Go Forward

明治大学体育会四ヨット部(スポーツ編)

1940年のヨット部創始者の御一人である宮澤芳蔵氏は2018年現在、今尚かくしゃくたるお姿で存命である。奇跡的僥倖と言えよう 現在のスナイプ級の帆走 現在の470(ヨンナナマル)級の帆走 2018年現在OBOG会組織「駿台セーリングクラブ」会員は400余名を数える(故人含む)。現役部員数も近年は増加の一途を辿る。 A級ディンギー(当時のインカレ公式艇)の帆走(昭和20年代後半) ヨット発祥の地と呼ばれる葉山町は鐙摺海岸にほど近い本学ヨット部合宿所の威容(2013年落成)

 

ヨット部の歴史
 
 東に雄壮なる太平洋の潮流を望み、西に清冽なる日本海の波洗う、世界に冠たる美しい島国日本。有史以前はるか縄文の昔より先人たちは外洋に広く躍動していた。さて、わが明治大学体育会ヨット部である。その海洋民族的遺伝子の継承者の中で、森嶋通(初代主将)・足立光輝(次代主将)・宮澤芳蔵(いずれも1943年卒)は本学におけるまさにその魁であり、この3名の開拓精神により1940(昭和15)年3月創部の産声をあげたのである。 
 この時既に森嶋は手際よく、後に学長に就任される武田孟経営学部教授に部長の任を懇請し快諾を得ていた。一年余りの練習を経て初めて参加した大会では二部最下位であったが、1943(昭和18)年の第10回関東インカレでは二部ながら初優勝を飾るなど着実にその力を発揮していった。大東亜戦争戦局悪化に伴いその年の10月には学徒出陣、学生ヨット界の活動は完全に休止するが、戦後初の主将となった前田昭夫(1951年卒)はヨット部復興へ不屈の決意を以て臨み、1949(昭和24)年に明治大学体育会及び学生ヨット連盟に正式加盟が認められ未来に向けての歩みを始めた。先輩諸氏は努力を重ね続けた。初めて全日本学生ヨット選手権大会(全日本インカレ)出場を果たしたのは、1958(昭和33)年。当時主将だった田口喜三郎(1959年卒)はその後監督に就任し、1970(昭和45)年には、念願の全日本インカレ初優勝(スナイプ級)へと本学を導いた。大学ヨット界の雄として本学の名声は確固たるものとなり、世界に挑むレーサーも育った。1977(昭和52)年に470ワールド浜名湖での森敏貢(1974年卒)組の4位入賞をはじめ、西半球スナイプ選手権、五輪種目のレーザー級(一人乗)世界選手権などで本学のワールドレーサー達が躍動した。 
 大学ヨットには470級・スナイプ級という2種類(クラス)の船があり、各大学は各々のクラスのレースに3艇(二人乗)ずつ出場し順位による合計得点を競う。変化する風・潮流・他艇との駆け引きなどの要素が複雑に綾なし、体力はもとより知性も要求されるスポーツである。更に3艇のチームワークが重要なのは言うまでもなく、各大学は総合力の勝利を目指し鎬を削る。本学の目標は全日本インカレでの総合優勝だが、残念ながら過去最高位は総合2位(2回)とクラス優勝(3回)にとどまり、目標は達成できてない(2020年現在)。一方で個人戦優勝はこれまでに6組、女子は1組が成し遂げている。インカレでの勝利もさることながら、我々は明治大学伝統の独立自治精神を誇りとして未来の日本社会の発展を担うべき人材を育成するという永続的目標があるとし、合宿所生活を含む部の活動をまた教育の一環と捉えている。
 日本ヨット界への貢献としては、(財)日本ヨット協会(現JSAF)理事長を歴任し2008(平成20)年旭日双光章受章の吉原章雅(1955年卒)を筆頭に、JSAF理事や各県ヨット協会理事長などに就くOBが多数。また近年では日本銀行やNHKなど一流企業で活躍するOBは枚挙に暇がない。海のスポーツには安全が欠かせない。敬虔に海を愛し篤実に海に学ぶ。その姿勢の下で「眉秀でたる」人格が形成されるものと信ずる。