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明治大学体育会バレーボール部(スポーツ編)

 

バレーボール部の歴史
 
 監督 鈴木 康時
 
 1932(昭和7)年、バレーボールを通じて部員たるべく心身の練磨と技術の向上を目的として創部された。東大をはじめとする先行の大学が数校あったため1932(昭和7)年秋に関東学生連盟の2部より公式な活動がスタートする。翌1933(昭和8)年春には2部優勝を果たし同年秋に1部昇格を果たす。1936(昭和11)年関東学生連盟が解消し新たに関東大学排球連盟発足となり、この年より日本大学、立教大学とともに第一回「日立明定期戦」が開催されることとなり現在まで82回の大会を継続している。
 1943(昭和18)年から1945(昭和20)年の間は太平洋戦争のためリーグ戦は中止となったが1946(昭和21)年よりリーグ戦が復活となり、その年の秋季リーグ戦において優勝を果たした。さらに1948(昭和23)年には早稲田大学、慶応大学とともに「全早慶明定期戦」が開催され、記念すべき第一回大会で見事優勝を飾った。
 翌1949(昭和24)年には日立明定期戦、関東1部春季リーグ戦、全日本インカレ、関東1部秋季リーグ戦に優勝。1951(昭和26)年には関東総合選手権、関東1部秋季リーグ戦に優勝、1952(昭和27)年には関東総合選手権および全日本バレーボール男女選手権大会に優勝し日本一の栄誉を勝ち取った。更に1956(昭和31)年から1959(昭和34)年春季まで関東大学1部リーグ戦7連覇を樹立し、数々の大会において優勝を果たしてきた。
 また、国際大会に於いては1958(昭和33)年のアジア大会9人制にコーチ柿沢忠夫、主将西原澄、FC小林光博。6人制に主将の板橋知義、吉田昌博、出町豊らを輩出し双方ともに優勝を勝ち取った。
 1963(昭和38)年東京国際スポーツ大会に徳富斌、翌1964(昭和39)年東京オリンピックには出町豊(主将)、徳富斌らが選出され、銅メダル獲得の原動力となった。
 然し昭和40年代に入り明治は9人制から6人制へと移行していく中で徐々に精彩を欠き、1970(昭和45)年秋には2部に転落し、1975(昭和50)年に昇格するも1977(昭和52)年に再び2部に降格、その後1981(昭和56)年、1986(昭和61)年、2001(平成13)年と1部に昇格するがいずれも1シーズンで降格となり、苦しい時代を過ごしてきた。その間にも卒業生からは1990(平成2)年に全日本男子メンバーに金子敏和が選出され、さらに1996(平成8)年から2000(平成12)年まで全日本男子バレーボールチームの監督を務めた寺廻太など、日本のバレーボール界へ多くの人材を輩出している。
 その後、2006(平成18)年大学の支援強化策とともに有望選手が続々と入部するようになり、1部リーグに復帰、2013(平成25)年には第32回東日本インカレ初優勝を飾り、古豪明治の復活を成し遂げている。
 関東大学1部リーグの上位に定着している現在、かつてのように実業団で活躍する選手も徐々に増えており、バレーボール国内トップのV1リーグにはパナソニックパンサーズの新貴裕、ウルフドッグス名古屋の小川智大、そして2020(令和2)年度主将の池田颯太はVC長野に内定をしており、指導者としてはV1リーグ女子PFU監督である坂本将康などの活躍が期待される。
 これからも明治大学のモットーである拾って繋ぐバレーを展開し、大学のトップを目指し伝統を繋げていきたいと考えている。