校歌の掲載された「明治大学学報」第50号(1920年11月)。現在の歌詞とは一部相違があるが「権利自由」「独立自治」はきちんと読み込まれている。
2026.8
建学精神の誕生─「伝統の再創造」としての権利自由、独立自治
明治大学史資料センター運営委員
村松 玄太(学術・社会連携部博物館事務長)
明治大学の建学の精神は「権利自由、独立自治」である。
これらの言葉が「建学の精神」と位置づけられたのは、創立百周年記念事業が実施された1980(昭和55)年である。140年以上の歴史を持つ大学にしては、意外に近年の出来事といってよい。だがこれは、大学が急ごしらえでこの言葉を作り出したということではない。創立以来、底流にあった精神が、百年の歳月をかけてゆっくりと育てられ、ようやく明確な言葉として結晶したのだと理解したい。既知の事柄ではあるが改めてその道のりを辿ってみよう。
「権利自由」と「独立自治」それぞれの誕生
この2つの言葉は、生まれた時期が20年ほど隔たっている(注1)。
先に生まれたのは「権利自由」である。初出は明治大学創立の年、1881(明治14)年の「明治法律学校ノ設立趣旨」に遡る。法律という学問がどのような範囲を扱うかを説くくだりで、大きくは社会や政府の仕組み、小さくは人々一人ひとりの「権利自由」に及ぶ、といった趣旨で登場する。今日のように独立した理念として掲げられていたわけではなく、明治法律学校が拠り所としたフランス法における天賦人権説に由来する一語であった。
「独立自治」のベースになる語が生まれたのは、それから20余年を経た1903(明治36)年である。この年、明治法律学校は「明治大学」へと改称し、初代校長には岸本辰雄が就任した。この節目に、岸本は新入生に向けて「明治大学の主義」と題する演説を行っている。
だがこの演説には「独立自治」という四字はそのままの形では登場しない。岸本はここで、私立学校の存在意義は、学問の「独立」と自由を保ち、「自治」の精神を養い、人格を完成させる点にあると説いた。「独立」も「自治」も語として登場し、現在に連なる精神も明らかになりつつあった。ただし成句としてはまだ結晶していなかったことがわかる。
なぜこの時期岸本は「独立」「自治」を強調したのだろうか。ひとつには、勃興したばかりの私立大学が、従来の官立大学との違いを鮮明にする必要があったという事情が大きいと考えられる。加えて、もうひとつの理由も考えられる。当時の日本において、「権利」や「自由」という言葉は、しばしば「わがままに権利ばかりを主張する」ものと受け取られがちであった(たとえば民俗学者・柳田國男は幼少期、酔漢が自ら晒した醜態を「自由の権だい」とうそぶいたことを目撃し、以来「自由」という言葉が嫌いになったという〈『故郷七十年』〉)。こうした時代の空気を踏まえると、権利自由を語るならば、それを律する独立自治の精神も併せ持たねばならない——という要請から、両者は徐々に結びついていったのではないだろうか。
学生たちの唇に上る建学精神の原型
岸本が演説を行った1903年前後から、各大学で学生の課外活動が活発化する。明治大学でも1903年組織の予科学友会を皮切りに学生団体が置かれ、運動系・文化系の各種学生課外活動が活発化していく。「独立自治」という言葉が伸長していった背景には、こうした学生活動の高まりも関係したと考えられる。
ほどなく学生たちの発する言葉の端々に、「権利自由」「独立自治」に通じる言葉が現れはじめる。1907(明治40)年の「端艇部部歌」(『明治学報』112号所収)には「進取自由」「自治の旗」といった語が見え、同時期の学生の随筆——藤澤文雪(衛彦 のち明治大学教授)「包中我観」(同誌115号所収)——には、学風に言及して「進取自由独立自治」の語が見いだせる。ここまで至ると2つの言葉が1つに結ばれるまで、もう間もなくのことであった。
校歌に結晶した建学精神
そして1920(大正9)年、明治大学校歌が誕生する。よく知られる通り、2番の歌詞に、その結晶がある。「権利自由の揺籃」「独立自治の旗翳し」——ここでついに、2つの言葉が歌の中に揃って現れることになった。
この校歌は、学生たち自身の手により、作詞者(児玉花外、補作・西條八十)と作曲者(山田耕筰)に依頼して制定に至ったことがよく知られている。なぜこの歌詞に2つの言葉が選ばれたのか、その経緯は明らかにならない。だが校歌を依頼した学生が、自分たちの大切にしたい思いを率直に伝え、それが「権利自由」「独立自治」という言葉に結実したのではないか。学生たちの思いを的確に汲み取った作詞・作曲者の尋常ならざる洞察力にも感慨がやまない。
学生たち自らの手によって作り上げた校歌の中で2つの言葉が結びついたことこそが、「権利自由、独立自治」がその後もなお、生き続けてきた理由のひとつといえる。建学の精神の半ばは、そこに学ぶ学生たちが育んだのである。
「伝統の再創造」へ
1980年にこの言葉が建学の精神と定められたことは冒頭述べたとおりだが、21世紀にいたって建学理念と定められた「『個』を強くする大学」(注2)もまた、この長い流れの延長線上にある。
歴史学者のエリック・ホブズボームらは、古来のものと思われがちな伝統の多くが、実は近代以降に人為的に作り上げられたものであることを指摘した(『創られた伝統』)。これを肯定的に捉え返すならば、伝統とは大昔に完成し、固定されて伝わってくるものではなく、それぞれの時代の人びとが、その時々に過去の言葉を読み直し、その時代に即した意味を与え直しながら育て今日に至ったものである、ということになる。地中を一定の温度で流れ続ける「地下水」から、各時代の人々が、「地下水」を汲み上げ、その時々の必要に応じてその使い方を考え、沃野を拓いてきたのである。
「権利自由、独立自治」もまた、「地下水」に育まれた果実にほかならない。
2031年の明治大学150周年までおよそ5年。私たちは組み上げた「地下水」を用いて次の100年に何を育てていくのか。過去の継承のみならず、未来に向けた「再創造」も問われているといえる。
(注1)権利自由、独立自治の来歴が異なっていることについては、『明治大学百年史』や、岩﨑宏政「明治大学(明治法律学校)の校友・校友会に関する歴史・由来(その2)」(https://www.meiji.ac.jp/history/meidai_sanmyaku/thema/article/mkmht000000297ys.html)においても言及がある。
(注2)2001年の創立120周年のスローガンが初出であり、長く慣例的に使用されてきたが、「学校法人明治大学 長期ビジョン」(2011年)において「世界で活躍する強く輝く『個』を育てる教育研究の実現」という理念が掲げられ、これに基づく「第1期中期計画」(2014〜2017年度)以降、大学の理念として位置づけられている。

