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明治大学体育会アメリカンフットボール部(スポーツ編)

野﨑元監督第40回大会甲子園ボウル出場をかけた前年優勝校の日本大学との試合(1985年体育会誌掲載記事より) 2009年 全日本大学選手権優勝 第40回大会甲子園ボウル、関西学院大学との試合(「明大スポーツ」第216号)

 

明治大学体育会アメリカンフットボール部の歴史

アメリカンフットボール部
 
 1934(昭和9)年に創部。早稲田大学、立教大学、と共に誕生した、日本の大学フットボール界のルーツ校の1つである。
 アメリカンフットボールの東西大学王座決定戦(全日本大学アメリカンフットボール選手権の決勝戦)である『甲子園ボウル』、には、計5回出場した。現在も、関東学生アメリカンフットボール連盟の1部リーグに所属し、学生王者を目指し、日々練習を行っている。
 創部当初は、米国日系二世のドロー武田コーチの指導下、戦前9季で5度優勝。甲子園ボウル設立以前の王者であった。
 花岡監督(1964年卒・1972~86年)時代は、米国の最新戦術をチーム作りの根幹とした。
 野﨑監督(1955年卒・1987~99年*写真②)以降は、高校でアメリカンフットボールの未経験者がチームの大半を占める、1部リーグでは数少ない当部を常勝集団とする為、徹底的な基礎技術の反復練習を繰り返し、鍛え上げられたスピードと技を駆使し、更に「合理性」を重視した、スピードフットボールを展開した。
 現在は、岩崎監督(1999年卒)が、野﨑元監督のスタイルを受け継ぎながらも、毎年、学生と意見交換を行いながら、学生主体のチーム作りを行っている。また、2014(平成26)年には、1部リーグの再編が行われ、それまでの16校が8校ずつ、Aブロック、Bブロックの並列ブロック方式から、上位8校、下位8校の上下ブロック方式となった。当部は関東1部リーグの中でも上位8大学による『TOP8』に所属しており、総勢100名を超えるスタッフを率い、八幡山のアメリカンフットボール部グラウンドで、日々練習を行い、悲願の学生王者を目指している。
 
 卒業生紹介
 日本アメリカンフットボールの殿堂に本学卒業生から3名が選出されている。
・花岡惇氏(1935年卒)
 ハワイ生まれ日系2世。明治大学入学後、部創設の中心的役割。1934(昭和9)年、我国最初の公式試合に出場。卒業後は、連盟役員、監督として継続的に活動。1940年代、同志社大学、関西大学を指導。1947(昭和22)年から14年間に渡り監督として明治大学を率いる。米国からの最新情報と戦術を我が国に広く紹介し、競技の普及に大きな貢献をした。
・金澤好夫氏(1983年卒)
 明治大学卒業後、専修大学コーチ、拓殖大学初代監督に就任。この間、関東大学連盟、日本アメリカンフットボール協会の理事を務めると共に、社会人団体の基盤づくりに貢献。その後社会人王座決定戦を創設し、1985(昭和60)年日本社会人アメリカンフットボール協会初代理事長就任後、1996(平成8)年Xリーグを設立。
・野﨑和夫氏(1955年卒)
 野﨑元監督は、在学中QBとして活躍し、卒業後は1961(昭和36)年にアメリカンフットボール部のコーチ、翌1962年に監督に就任。1968(昭和43)年には自身初、部としては20年ぶりの関東大学リーグ制覇を果たし、1997(平成9)年まで35年間の監督時代で甲子園ボウル4回出場という輝かしい成績を残した。監督の傍ら、全日本、全関東チームの監督、コーチを数多く歴任するとともに、大学・社会人チームの発足・指導などを行い、アメリカンフットボールの普及に幅広く貢献した。
 
 甲子園ボウル(現:全日本学生選手権)戦績
第2回大会  明治大学 0-6 関西大学
第23回大会 明治大学 36-38 関西学院大学
第30回大会 明治大学 7-56 関西学院大学
第31回大会 明治大学 22-29 関西学院大学
第40回大会 明治大学 46-48 関西学院大学(写真参照)
 
 チーム名紹介
 「グリフィンズ」は、ギリシャ神話に登場する、鷲の頭と獅子の胴体に翼を持つ伝説上の怪獣であり、アポロの聖獣、と考えられ名づけた。