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明治大学体育会弓道部(スポーツ編)

茶山 礼宣 茶山 礼宣

 

体育会弓道部 茶山 礼宣(2004年卒)

体育会弓道部元監督 竹尾 和臣
 
 茶山礼宣君は、広島県崇徳高等学校から明治大学理工学部に入学。同時に体育会弓道部に入部した。いつもコツコツと練習し、雑事も積極的に取り組んでいたが、特別目立つ学生ではなかった。
 大学弓道界では、各校定期戦や秋のリーグ戦において1人が1回に4射を5回、合計20射を引く。上位校では9割の的中。つまり一部所属大学でも常時18本以上を的中させることができるのが、エース格の的中率である。
 茶山君は入部するとすぐにレギュラーで試合に出場して結果を残してはいたが、1年生の夏合宿までは秋からの大活躍を想像するほどではなかった。
 1年生の秋のリーグ戦の初戦では、20射17中。第2戦では、20射15中であったが第3戦から20射皆中(全射的に当たること)、第4戦でも20射皆中で、このシーズンは80射72中であった。
 2年生のリーグ戦では、4試合全試合で20射皆中。パーフェクトを達成した。
 3年生のリーグ戦でも4試合全試合で、20射皆中をして2年連続でパーフェクトを達成した。2年連続全試合皆中者は、現在もリーグ戦で茶山君だけである。
 4年生のリーグ戦では、第1戦から第3戦まで20射皆中であった。この頃になると、もし茶山君が的を外すとしたら的の上になるのではないかと予測していたが、学生生活最後のリーグ戦第4戦の第1射を的の上に外してしまい、連続的中は止まった。この年は80射79中だったが、連続的中記録は260となりこの記録は現在も破られていない。そしてリーグ戦、順位決定戦、入れ替え戦を含めると、通算302連中にも達した。今後二度と破られることがないと思われる空前絶後の大記録とともに、4年間のリーグ戦通算的中率は、9割7分1厘とこちらも大記録である。
 茶山君は入学時から大選手になっても謙虚で目立たないため、「どの選手が茶山君か」と尋ねられるほどであった。
 しかし研究熱心で常に自分の射を見つめ、中る(あたる)ための「放れ(はなれ)」の強さと鋭さを追求していた。また自分の道具を大切に、「弓」、「矢」、「弽(かけ)」の手入れを怠らず、常にベストコンディションで射に臨んでいた。
 「練習の時は試合だと思い、試合の時は練習通りに引く」と話していた通り、精神面でも喜怒哀楽を余り出さず、冷静で平常心を心掛けていた様だ。
 内に秘めた闘争心で、28m離れた的の中心の星(黒丸)9センチメートルの中に矢の6割を集めており、その集中力の高さ、射の正確さを現わしていた。
 茶山君が在籍していた4年間はリーグ戦メンバーの実力が伴わず二部校であったが、その射に対する姿勢が明治大学体育会弓道部の伝統となり、念願の一部校になった。「リーグ戦一部優勝」、「全日本学生弓道大会優勝」、「伊勢神宮王座優勝」という輝かしい常勝明治大学体育会弓道部の礎となった。