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「明大前」駅のルーツは「火薬庫前」駅という物騒な駅名だった!(キャンパス編)

京王電気軌道 沿線案内図 「松原」駅付近に明治大学和泉キャンパスが大きく描かれている。 「火薬庫前」駅から改称された「松原駅」と「西松原駅」の位置図【国土地理院の地図上に表示】 (画像上)「明大前」駅として共同使用開始当時の京王電気軌道と帝都電鉄の「明大前」駅(下)当時の同駅ホーム当時の「明大前」駅ホーム

 

2021.3  

「明大前」駅のルーツは「火薬庫前」駅という物騒な駅名だった! 

明治大学史資料センター運営委員      
岩﨑 宏政 (大学支援部校友連携事務長)

 

 和泉キャンパスに通学するほとんどの明大生が乗り降りしている最寄駅は、言わずと知れた京王電鉄京王線・井の頭線「明大前」駅であるが、この駅のルーツは、「火薬庫前」駅という何とも物騒な駅名だったという歴史を知っている人はまだそれほど多くないのではないか。
 京王電鉄の前身である「京王電気軌道」は、1913(大正2)年4月、笹塚・調布間の軌道路線を開通させ、その際に「火薬庫前」駅が開業した。この駅名は、付近に「陸軍省和泉新田火薬庫」が所在していたことから名付けられた。因みにこの火薬庫は、江戸時代に整備された五街道の一つである甲州街道沿いに、江戸幕府により1750(宝暦)年代に設置された「和泉新田御塩硝蔵(いずみしんでんごえんしょうぐら):鉄砲・火薬の貯蔵庫」がその起源である。
 この火薬庫こそが、現在の和泉キャンパスとこれに隣接する築地本願寺和田堀廟所の前身の地なのである。このように開業した「火薬庫前」駅だが、開業時は駅の位置が現在の「明大前」駅より約300mも「下高井戸」駅寄りだったとのことである。その後、軍事施設の場所を駅名とすることの是非が見直されたのか、「火薬庫前」駅は1917(大正6)年、地元の村名である「松原」駅に改称された。(※現:東急電鉄世田谷線「松原」駅とは別駅) その後、明治大学では、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による校舎の被災、1925(大正14)年 政治経済学部・1929(昭和4)年 専門部女子部(短期大学の前身)の新設等により、駿河台キャンパスの教室不足の深刻さが増していた。このような状況の下、学内での予科移転の検討の結果、1930(昭和5)年2月の商議員会(現:評議員会)での「予科校舎用地買収決議」を経て、1934(昭和9)年3月、「同火薬庫跡地(和田町和泉):約43,000㎡」に、予科独自の新校舎(総延坪数約1,500坪、鉄筋コンクリート3階建・一部木造)の竣工なった和泉キャンパスが開設され、同年4月から授業が開始された。(和泉キャンパス開設当時の教員数は67名、学生総数1,502名であった。)
 この予科移転の決定に貢献したのが、当時京王電気軌道の社長であった「井上篤太郎」が明治法律学校に学んだ校友であったことだと言われており、同氏は1934(昭和9)年に、明治大学専務(財務)理事に就任し、母校の経営にも参画した。
 一方、京王電鉄井の頭線の前身は、1933(昭和8)年8月に、渋谷・井の頭公園間の路線を開通(翌年4月、吉祥寺まで全線開通)させた「帝都電鉄」である。因みに帝都電鉄の渋谷・吉祥寺間を開通させたのは、当時帝都電鉄の社長であった、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)の創業者でもある明治法律学校出身の「利光鶴松」である。

 「帝都電鉄」は元々、小田原急行鉄道とルーツを同じくする会社であり、1940(昭和15)年5月、小田原急行鉄道に合併され、「小田原急行鉄道帝都線」となった。「帝都電鉄」の開業時には、現在の「明大前」駅とほぼ同じ位置に「西松原」駅が開業した。「西松原」駅は、渋谷寄りの隣駅である「東松原」駅に対応して名付けられたものであるが、この時期には、それぞれが別会社の路線だったこともあり、まだ、京王電気軌道と帝都電鉄との接続駅は設置されていなかったため、「松原」駅の東側に「西松原」駅が設置されるという不思議な現象が生じた。
 前述のような二人の明治法律学校出身者の尽力もあり、1934(昭和9)年4月からの和泉キャンパスでの授業開始に伴い、通学する明大生への便宜を図るため、京王電気軌道「松原」駅を帝都電鉄「西松原」駅に移設して、1935(昭和10)年2月、駅名を「明大前」駅に改称し、同年3月から共同使用を開始した。このような過程を経て誕生した「明大前」駅は、現在に至るまで数えきれないほど多くの明大生が通学で利用してきているが、誕生から82年後の2017(平成29)年3月25日始発から、「明大前」駅の京王線ホーム(上下線)の列車接近メロディに、駅名に因んだ「明治大学校歌」が使用されている。

「明大前」駅列車接近メロディ https://meijinow.jp/meidainews/information/8604

(※井の頭線ホームでは使用されていない。) 

このコラムを読んでいただいた方には、これからは今まで以上に親しみを持って和泉キャンパスとともに歴史を刻んできた「明大前」駅を利用してもらいたいと思う。 
 最後に、明大トリヴィアとして興味深いエピソードを一つ。京王線「明大前」駅の隣の「下高井戸」駅は、「火薬庫前」駅と同じく、1913(大正2)年4月に開業した。その後、日本大学専門部文科(現:文理学部)の校舎が同駅付近に竣工したことから、1938(昭和13)年3月、「日大前」駅に改称された。しかし、その後わずか6年後の1944(昭和19)年5月に、元の「下高井戸」駅に戻されたのである。戦時下のこの年に、陸上交通事業調整法に基づき、京王電気軌道が東京急行電鉄(現:東急電鉄)に合併されたことから、同社玉川線の駅名に合わせるため「下高井戸」駅に戻したのかもしれないが、正確な理由は不明である。また、「明大前」駅と「日大前」駅が隣同士で紛らわしいという利用者からの声もあったのではないかとも考えられる。そして、よくよく「明大前」と「日大前」の駅名を見比べてみると、前者の方に「月(ツキ)」があることを再発見した。理由はさておき、帝都電鉄との接続駅として先に改称されたのが「明大前」駅でよかったと、つくづく感じているのは私だけであろうか。

  参考資料
・ 明治大学の歴史 明治大学史資料センター編(2017年)
・  図録 明治大学百年(1980年)
・  京王電気軌道沿線案内図、京王電気軌道株式会社三十年史(1941年)
・  杉並区ホームページ
・  京王電鉄ホームページ
・ 
小田急電鉄ホームページ
・ 
東急電鉄ホームページ