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明治大学体育会ソフトテニス部(スポーツ編)

故齋藤孝弘氏

 

思いやりと感謝——軟式庭球(1992年ソフトテニスに名称変更)指導者 齋藤孝弘(1935—2014)
 

重田 衛
 

 ソフトテニス部は、1905(明治38)年本学の初代岸本学長が会長となり設立された学友会の運動部(端艇部、柔道部、剣道部、相撲部、庭球部)の中の部として創設された。設立以来、その道のりは途中休部状態になるなど紆余曲折を経て今日に至っている。
 今回当部を紹介するに当たり創部以来の歴史を紹介するよりも現在の基本理念を確立させ活動を進めてきた前監督、故齋藤孝弘氏を抜きにして語ることはできない。同氏は1957(昭和32)年商学部を卒業し日本を代表する選手として最高潮の活躍していた1960(昭和35)年に監督を命じられ就任した。監督に就任して間もなく、どのような指導が良いのか迷っている時に女子高校のコーチの話がきた。内心指導の実験材料となると思い引き受けたのが富士見ヶ丘高校のコーチである。指導を始めた1年目でインターハイ個人戦優勝、2年目でインターハイ個人戦・団体戦を含め高校女子のすべてのタイトルを獲得するという信じられない結果を残した。その当時の主力選手がその後に本学に入学した畠中君代氏(現明治大学評議員)である。この成果が評価され日本軟式庭球連盟(現公益財団法人日本ソフトテニス連盟)の理事、強化委員になり、アジア大会、世界大会の日本代表監督として出場し全て優勝、負けを知らない監督として軟式庭球界の評価を得たのである。
 なお、畠中君代氏は齋藤監督の指導を仰ぐため入学するが、大学1年、2年でインカレ個人・団体で優勝を果たし3年からは硬式テニスに転向し全日本選手権大会に優勝、全米、全仏、全英、全豪の世界4大大会の本戦に出場するという快挙を成し遂げた。
 さらに、その他の指導育成した選手を見ると右近義信氏(1966(昭和41)年卒)アジア大会・全日本選手権大会優勝、桜井智明氏(1976(昭和51)年卒 現監督)、斉藤広宣氏(1990(平成2)年卒)、北本英幸氏(1991(平成3)年卒)、菅野創世氏(2006(平成18)年卒)は共に全日本選手権大会・世界選手権大会に優勝する選手を輩出した。また、斉藤広宣氏と北本英幸氏は共にその後ナショナルチームの監督に就任、北本氏は日本ソフトテニス連盟常務理事で強化委員長を務めるなど日本の指導者としてソフトテニス界に今なお貢献している。このように現役の指導ばかりではなく卒業後指導者の道を歩む人材を育ててきた。
 齋藤監督の信条は、スポーツのルーツは闘争から生まれたものと遊びの競争から生まれたものに分けられ、格闘技等は前者であり、球技等は後者であるという。
 また、各種競技は最初に始めた国が発祥の地として歴史に刻まれ、日本の武道として相撲、剣道、柔道、弓道などが生まれ国技としている。軟式庭球(ソフトテニス)については、若き日の高円宮殿下が全日本学生大会の開会式で「軟式庭球は日本で生まれ、日本で育ち発展してきた国技に等しいスポーツですので、ますますの発展を期待しています」とご挨拶されたのを伺い身の引き締まる思いをしました。我が意を得たりと以後誇りをもって軟式庭球に取り組み、国技としてのスポーツであることから基本は武道の基本精神である「礼に始まり礼に終わる」を指導の必須事項とすべきと説き、軟式庭球マンらしいといわれるような品位、品格が精神と競技性から育成されるように学生の指導に生涯を捧げたのである。
 晩年齋藤監督は、いくら良い選手がいても自分が手を抜いたら絶対に勝てない、そして選手のやる気と自分のやる気の競争の毎日だと言っている。思いやりと感謝の気持ちを忘れずに、を言い残し最後まで指導者を貫いた。また、勝負の根本は先手必勝で、先ず攻撃的な積極姿勢が精神の安定とフィジカルのリラックスを生み自己の本来の力が発揮できる。これは同氏が尊敬していたラグビーの北島監督の「前へ」と同一で基本の考え方です。今、その想いを現在の桜井監督が継承しクラブ運営にあたっている。