が命じられたが、766 年(天平神護2)頃に建設がひと段落する。武蔵国分寺の漆紙文書、但馬国分寺・安芸国分寺の木簡は、各地の国分寺が整備された年代と具体的な活動の様子を示す貴重な資料である。国分寺の瓦には、中央政府の直接的な技術指導を示す平城宮の瓦と同じ文様の例や、下野国のように国分寺造営に伴って生産地や技術が集約され、その過程で中央の瓦製作の技術が伝わることがわかる例がある。また、国分寺の具体的な構造や施設は、発掘調査や墨書土器等から次第に明らかになりつつある。また、大仏や国分寺の建設や運営には多額の費用がかかり、郡・郷単位で負担していた。瓦の郡・郷名は生産負担を示しており、木簡からは「米」等の具体的な品名と数量を知ることができる。

IV 国分寺創建と地域社会
 国分寺の創建は、各地の社会に大きな影響を及ぼした。越前国坂井郡高串村の東大寺荘園絵図からは、東大寺の経済基盤として地方の荘園が重要な役割を担っていたことが窺える。また、千葉県西根遺跡・大塚前遺跡の墨書土器と瓦からは、地域の実力者である郡司が、国分寺建設をきっかけに見返りとして得た権利を使って大規模な土地開発を進めたことがわかる。また、茨城県南部では、国分寺の瓦が山寺や周辺各郡の寺でもみられることから、国分寺を核として修行場の整備や瓦の製作技術を伝えるネットワークが形成されており、地域における仏教の広がりを支えていたと考えられる。

V 天平の華 その光と影
 東大寺と国分寺の創建は律令国家が出現し、その機能が整う過程で行われた。その目的は、国を守り人びとを救うという理念の他に、国家のシンボルとなるモニュメントの建設にあり、多大なエネルギーを注いで造られた美しい堂塔が立ち並ぶさまは、まさに「華」であった。一方で、10 世紀初頭に醍醐天皇へ提出された上申書には、「多大な歳出によって多くの大寺が造営された。建物は高く、仏は大きく、その技術は優れ、(中略)鬼神が造ったようで、人が造ったとは思われない」という浪費への批判があり、さらに8世紀半ばの橘奈良麻呂の謀反の理由には、東大寺造営による人びとの辛苦が挙げられている。華々しい造営の影には、多くの人びとの負担と苦難があったのである。

(4)展示資料数
(1)資料数 160 点(内借用資料108 点、館蔵資料52 点)
(2)出展協力機関(28 か所)
石岡市教育委員会、市原市教育委員会、市原市埋蔵文化財調査センター、稲城市教育委員会、稲城市郷土資料室、かすみがうら市郷土資料館、上総国分尼寺展示館、公益財団法人千葉県教育振興財団大多喜作業所、公益財団法人とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター、国分寺市教育委員会、国立歴史民俗博物館、島根県立古代出雲歴史博物館、市立市川考古博物館、但馬国府・国分寺館、宗教法人東大寺、千葉県教育委員会、千葉県立房総のむら、チームユメット、東大寺ミュージアム、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所、栃木県教育委員会、栃木県立しもつけ風土記の丘資料館、奈良県立橿原考古学研究所、奈良国立博物館、東広島市教育委員会、東広島市出土文化財管理センター、府中市郷土の森博物館、武蔵国分寺、武蔵国分寺跡資料館

(5)特別展関連イベント
(1)開幕記念講演 「東大寺と国分寺」
講 師 栄原永遠男氏(東大寺総合文化センター・東大寺史研究所所長) 
日 時 2013年10月18日(金) 15:00~16:30 
会 場 グローバルフロント1階 グローバルホール
参加者 120 名

(2)公開シンポジウム「東アジアからみた東大寺と国分寺」
「時代背景」 吉村武彦氏(明治大学・明治大学日本古代学研究所所長)
「東大寺」  吉川真司氏(京都大学)
「唐」    向井佑介氏(京都府立大学)
「新羅」   清水昭博氏(帝塚山大学)
「国分寺」  山路直充氏(博物館研究調査員・市立市川考古博物館)
日 時 2013年11 月4日(月祝) 11:00 ~ 16:00
会 場 グローバルフロント1階 グローバルホール
参加者 202 名

(3)ギャラリートーク
解 説 森本尚子(博物館研究調査員)
開催日時 会期中の隔週金曜日13:00 ~ 13:30 2013年10 月25 日、11 月8日、11 月22 日、12 月6日
会 場 博物館特別展示室
参加者 延べ124 名

(5)特別展映像デジタルコンテンツの作成
2013 年度特別展「天平の華 東大寺と国分寺」の映像デジタルコンテンツ(約10 分)を制作。2014 年度に博物館ホームページにおいてストリーミング公開。制作・著作:ユビキタス教育推進事務室・明治大学 制作協力:アイフォスター