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明治大学体育会レスリング部(スポーツ編)

第16回メルボルンオリンピック 2位笠原茂氏(フリーライト級) 第19回メキシコオリンピック 優勝宗村宗二氏(グレコ・ライト級) 同上 第20回ミュンヘンオリンピック 優勝柳田英明氏(フリー57㎏級) 同上 2位 和田喜久雄氏(フリー68㎏級)

 

明治大学で24番目に誕生したレスリング部
 

小柳義人

   1933(昭和8)年、伊集院浩氏が松田滋夫(初代主将)、井手温良、渡辺海三(2代目主将)の三氏および柔道部員数名を早大レスリング部道場に通わせ、技術を修得し、翌1934(昭和9)年にレスリング研究会として発足させた。顧問には小柴為三氏、コーチはハワイから招いた遠山勲氏があたった。
 1936(昭和11)年正式にレスリング部と改称し、大学の承認を得た。初代部長として西村文太郎氏が就任した。ついで1941(昭和16)年から1969(昭和44)年まで佐々木吉郎氏が部長に就任し多大な貢献を果たしている。ついで1970(昭和45)年から1973(昭和48)年まで皆河宗一氏が部長に就任、1974(昭和49)年から1984(昭和59)年までは水谷光壮氏が就任、1985(昭和60)年から1990(平成2)年に笠原茂氏が就任、1991(平成3)年より山田庫平氏が就任、2005(平成17)年より千葉貴律氏が就任し現在に至っている。
 初代監督には、水谷光壮氏が1941(昭和16)年から1957(昭和32)年まで就任し、部の指導に力をそそいだ。1958(昭和33)年から1981(昭和56)年まで笠原茂氏が就任、1982(昭和57)年から2004(平成16)年まで田部井茂氏が就任、笠原、田部井監督は20年以上の多岐(物心両面)に亘り、部の指導に力をそそいだ。その後、2005(平成17)年より山村健氏、2008(平成20)年より岩山喜代司氏、2014(平成26)年より中出幹児氏、2018(平成30)年より小柳義人がそれぞれ就任し現在に至っている。
 部の主な競技歴として、1938(昭和13)年から1941(昭和16)年まで関東大学リーグ戦で6連覇、戦後再開した東日本学生リーグ戦に13回の優勝を勝ちとっている。また、全日本学生王座決定戦は優勝5回、個人戦の競技成績においては、第10回ロサンゼルスオリンピック(1932年)で河野芳雄(フリーフェザー級)氏が参加、第11回ベルリンオリンピック(1936年)では吉岡秀市(グレコ・フェザー級)氏が出場、水谷光壮(フリーフェザー級)氏6位と入賞。第15回ヘルシンキオリンピック(1952年)では、富永利三郎(フリーフェザー級)氏が5位、霜鳥武雄(フリーライト級〉氏が6位に入賞。第16回メルボルンオリンピック(1956年)では、笠原茂(フリーライト級)氏が銀メダル、飯塚実(フリーバンタム級)氏が5位に入賞、第17回ローマオリンピック(1960年)では、阿部一男(フリーライト級)氏、青海上(グレコ・ミドル級)氏、石倉俊太(グレコ・ライトヘビー級)氏が参加、第18回東京オリンピック(1964年)では、渡辺保夫(フリーウェルター級)氏が5位、プロレスラーとして活躍した斉藤昌典(フリーヘビー級〉氏、風間貞夫(グレコ・ウェルター級)氏、プロレスラー・実業家として活躍した杉山恒治(グレコ・ヘビー級)氏が各々参加、第19回メキシコオリンピック(1968年)では、宗村宗二(グレコ・ライト級)氏が我が部初の金メダルを受賞、第20回ミュンヘンオリンピック(1972年)では、柳田英明(フリー57kg級)氏が金メダル受賞、和田喜久夫(フリー68kg級)氏が大学在学中に銀メダルを受賞し活躍した。第22回モスクワオリンピック(1980年)では、多賀恒雄(フリー62kg級)氏、宮原章(フリー68kg級)氏の両氏は、日本不参加のため幻の代表選手となった。
 何より、明治大学レスリング部からオリンピックにおいて、金メダリスト2名、銀メダリスト2名、世界チャンピオンを輩出したことは、特筆するものである。
 その後、全日本学生選手権及び全日本大学選手権大会、世界学生選手権大会、アジアジュニア選手権にて活躍した選手が多数いるが、近年では、新興大学の隆起に伴い、学生の力が拮抗し、戦国時代の様相を呈している。また、ちびっ子レスリングの普及等レスリング選手育成の環境が激変し、他大学との選手獲得合戦の結果が、部の将来を決定づけることは否めない。大学当局における入試制度の改善等、選手獲得における環境は大きく改善されており、今後更なる精進を重ね、「古豪復活」を目指し、OB会及び指導陣の力を結集させ、科学的トレーニングにより輝かしい戦歴と伝統を築き上げていきたい。