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明治大学体育会ハンドボール部(スポーツ編)

2016年度春季リーグ優勝 2018年大阪インカレ 試合前の円陣

 

ハンドボール部の歴史と人物
 

加藤良典(ハンドボール部監督)

 

ハンドボール部は、1938年(昭和13年)より始まった関東大学リーグ戦に参加して、同年秋季リーグに優勝し、1941(昭和16)年に体育会加入が認められた。創部の中心は菅浦一であった。菅は後に関東学生ハンドボール連盟の会長に就任し、ヨーロッパへ指導者・学生を派遣して、国際交流・育成に尽力した。1943(昭和18)年秋季リーグから1945(昭和20)年までリーグ戦は戦争のため中断された。この戦争により学業なかばで9名の先輩諸兄が亡くなられている。終戦後の1946(昭和21)年にはリーグ戦が再開され、秋季リーグで優勝している。
 1951(昭和26)年春季1部リーグ2位、1954(昭和29)年秋季1部リーグ2位・全日本総合選手権大会で3位となっている。1959(昭和34)年は、春季1部リーグ優勝、全日本学生選手権は準優勝、全日本総合選手権は、3位という成績を収めている。1960(昭和35)年も全日本学生選手権は準優勝を収めた。1960年代に監督に就任した瀧口三郎(現東京都ハンドボール協会副会長)は、関東学生ハンドボール連盟理事長及び日本ハンドボール協会理事を歴任し、ハンドボール界の発展に尽力した。
 1970年代から入学難のため、1970(昭和45)年の部員9名、1972(昭和47)年の部員10名、1975(昭和50)年7名となり、部の存続自体が危機的状況に陥った。1977(昭和52)年は松本勇(岩国高出)、岡部大(川和高出)、加納洋二郎(佐世保北高出)等を中心に一部リーグを維持していたが、卒業後の1978(昭和53)年に入替戦に敗れ2部に降格した。後年、松本は実業団の中村荷役監督となり、日本リーグ・全日本総合選手権で幾多の優勝を飾ることになる。また、岡部は実業団の大崎電気で活躍し、全日本選手にも選ばれた。1980年代に入り、1982(昭和57)年には部の歴史上初の3部リーグ降格となり、松本隆栄(現総監督・日本ハンドボール協会監事)に監督が交代した。1983(昭和58)年に2部に昇格し、1990(平成2)年の春季リーグで13年振りに1部昇格を果たした。
 2000年代に入り、スポーツ特別入試が始まり、選手の確保が出来るようになったことと併せて2008(平成20)年から前出の松本勇がコーチとして加入し、指導体制の強化を図った。2011(平成23)年には松本が監督となり、全日本学生選手権3位を収め、2016(平成28)年には57年振りに関東学生ハンドボール春季リーグ戦で優勝、全日本学生選手権は準優勝を収めた。2017(平成29)年から加藤良典(現明大職員)が監督に就任した。
 2020(令和2)年現在、当部は全日本学生選手権準優勝3回、関東学生ハンドボールリーグ戦優勝4回という実績を収めている。また、トップリーグの日本リーグで活躍する卒業生も増えている。トヨタ自動車東日本(堤由貴、中川翔太)、大同特殊鋼(池辺大貴、瀧澤尚也)、トヨタ車体(吉野樹、山田信也)、湧永製薬(荻原良太)、水野裕矢は琉球コラソン社長として活躍している。また、トヨタ車体の吉野は全日本選手として東京オリンピックでの活躍が期待されている。
 さて、当部の部則では、1.スポーツを通じて、人間形成をする。2.全てに自分のベストをつくす。3.チームに貢献する。4.毎年の目標を決め、その目標を達成するために、チーム全員が努力するとしています。応援に来られると、部員に「試合は必ず勝て」と熱く激励される大倉学部長(経営学部教授)に応えて、明治大学創立140周年に優勝という目標を達成すると確信して当部の紹介を終わりにする。