テーマ1 |
『人類の進化とホモ・サピエンス(現代人)の拡散』『最終氷期の気候変動』 |
私たちの直近の祖先は,現代型新人と呼ばれる化石人類であるが,彼らに至るヒトの進化はどのような道筋をたどったのだろうか。そして,最古の日本列島人類文化の背景となる,最後の氷河期である約6万年前から約1万5千年前には,どのような動植物が生息していたのだろうか。 |
テーマ2 |
『現代人的行動の出現』 |
芸術作品やシンボルの創造,他人と連携し物資を交換し合う社会的なネットワーク,異なる環境にまたがって新天地を開拓する文化的適応力といった,私たちがもつ基礎的な能力や社会性は,約15万年前前後のアフリカに起源をもつとされる現代型新人がはじめて身につけた特性とされる。そして彼らは,旧世界各地の新天地をひらいていく。日本列島人類文化の起源について,いくつかの仮説を紹介する。 |
テーマ3 |
『黒耀石考古学とは?』 『黒耀石の原産地推定とは?』 |
黒耀石は,標高1500m前後の山岳部や太平洋上の島に原産地がある。これらを最初に発見したのは何者で,いつ,どのようにして見つけることができたのだろうか。 |
テーマ4 |
『黒耀石利用のはじまりと日本列島人類文化のパイオニア期』 |
いま,中部日本で最古とされる石器文化は,約3万5千年前の平野部に集中している。そのときはじめて,山岳部や外洋にある黒耀石が利用される。「黒耀石利用のパイオニア期」である。前後する二つの時期に分かれる「黒耀石利用のパイオニア期」を仔細に観察すると,もっぱら身近にある石材を石器作りに使い,少しの黒耀石を利用する時代から,もっぱら黒耀石を使う地域とそうではない地域といった地域格差が生じたり,黒耀石の流通範囲が広がったり,黒耀石を分配する仕組みが整ったりする時代へと急激に変化することがわかる。 約3万5千年前の当時,黒耀石原産地は,それまでに探索されたことのない全くの新天地である。とすれば,原産地の探索はそれ自体が目的ではなかったのかもしれない。彼らは,自分たちの食糧や利用できる石材など,生存にかかわるすべての資源や身の回りの環境を探索していたのではないか。山岳部と外洋部にある原産地の発見と黒耀石の利用は,その副産物だったのではないか。そして,黒耀石が石器原料に有用と見なされるやいなや,原産地で獲得し居住地で消費するという体制が整う。 となると,居住に適していた関東平野と,寒冷な山岳部や太平洋の海上との間に広がる資源や環境を探索していた「黒耀石利用のパイオニア期」を担ったのは,日本列島という新天地へ移民として海をわたった現代型新人であった可能性が高い。彼らこそ,日本列島人類文化を切りひらいたパイオニアでもあったのだろう。 |
テーマ5 |
『賑わう黒耀石原産地とオブシディアン・ロードの終端』 『黒耀石から探る氷河時代の生活』 『日本最大の黒耀石原産地と遺跡群』 『津軽海峡と朝鮮海峡・対馬海峡をわたる』 |
今から約3万5千年前にひらかれた黒耀石原産地は,その後も引き続き利用され,一大遺跡密集地となる。しかし,日本列島全体でみれば,移民してきたパイオニアによって氷河時代にひらかれた山岳部の石材産地は黒耀石だけではない。そして,最大100m以下に海面が低下していた氷河時代であっても,海のままであった朝鮮海峡や津軽海峡をわたったヒトや文化の痕跡が,数多く知られている。日本列島に移民した現代型新人は,その後約2万年つづいた氷河時代にわたって,きわめて活動的に全土を動き回ることになる。 |
テーマ6 |
『山の黒耀石の民』 『海の黒耀石の民』 |
今から約1万5千年前になると,現在の間氷期につながる気候の温暖化がはじまり,後氷期と呼ばれる。そして,時代は縄文時代をむかえる。その2万年前,はじめて日本列島の山をひらき海をわたった頃にくらべると,山や海をめぐる縄文人の営みは大きく発展する。洞穴の利用,海産物の集約的な利用,海上にある黒耀石の大掛かりな陸揚げ,そして黒耀石の地下採掘である。 |