博物館所蔵資料紹介

博物館所蔵資料紹介

明治大学博物館では、45万点を超える資料を収蔵しており、常設展や館蔵品展で公開するほか、写真掲載利用や館外貸出といった利活用を行っています。
展示スペースに限りがあることから、ここでご紹介する資料が常に展示されているわけではありませんが、教科書や副教材で目にした記憶がある資料やメディアに掲載された資料をご覧いただき、当館に足をお運びいただくきっかけとなれば幸いです。
博物館所蔵資料紹介動画
京都府深草遺跡出土石庖丁



 弥生時代は水田で稲作を始めた時代であり、その様子を如実に物語るのが、コメの収穫具でもある石庖丁です。穴の部分に紐を通して結び、指を掛けて下部の刃の部分で稲穂を摘み取る道具であり、稲作とともに大陸からもたらされた新たな道具です。深草遺跡の資料は、全体の形状や穴の数などが典型的であり石庖丁の好例としてよく取り上げられています。
青森県亀ヶ岡遺跡出土遮光器土偶



 土偶の代表格ともいえる遮光器土偶のなかでも、当館の土偶は足の一部以外ほぼ完全な形を残している優品として著名です。戦前には、国の重要美術品にも認定されていました。頭頂部はまるで冠のように立体的に造形されており、赤い彩色が一部に残ることから髪飾りを表現しているものとみられます。
福岡県板付遺跡出土壺形土器



 北部九州に稲作が伝わり、さらに東へと広がるときに使われた土器が弥生土器です。表面に縄目がなく、壷が多いのが特徴ですが、その中でも代表的なものが北部九州に多く見られる「遠賀川式土器」であり、この板付遺跡から出土した板付Ⅰ式土器の壷はその特徴をよく示す例として教科書や副読本に多数紹介されています。
今川仮名目録



 戦国大名による実質的に最初の分国法ということから歴史書に掲載されるケースが多くあります。今川氏親が制定した「仮名目録」(大永6年・1526)と子義元による「仮名目録追加」(天文22年・1553)からなり、家臣団統率のため私闘を厳禁した喧嘩両成敗法の条項が知られます。館蔵のものは制定後間もない1560~70年代の古写本と推定されています。
公事方御定書(原本 寛保2年・1742)



 下巻の「御定書百箇条」と呼ばれる刑法典です。八代将軍徳川吉宗による司法改革の一環として編さんされ、庶民に対する刑罰を体系化しています。これにより、罪の軽重と刑罰との整合が図られることになりました。幕府評定所(寺社奉行・町奉行・勘定奉行の合議体制)において地方行政官からの伺いに対する返答基準として用いられました。
口上之覚(生類憐みの令)貞享4年(1687)



 5代将軍綱吉による生類憐みの令は体系的に条文化された法令ではなく、触れ・達しや判例の総体がそう呼ばれているものです。そのため研究は後世編纂された法令集などに拠っており、リアルタイムに作成された史料の伝来が少ないため、譜代大名内藤家文書に残るこの書面は希少な存在です。歴史番組で生類憐みの令を取り上げる時には必ず利用される画像です。