生田に吹く風は
~原口善信へささぐ~
福岡 英朗(法学部事務長)
家族の手術立ち会いのために病院へ着くと「前の人の手術が長引き、12時開始の予定が14時となりました」と看護師さんから告げられる。承知しました、と伝え、時間を潰してきますが近くに居ますので万が一早まったらお電話お願いしますね、すぐに戻ります、と携帯電話の番号を伝え、ナースステーションを出る。
病院の傍には裁判所があり、傍聴できる裁判があるか確認してみると、そもそも地方都市では訴訟が少ないのか、時間的に合う裁判は無かった。近くに占い館のようなビルがあり、対面占いの経験は無いし行ってみようかな、とも思ったが「水晶占いで」と書かれてあり、水晶占いに詳しいわけではないので申し訳ないのだが、子供の頃観たアニメ等の影響だろうか、なんとなく萎えてしまった。12時開店と書いてある中古レコード屋さんは、とっくに過ぎているのに開いていない。
さて14時までどうしよう、と思っていると、裁判所前の城跡に、大きな図書館が建っている。緑も多く、とても気持ちよさそうな立地だ。さすが県庁所在地の城跡、緑は多いだけでなく太い!きっと江戸時代から生き続けている樹木なのだろう。
ミンミンと蝉が鳴きじゃくる中、お堀に架かる橋を歩き、図書館へ向かうと、堀を越えた辺りで、緑の間から、スーっと気持ち良い風が吹いて来た。
そこで、もう30年近く前の生田キャンパスを思い出した。夏は、何故か、昔のことをよく思い出す、と思う。
その方は、僕よりもかなり年上で、仕事をしたがらないことで有名な職員だった。僕の担当は、施設関係だったので、老朽化した建物を見に行く等の業務で、その先輩に一緒に来てもらわないといけない用事があった。私との同行へ、なんとなく面倒臭そうに歩いていたその先輩は、理工学部3号館の前で急に立ち止まり「ここ、いい風が吹くんだよね」と言った。
生田キャンパスの建物の大半は、南か北へ向いて建てられていて、東西に長い構造となっている。なので、その背の高い3号館側面でも、西から東へ、先輩の言うとおり、気持ちの良い風が吹いていた。
が、若い僕にはいい風よりも、目の前の施設修繕に早く取り掛かりたい、老朽化した建物はどんどん直していかないと間に合わないのだ。しばらく立ち止まって風を浴びている先輩を「ああ、そうですか」という気分でスルーした。しかし、30年経った今でも何故かその時のことを覚えている。そして、折角教えてくれたのに、その言葉へ報いることができなくて、先輩へ申し訳なかったなと、今でも「やっぱりチーズバーガーにしとけばよかったな」くらいのレベルではあるが、少し後悔もしている。
もし、初老の僕が「この城跡図書館の前、いい風が吹いているんだよ」と言ったとしても、今の若い人は、30年前の僕よりも、もっと丁寧なリアクションをしてくれるだろうと思う。
生田キャンパスには今、3号館は無い。1号館も無い。理工学部の施設担当で、建物の隅々まで把握していた僕は当時、もしテロリストが生田キャンパスへ攻め入っても、1人で籠城して勝てるかもしれないと豪語していた。しかし、すっかりと建物の様相が変わった今では、下手なこと言ってアラン・リックマンにすぐ殺されるキャラだと思う。
明治大学の生田キャンパス。理工学部と農学部関係者しか、行く機会がほとんど無いと思うが、そこで、4年間、大学院を含めるとさらに長く、学生として過ごせることはほんとうに幸せだと思う。僕は通算で15年くらい過ごした。学生とは違い仕事で関わっていただけなのだが、幸せな15年間だった。勉強ではなく仕事における幸せなので、その幸せをくれたのは、周りの人間、学生や教職員なのだが、やっぱり環境も、大きく影響していると思う。生田の良い環境の中に居る人達だから、ということもあるし。
僕が明治大学全キャンパス中一番、と思う桜は生田にある。理工学部のA館から2号館へ向かう2階通路から見る桜は、自分が木の中に入っているかのように観ることができる。農学部の竹林で、実験材料に使う竹を切らせていただいたこともあった。「電球に使うのですか?」と聴くと「いやいや、それはエジソンのフィラメントだから」と大竹助教授。
視察中に農学部の2号館と5号館の間で立ち止まり、並木から木漏れる陽の光を見せながら、生田について何かを検討していた当時の学長へ「この風景、大事ですよー。壊して欲しくないな。」と話したことがある。学長も、よくもまあ、そんなペーペーの話を黙って聴いていてくれていたなと、今では思う、懐が深いなと。
今はもう無いし、そのことを憂いだり反対もしないが、図書館の横には、直径1メートルはある大きなヒマラヤ杉が何本も建っていた。僕は仕事に悩むと、そのヒマラヤ杉にオデコを付けて、目を瞑って、じっと突っ立っていたりしていた。傍から見られてたら、かなりキモイ状態だったと思う。
2000年頃の教職員食堂に居た、凄腕の茶髪コックさんはどこへ行ったのだろう?二か月に一度くらいしか行かないのに「はーい、いつものようにご飯少な目で納豆付きね、男らしくないねー」と、週一の常連さんのように扱ってくれた青柳食堂の女将さんはどうしているだろう?
前述したが、やっぱり、1年生から4年生まで、それに加えて大学院生、皆が居るキャンパスで過ごせるというのは良いと思う。さらに、そこにある学部が理工学部と農学部、というのも良いのだろうな、と思う。
あの風が吹いていたキャンパスは、30年前から大きく変わって、2024年の今も大きな工事が続いている。でも、変わったのは建物だけで「キャンパス」は変わらない。3号館は無いが、今でもキャンパスのどこかで、あの風は吹いていることだろう。100年後も、また別のどこかで同じ風が吹いていると思う。
図書館を出て、約束の14時に、ナースステーションへ戻る。看護師さんへ声をかけると「あ、13時半から、既に始まってます。」とのこと。『えー!早まったら電話ください、って言ったじゃん』とは言わず、黙って待合室で待つこととする。事務連絡が正確で手術が失敗するよりも、事務連絡が悪くっても手術が成功するほうが良いものな。
※このコラムを捧げている原口氏は、文中の先輩ではありません。