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明治大学体育会卓球部(スポーツ編)

第1回アジア卓球選手権大会(北京、1972年)で団体優勝を果たし優勝カップを掲げる日本選手団監督の兒玉圭司氏(左端)

 

卓球部 兒玉圭司『思いは叶う』
 
 駿台卓球会 幹事長 松井右近

 明治大学卓球部の創部は1931(昭和6)年。団体戦では全日本学生選手権(インカレ)優勝17回、関東学生リーグ戦では累計優勝回数を47回に伸ばし新記録更新中である。
 また、個人戦では、直近60年間に全日本覇者9名を輩出、同優勝延べ回数は28回(中でも水谷 隼10回、斉藤 清8回、松下浩二4回の優勝は特筆される)を数え、日本卓球界を常にリードしてきた。
 半世紀に亘り総監督を務める兒玉圭司は、1935(昭和10)年生まれ、東京都出身。経営学部3年の時の世界選手権(東京)でシングルス ベスト16入りを果たし、また日本選手団の監督としても10数年に亘り活躍し、世界選手権やアジア大会等で獲得したメダル数は合計54個(金17・銀13・銅24)を数える。
 『兒玉語録』は1996(平成8)年2月から書き始め実に25年を超えた。情熱と信念を持って卓球道を極めるよう、また将来に向かって深みある人生を歩めるよう卓球部公式ホームページに毎月掲載し学生達に語り掛けている。
 現在の常勝明治の原点は、明治大学創立100周年(1980・昭和55年)の年に遡る。当時は近畿大学が黄金時代で明治の勝つ確率はゼロに等しかった。しかし、ほんの少しでも可能性があるならやろうじゃないかと、戦術・戦略の両面で必死に近大対策を重ねた。インカレ決勝戦は最後までもつれ、石田覚(4年 主将)がもう後がない状況から、まさに神がかり的な勝利で28年ぶりの優勝に輝いた。これを機にその後団体・個人とも優勝を重ねていくことができた。
 兒玉圭司は正月の書き初めを毎年続けている。その一つに『思いは叶う』がある。現在、選手達のユニホームの背中にプリントされている。西調布の練習場には『卓球界の王者たれ 明治大学』の横断幕が掲げられている。勿論兒玉圭司の揮毫である。
 2016(平成28)年のリオ・オリンピックでは、倉嶋洋介監督(くらしま・ようすけOB)、水谷 隼(みずたに・じゅんOB)、丹羽孝希(にわ・こうき 当時政治経済学部4年)の明治軍団の活躍で団体銀メダルを獲得、男子シングルスでも水谷 隼が見事銅メダルに輝いた。オリンピックでの男子メダル獲得は初めての快挙である。
 現在、日本学生卓球連盟会長であり、また駿台体育会名誉会長として来る東京オリンピックでの学生の活躍を期待している。
 兒玉圭司は、50歳から創業した株式会社スヴェンソンを軌道に乗せ、実業家としても成功を収め(現在は会長)、個人的には外交関係樹立60周年記念を迎えたラオスに小学校と卓球施設を寄付するなど国際貢献にも情熱を注いでいる。
 今後も、本人の造語『願晴る(がんばる:願いを込めて晴れやかに努力するという意味)』を胸に人生のロマンを追求し挑戦は続く。