Go Forward

明治大学体育会山岳部部(スポーツ編)

植村直己 マナスル(1997年) アンナプルナⅠ峰(2003年)

 

世界の山々に足跡を残す”明大山脈”
 

鳥山文蔵


 山岳部は予科山岳会とスキー倶楽部が合わさり、1922(大正11)年6月に誕生する。創部当初から部員たちの活躍は目覚ましく、長野県側からの白馬岳積雪期初登頂や剱岳・八ッ峰の完登を成し遂げている。とりわけ戦前の快挙として今にその名を残すのは、小国達雄と人見卯八郎による前穂高岳・北尾根Ⅳ峰の東南壁に「明大ルート」を切り拓いたこと(1936・昭和11年)と、初めての海外登山・台湾遠征(1940・昭和15年)が挙げられる。なお、昭和初期に山岳部からスキー部とスケート部が分離独立する。
 戦後は大塚博美を中心に極寒の穂高連峰で極地法登山を展開する。その大塚は1954・1956(昭和29・31)年の日本山岳会マナスル登山隊に参加、日本人初の8000m峰初登頂に至るルートを開拓する。ところが1957(昭和32)年3月、白馬鑓ヶ岳で未曾有の二重遭難が起き、明大生3名、千葉大生2名が亡くなる。この遭難を重く受け止めた山岳部と炉辺(ろばた)会(OB会)は、山岳遭難の実態調査を実施、『遭難の実態』(1964・昭和39年、教育図書)としてまとめ、各界から高い評価を受ける。
 遭難から3年後の1960(昭和35)年、本学創立80周年記念アラスカ地域総合学術調査団が派遣され、山岳班は日本人として初めて北米大陸最高峰・マッキンリー(現デナリ、6190m)に登頂する。1965(昭和40)年には初めてのヒマラヤ遠征に挑み、未踏のゴジュンバ・カンⅡ峰(7646m)に初登頂。登頂者の植村直己は1970(昭和45)年、日本山岳会エベレスト登山隊に参加し、早大の松浦輝夫とともに日本人として初めて世界最高峰の頂に立つ。すでにモン・ブラン、キリマンジャロ、アコンカグアを登っていた植村は、この後、単独でマッキンリーに登り(単独初登頂)、世界初の5大陸最高峰制覇を達成した。
 その後も若手OBを中心としたヒマラヤ遠征が続き、1975(昭和50)年チューレン・ヒマール(7371m)、1977(昭和52)年ヒマルチュリ(7893m)、1978(昭和53)年アンナプルナ南峰(7219m)に挑んだ。この年、植村は北極点単独到達とグリーンランド縦断を成し遂げ、冒険家として世界中から脚光を浴びる。1981(昭和56)年には、本学創立100周年を記念する登山隊が、日本人未踏の西稜からエベレストに挑んだが、頂上まであと98mを残し涙を飲んだ。それから3年後の1984(昭和59)年、厳冬期のマッキンリー単独初登頂に成功した直後に植村が遭難、2度救援隊を派遣したが探し出すことはできなかった。
 平成に入ると部員減少が続き、厳しい部活動を強いられる。こうした低迷状況から脱出しようと、2人しか残らなかった高橋和弘と大窪三恵が1999(平成11)年夏に海外合宿を実現させ、インド・ヒマラヤのガングスタン(6162m)に全員登頂した功績は大きかった。この海外合宿に参加したメンバーが、2001(平成13)年から始まる創部80周年記念ドリーム・プロジェクトの中心となる。この計画でガッシャーブルムⅠ峰(8068m)・Ⅱ峰(8035m)、ローツェ(8516m)、アンナプルナⅠ峰(8091m)の4座に登頂、念願だった単一大学山岳部による8000m峰14座完登を成し遂げる。
 この4座に登頂した天野和明は、2008(平成20)年インド・ヒマラヤのカランカ(6931m)北壁の登攀に成功、この快挙により日本人として初めて「第17回ピオレ・ドール(金のピッケル賞)」を贈られた。
 来るべき2022(令和4)年には創部100周年を迎えるが、部員減少が慢性化している現況を打破し、山に集う「炉辺の火」を絶やさぬよう現役・OBが一丸となって、より高みを目指していく所存である。
 

       山岳部出身者による8000m峰14座登頂リスト

順位

山  名(標高)

登頂者

卒業年

登頂年月日

 

 

 

 

 

 

エベレスト

(8848m)

植村 直己

山本 宗彦

三谷統一郎

山本 篤

大西 宏

加藤 慶信

加藤 慶信

廣瀬 学

1964年

1982年

1978年

1986年

1986年

2000年

2000年

1990年

1970.5.11(日本人初登)

1988.5.5

1989.10.13

1989.10.13

1989.10.13

2005.5.27(中国側・無酸素)

2008.5.24(ネパール側)

2011.5.25

K2

(8611m)

山本 篤

高橋 和弘

1986年

1996年

1996.8.14

1996.8.14

カンチェンジュンガ

(8586m)

三谷統一郎

1978年

1984.5.20(3峰縦走)

 

 

 

 

ローツェ

(8516m)

高橋 和弘

森 章一

加藤 慶信

三谷統一郎

天野 和明

松本 浩

1996年

1998年

2000年

1978年

2000年

2002年

2002.10.3

2002.10.3

2002.10.3

2002.10.8

2002.10.8(日本人初無酸素)

2002.10.8

 

 

マカルー

(8463m)

大西 宏

山本 篤

山本 宗彦

1986年

1986年

1982年

1990.5.6

1995.5.21(東稜初登攀)

1995.5.22

 

 

 

 

 

 

チョー・オユー

(8201m)

三谷統一郎

中西 紀夫

北村 貢

山本 篤

大窪 三恵

加藤 慶信

天野 和明

1978年

1981年

1981年

1986年

1996年

2000年

2000年

1985.10.3

1985.10.3

1985.10.3

1988.11.6

2002.10.1(後姓:岩掘)

2006.5.3

2006.5.3

ダウラギリⅠ峰

(8167m)

田中 淳一

三谷統一郎

1976年

1978年

1982.10.17

1982.10.17

 

 

 

 

 

 

マナスル

(8163m)

三谷統一郎

山本 篤

高橋 和弘

豊嶋 匡明

加藤 慶信

廣瀬 学

原田 暁之

関 裕一

山本 篤

加藤 慶信

三戸呂拓也

1978年

1986年

1996年

1997年

2000年

1990年

1990年

1999年

1986年

2000年

2007年

1997.10.8

1997.10.8

1997.10.8

1997.10.8

1997.10.8

1997.10.9

1997.10.9

1997.10.9

2006.9.30(北東稜)

2006.9.30(北東稜)

2013.10.2

ナンガ・パルバット

(8126m)

中西 紀夫

1981年

1983.7.30(日本人初登)

 

 

10

 

 

アンナプルナⅠ峰

(8091m)

山本 篤

高橋 和弘

早川 敦

森 章一

加藤 慶信

天野 和明

1986年

1996年

1998年

1998年

2000年

2000年

2003.5.16

2003.5.16

2003.5.16

2003.5.16

2003.5.16

2003.5.16

 

 

11

 

 

ガッシャーブルムⅠ峰

(8068m)

高橋 和弘

早川 敦

森 章一

加藤 慶信

天野 和明

谷山 宏典

1996年

1998年

1998年

2000年

2000年

2001年

2001.8.13

2001.8.13

2001.8.13

2001.8.13

2001.8.13

2001.8.13

12

ブロード・ピーク

(8047m)

山本 宗彦

1982年

1985.8.12

 

 

13

 

 

ガッシャーブルムⅡ峰

(8035m)

高橋 和弘

早川 敦

森 章一

加藤 慶信

天野 和明

谷山 宏典

三戸呂拓也

1996年

1998年

1998年

2000年

2000年

2001年

2007年

2001.7.10

2001.7.10

2001.7.10

2001.7.10

2001.7.10

2001.7.10

2019.7.18

14

シシャパンマ

(8027m)

山本 篤

加藤 慶信

天野 和明

1986年

2000年

2000年

1988.10.24

2006.5.17

2006.5.17