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日本統治下朝鮮での学生募集活動 -1910年代の新聞記事・広告-(留学生編)

『朝鮮時報』(1915年2月23日)の1面に掲載された学生募集広告





2020.12



日本統治下朝鮮での学生募集活動

 -1910年代の新聞記事・広告-


明治大学史資料センター運営委員
山下 達也(文学部准教授)
 
 

 1910年8月、「韓国併合ニ関スル条約」の締結により日本の植民地となった朝鮮半島では日本の高等教育機関への「内地留学生」を募集する活動が行われた。
 日本への留学それ自体は韓国併合以前から行われていたが、植民地期における留学は「内地留学」という独特な位置づけにあり、同じく日本の植民地であった台湾からの留学とともに他の国、地域からの留学とは一線を画すものであった。
 1910年当時、翌年に創立30周年を迎えようとしていた明治大学も朝鮮半島からの「内地留学生」を募集する活動を行っており、当時の新聞に掲載された記事や広告にはそれをうかがわせるものが多数確認できる。今回はそれらに注目し、おもに1910年代における明治大学の学生募集活動の一端を見てみよう。
 1911年9月3日の『毎日申報』(朝鮮総督府の機関紙)の1面には「東京留学案内」として明治大学への留学案内記事が掲載されている。そこには漢字とハングル交じりの文字で明治大学の「位置」、「沿革」、「目的」、「部門」、「特典」、「学科」について紹介されており、同月8・9日の1面ではさらに、明治大学の「学年学期」、「入学期」、「入学資格」、「試験」、「特待生」、「奨学費」、「海外留学」、「修業年限」、「称号」、「学費」、「図書館」、「寄宿舎」、「職員」、「校外生」についての紹介文が掲載されている。なお、同紙の「東京留学案内」では別の日に他の大学(早稲田大学、慶応義塾、法政大学、日本大学)も同様に取り上げられており、文字通り東京の高等教育機関への留学情報を集めて掲載する企画であった。
 また、同年10月14日の『毎日申報』には文学科の学生募集広告が掲載されているほか、1915年2月23日と3月20日の『朝鮮時報』(釜山で発行された民間紙)の1面には法科大学予科、商科大学予科、明治高等予備校の学生募集広告が、同年3月24日には法科特別校外生、8月11・22日には法科、商科、政治経済科各専門部、大学予科、1916年8月23日にも法科、商科、政治経済科各専門部、大学予科、1917年9月22日には校外生、1918年3月24日には法科大学予科、商科大学予科、政治経済科大学予科、各科専門部、明治高等予備校、1918年4月2日には法科特別校外生、4月5日には法科大学予科、商科大学予科、政治経済科大学予科、各科専門部および明治高等予備校の学生募集広告が掲載されている。このように、明治大学は朝鮮で発行された新聞に定期的に広告を出すことを通じて朝鮮での学生募集を行っていたことがわかる。
 さらに、1915年8月11日の『朝鮮時報』には1面に明治大学の学生募集広告が掲載されているのに加えて、同日の4面には、「明治大学の新施設」という記事が掲載されている。そこには、「来る九月新学年開始に付目下学生を募集中なるが這般各学科教科目及び授業方法等に大改正を行ひ来る新学年より実行する趣なり」と、カリキュラムや授業方法の改正といった学内の動きについても報じられている点が注目される。
 こうした新聞の記事や広告を目にし、日本への「内地留学」、明治大学への進学を目指した人々がいたのである。