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明治大学体育会ボクシング部(スポーツ編)

 

1963(昭和38)年リーグ戦1部優勝と永松英吉監督

 

駿台拳闘倶楽部(ボクシング部OB会)                                          

会長 後藤 洋一(1965・昭和40年卒業 当時サブマネジャー)

 東京オリンピック1964(昭和39)年の前年、日本のあらゆるスポーツの熱気が最高潮に達していたと思われる年、吾明治大学ボクシング部は関東大学ボクシングリーグ戦1部を全勝で優勝し、大学王座決定戦で近畿大学を破り全国大学制覇を7年ぶり(3回目)に成し遂げた。戦前のマスコミの予想ではオリンピック候補、強化選手を多数有する早稲田大学の評価が非常に高く次が中央、日大で本学は4番手であった。しかしリーグ戦が始まってみると、連戦連勝の快進撃で大学王座決定戦まで全勝で制覇した。現在は大学ボクシングが5大新聞、大手スポーツ紙に載ることはほとんどないが、当時は大きく報道された。各紙の評価のほとんどが、永松英吉監督が選手全員の力を実力以上に引き出したこと、そしてリーグ戦を戦う戦略と戦術が素晴らしかったこと、これらを称して「永松マジック」と評価していた。ここで優勝に至る「永松マジック」と「優勝候補早稲田大学とのリーグ戦における戦果」について、私自身58年遡り懐かしさもさることながら永松英吉監督、出場選手各人に敬意をもって執筆した。

1、永松英吉監督の紹介
 本学工学部教授(当時助教授)で後年ボクシング部部長(1971・昭和46~1985・昭和60年)を務めた。
*ボクシングに関するプロフィール
・1936年 第11回オリンピックベルリン大会ライト級 選手出場
・1964年 第18回オリンピック東京大会 日本代表コーチ
・1968年 第19回オリンピックメキシコ大会 日本代表コーチ
・1972年 第20回オリンピックミュンヘン大会 日本代表監督
・本学ボクシング部監督(1941・昭和16~1942・昭和17年)、(1947・昭和22~1961・昭和36年)、(1963・昭和38~1968・昭和43年)
・本学ボクシング部部長(1971・昭和46~1985・昭和60年)
*指導の信条
 「打たせないで打つ」先の先の技(左ストレート)
 アマボクシングは9分間のドラマ、3ラウンドのうち2ラウンドを取るシナリオを作るんだ
*優勝時の評価
「永松マジック」
 協会、他大学関係者、マスコミは、この様に評価した。
代表的具体例
 (1)本来ウェルター級の加島選手をLウェルター級、ウェルター級、Lミドル級の3階級に、試合ごとに相手との相性を考え、難しい体重調整を乗り越え起用した。この選手はパンチが非常に強くスピードもあり監督の期待に十分応えた。戦績は4勝2敗であったがその4勝は全てチームの勝敗を分ける貴重な勝利であった。
 ポイント1を取るための「永松マジック」の執念である。
 (2)事実上の決定戦(明治側が思っていた)と思われた早稲田大学との試合において、キャプテン鈴木(義)選手を相手の強豪白鳥(東京オリンピックライト級代表)選手との対戦を棄権させた。次からの試合の行方を考えた戦略とはいえ、本人は悔しい思いをした。その後王座決定戦まで4連勝の活躍をした。
 リーグ戦は6人勝てばいい!「永松マジック」の真骨頂と思われる。(当時は11人対抗戦)
 (3)その他数知れぬほどの手の内を持って、ここぞという時発揮された。

2、リーグ戦における明早戦
 1963(昭和38)年5月17日両国日大講堂(元国技館、現在はなくなったが1万人収容出来る大会場)において両校応援団の応援合戦の鳴り響く中、明早戦は始まった。
 試合はLミドル級まで11階級、最軽量のフライ級から重いクラスへ順を追って進んでいく。1ラウンド3分、3ラウンドの戦いで、決着は「判定」「KO」「RSC」(プロでいうTKOのような決着)「棄権」である。
*試合経過
 第1試合のフライ級先鋒を落とした後、次鋒笹沼選手は副主将として素晴らしい試合をした。左ジャブ、スピードあるワンツー見事な勝利であった。この勝利が最終的に貴重な1勝であったことは間違いない。
 バンタム、フェザー級は必勝のクラス、4人の選手は見事に役割を果たした。吉田選手は負けない堅実な勝利、森田選手は文字どおりの右の強打で完勝、船越選手は何時もどおり変幻自在の試合ぶりで余裕ある勝利、そして素晴らしかったのは清田選手である。「永松ボクシング」の「ボクシングは殴り合いではない。技術と技術の交換で勝るのだ」の信条のお手本になる試合ぶりで、見ている者を魅了する試合にて完勝、東京オリンピック出場へ期待を持たせてくれた。
 ライト級鈴木(義)選手は先程(優勝時の評価のところ)書いた通り団体戦の戦略として「棄権」した。
 勝ち星の計算が狂ったのがライト級次鋒、Lウェルター級、ウェルター級で3連敗したことであった。
 とうとうこれで5対5になってしまった。ここで「永松マジック」が生きてくる。昨年(2019年)早稲田大学ボクシング部創立90週年記念において明早戦を行った。その時私と同期でマネージャーをやっていた宇野さんとお会いし旧交を温めた際、当時を思い出してこの試合のことを笑顔で「あの試合は永松マジックにやられました」と言っておられた。
 いよいよ雌雄を決する最後の試合が始まった。Lミドル級出場の加島選手は立派であった。このリーグ戦一言の不平も言わず監督の作戦通りLウェルター、ウェルター、Lミドルと3階級を1週間ごとの試合に合わせ体重調整を完璧に行った。結果として王座決定戦を含め4勝2敗であったが、この4勝は全てチームの勝敗を分ける貴重な勝利であった。当然のことの様にこのLミドル級の試合、完勝をして明治大学は6対5にて勝利した。関東大学リーグ戦1部優勝、大学王座決定戦の勝利へと進んでいったのである。
*出場メンバー(○、●は勝敗)
 フライ級  梶川 正行 ● ショートの連打 (物故)
       笹沼 徳寿 ○ ワンツーから早い連打 (物故)
 バンタム級 吉田 武司 ○ 負けない試合、手堅さNO.1
       森田 満雄 ○ バンタム級1のハードパンチャー(物故)
 フェザー級 船越 広  ○ 日本フェザー級チャンピオン (物故)
       清田 保之 ○ 攻守完備のオリンピック希望の星
 ライト級 鈴木義三郎  ● 主将 日本ライト級チャンピオン (物故)
      鈴木誠四郎  ● 意外性に期待
 Lウェルター 小金井義明   ● サウスポー、大物食い (物故)
 ウェルター 桜井 襲治 ● 期待のルーキー
 Lミドル級  加島 義勝 ○ 無類のハードパンチャー、優勝の立役者
 当時の全国制覇に対し故永松先生と出場全選手に心より敬意を表し、明治大学OBとして感謝申し上げる。
 大阪、福岡と遠征試合の帰り、大阪で「バッテラ寿司」、浜松で「うなぎ弁当」を皆に振舞い、列車にて寛がれる先生のお姿、亡くなられて28年経った今も心に焼き付いている。