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大学設置基準「大綱化」以降の本学の教学政策について(その1)(施策編)

「明治大学学長室だより」№22(1996年7月) 同№23(1996年11月)

 

2021.4

大学設置基準「大綱化」以降の本学の教学政策について(その1)

明治大学史資料センター運営委員
奥住 賢二 (明治大学総務部長)
 

 1991年の大学設置基準の「大綱化」と、18歳人口の急激な減少期の到来が発端となり、大学を取り巻く環境は大きく変化した。この社会環境の変化に対応するため、1992年4月に就任した岡野学長以降、歴代の学長は、それぞれの個性を活かした全学的な教育・研究改革の基礎作りを開始することになる。
 私は幸運にも、1990年代後半から2000年代まで、この時期の戸沢学長、山田学長、納谷学長の下で業務をする機会を得ることができた。今回は、この3名の学長の教学政策について、当時の政策立案に関わった職員として、感じたことを紹介したい。
 
「戸沢学長時代」
 戸沢学長は1996年4月に就任した。教務部長は納谷先生であった。戸沢学長のスローガンは「対話と協調」で、就任直後から各学部等の多くの組織と対話をし、明治大学が置かれている現状を把握することに努めた。
 その結果として、1996年秋に「教学基本計画会議」を発足させる。この会議は、本学における教育・研究の基本計画を審議し、実現可能な政策として具体化していくために設置された。その構成は学長を座長として、学部長会メンバー、理事会メンバー若干名、主要事務部長など24名であった。さらに、その下には各課題毎に政策を具体的に立案するため、約300名の教職員が参加する「14のプロジェクトチーム(委員会)」が編成された。14項目は次のとおり。
 
  ①適正規模の確定(臨定終了後の恒常的定員化)、②農学部新学科増設、③カリキュラム改善、④入試制度多様化への取り組み、
  ⑤自己点検・評価の実施と活用、⑥制度改革の実現(副学長制度等)、⑦二部教育の充実・改革、⑧短大改組と新学部構想、
  ⑨大学院充実、⑩教員組織の検討と充実、⑪付属校の活性化、⑫研究体制の強化、⑬学生生活の環境整備の促進、
  ⑭生涯教育体系の確立

 プロジェクトチームの特徴は、これまでの明治大学では、教員主体で構成されていた検討委員会のメンバーに、職員が事務局としてではなく委員として参加し、意見を述べることができることであった。職員と教員が十分な協力体制を持ち、組織を構成することによって、新しい時代に向かう大学の変革に、教員と職員が一丸となって英知を結集する。その検討結果を学部長会・理事会と調整をはかりながら、学長案等の形で具体化していくという体制を構築したかった。会議は、教員の授業が終わる17時半以降に開催され、時間節約のため、軽食のおにぎりかサンドイッチをかじりながら意見交換がなされた。この頃から教学系の18時以降の会議には、弁当が出るようになったと記憶している。
 14のプロジェクトのうち、私が特に印象に残っているのは「カリキュラム改善」で、1998年に出された『個性を伸ばす骨太で簡素なカリキュラム編成に向けて』という学長提言である。各学部等は、大綱化を受けて1995年にカリキュラムの全面的な改訂をし、少人数教育の推進、コース制の採用などを行った。しかし、この改訂は全学的なコンセンサスを得ないまま、各学部等の独自の教育目標によって編成された結果、授業コマ数の増加や教室事情の悪化などの問題点を残した。こうした状況を全学的に改善することを目的として「全学教育課程改善委員会」が発足し、この提言が出されたのである。さらに戸沢学長は、1999年にカリキュラム再編のための具体案を明示し、2000年度からのカリキュラム見直しについて各学部等へ強く要請した。しかしながら、その後の複数学部の新学科増設、新学部設置、専門職大学院設置などにより、授業コマ数は2015年度まで増加を続け、現在も学生・教員一人当たり科目数は、他大学と比べても高い水準にある。そのため、戸沢学長時代から約20年経過した現在においても、現学長の下で授業時間数の削減政策は継続されている。
 また、新学部構想については、短期大学の改組・発展を目指した「環境デザイン学部(仮称)」構想と、二部教育改革検討委員会から、二部4学部を再編・統合する「総合地域科学部(仮称)」の二つの構想案が提起された。これを受けた戸沢学長は、この二つの構想案に多くの共通性があることに着目し、二つの構想案を融合した「環境地域学部(仮称)」構想案を提示し、各学部執行部との議論を踏まえ、最終的に、駿河台キャンパスに設置(1~4年)する昼夜開講制の「社会共生学部(仮称)」構想をまとめ、1999年10月に学長案として審議依頼した。その後、複数の学部から様々な要望が出たことから、翌年2月に臨時学部長会を開催し、連合教授会に付議する議案について審議した結果、「1999年10月13日付『新学部設置について(学長案)』記載の新学部構想を基礎とし、その具体化に向けた推進を行うため、新学部設置準備委員会(仮称)を設置する」という議案が承認され、翌3月開催の連合教授会においても承認された。
 その他のプロジェクトについては、文字数の関係で記載できないが、政策が具体化された主なものは次の通りである。

 ① 2000年度から2004年度までの臨定増分5割漸減延長措置と、2004年度以降の恒常化定員の有効活用、
 ②農学部生命科学科の新設、③専任教員定員枠の確立、④新助手制度、⑤客員教員制度、⑥TA・RA制度、
 ⑦リバティ・アカデミーの創設、⑧学内の自己点検・評価体制の構築、⑨司書教諭課程設置など。

 戸沢学長は、任期4年間の中で、最終的に15のプロジェクトをフル活用し、検討結果を学長案等の形で政策化していくという道程は、決してなまやさしいものでなかったと後に語っている。15プロジェクトの中には、4年間で学内の大筋合意を得て、引き続き、二期目でその政策を具体化させたいというものもあった。しかしながら、2000年3月開催の学部連合教授会における学長選挙の結果、「母校明治大学の21世紀への飛躍を夢につつみ私は職を去ります」という言葉を残し、次期山田学長に引き継ぐこととなった。
 今回は、与えられたスペースが限られているため、山田学長時代及び納谷学長時代については、次回、またこのような機会を頂けたら書かせていただきたい。
 
【参考文献】
学長室だより(No.22~33)
教学基本計画速報(No.1~33)