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明治大学体育会馬術部(スポーツ編)

 

明治大学馬術部の歩み
馬術部
 
 馬術部は、1920(大正9)年明治大学学友会(現体育会)に公認願を提出し第10番目に学友会馬術部として正式公認された。
 「明治大学馬術部要訓」を作成し近砲班、駒沢班、国府台班にてそれぞれ活動していた。その頃他大学でも次第に馬術部が発足し、1924(大正13)年関東学生馬術協会が創立されている。
 戦前の馬術部は、軍隊にて厳しい指導の下、馬の手入れ、練習を行っていた。また1932(昭和7)年ロサンゼルスオリンピックで西中尉が障害で優勝され、馬術熱が盛りあがっていた。
 終戦直後、軍馬が払い下げられ、大学の馬術部が自馬を持ち、学生馬術復興のきっかけとなった。乗馬クラブ等に馬を預け自馬での繋養も始まった。
 1955(昭和30)年に二子玉川に10馬房、飼料庫、馬具置場、トイレ、2階に寮完備の合宿所が完成。専任コーチに馬場馬術の実力者の久力紫郎先生、その後日本馬術界屈指の実力者である宮内庁の松林二郎を迎え、充実した練習の毎日を過ごした。戦績も関東争覇戦など団体での勝利、個人では、上野寿太郎(1960年卒)、矢野隆男(1960年卒)永吉克己(1962年卒)木曽敏彦(1963年卒)の活躍で、1958(昭和33)年日本スポーツ賞を受賞した。
 1963(昭和38)年に当時としては近代的な厩舎、合宿所、馬場が川崎生田校舎に完成した。しかしながら、昭和40年代より、部員数の減少が深刻な問題となり、戦績も他校の馬匹向上に押され気味でかつての成績とはいかない中で、1971(昭和46)年創部50周年式典が行われた。1975(昭和50)年11月馬の事故をきっかけとして、愛馬精神の発揚と馬匹の健康と安全を願い、当時の部長寺田由永先生の尽力により馬頭観音が建立された。
 1981(昭和56)年東京六大学馬術大会団体優勝を皮切りに、輝かしい成績がスタートした。1988(昭和63)年から1992(平成4)年全日本学生3種目総合優勝。その後1994(平成6)年から2010(平成22)年まで17連覇を達成する輝かしい成果を上げている。活躍する部員を多数輩出している。全日本学生馬術選手を毎年制覇した久保田貴士(1990年卒)。オリンピック出場選手は、1996(平成8)年アトランタオリンピック・2000(平成12)年シドニーオリンピック総合馬術出場は、布施勝(1992年卒)、土屋毅明(1994年卒)。2008(平成20)年北京オリンピック、2012(平成24)年ロンドンオリンピック、2016(平成28)年リオデジャネイロオリンピック総合馬術三大会連続出場は、大岩義明(1999年卒)。2012(平成24)年ロンドンオリンピック総合馬術出場は、弓良隆行(2003年卒)。2016(平成28)年リオデジャネイロオリンピック馬場馬術出場は、高橋正直(2004年卒)、障害飛越出場は、福島大輔(2000年卒)、総合馬術出場は、北島隆三(2008年卒)。
 馬術部は、2018(平成30)年、念願の新厩舎が完成し、2020(令和3)年には創部100周年を迎える。競技成績も大事だが、学生の本文は学業である。文武両道で今後も邁進する。