日本列島で水田による本格的な稲作が始まった時代を弥生時代と呼び、考古学では主に前期・中期・後期に区分している。弥生土器という新たな土器が使用され始め、大陸から伝えられた金属器は農耕や木材加工への利用に供されただけではなく、新たな祭りや戦いの形を生み出すことになった。さらに豪華な品を納め大きな墓を築く権力者の出現など、社会が大きく変わり始めた時代である。
明治大学は戦後に行われた静岡県登呂遺跡の発掘調査を皮切りに、列島における稲作の広がり、「再葬墓」と呼ばれる東日本に特徴的な墓制、南関東地方の土器を主なテーマとして弥生時代像の解明に取り組んできた。