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明治大学体育会ワンダーフォーゲル部(スポーツ編)

全日本ワンダーフォーゲル聯盟高松山頂上(1940年) 繰り上げ卒業(1941年12月)春日井薫部長41歳 奥鬼怒山荘50周年式典(2013年)

 

ワンダーフォーゲルの父——春日井薫
 

1972年 政治経済学部 住田 孔一
 

 明治大学ワンダーフォーゲルの前身は「駿台歩行会(あるこう)」であった。1926(大正15)年海外留学から帰って母校の教壇に立った春日井薫教授は(のち学長・総長)、大学らしい学生の自発的研究を奨励すべく研究会を開いた。それが今日の金融研究会の起源である。商学部や政経学部の秀才が集まったが、この学生たち、どうも体が弱く、数十名の中七人までもが胸の病を患い、その中三人は不帰の客となったのである。「こんなことで安閑として教壇に立って居られない」と他の研究会の学生たちも誘って毎日曜郊外に出た。「良い空気を吸い、豊かな日光にふれ、歩き乍ら人生を語り、歴史を解き、理論を交わそうではないか」と言うのがこの歩行会であった。これが何時からとなく「駿台歩行会(あるこう)」と呼ばれるようになった。これを正式にワンダーフォーゲルに組織立てしたのは、当時文部省の奨健会を主宰していた出口林次郎氏(商学部教授)で、独逸仕込みのワンダーフォーゲル運動を全国的に進めていた(注)。母校にもこの部がないのは残念と、熱血漢師尾源蔵氏(校友・射撃部創立)の尽力もあって、「駿台歩行会(あるこう)」を母体として、そのまま明大ワンダーフォーゲルに改組したのである。1936(昭和11)年2月21日に23名の部員と共に発会式が行われ学生委員長には三本鳴美氏が就任し、これが明治大学ワンダーフォーゲル部の誕生であった。
 学生の活動は、自主性を重んじ、その行動規範として四項目の綱領を定めている。
  「我等の国土を遍歴して美しき自然に親しまん」
  「日本の地理と民俗に触れて祖国愛を高揚せん」
  「友愛と共同に依って力強く結びあわん」
  「純朴に剛健にスポーツ精神を発揮せん」
 部員は山行合宿を通じ様々な経験を積み、その活動の集大成が次期リーダーを養成する合宿である。1961(昭和36)年に奥鬼怒の地、手白沢近傍、標高約1500mの地に172名の部員が全ての建設資材を荷揚げして建てられた由緒ある奥鬼怒山荘周辺で行われる。7日間の過酷な訓練を終えて入荘する3年部員を4年部員が全員で出迎え、健闘を称える姿は何時も感動させられる。奥鬼怒山荘は青春を謳歌する所であり、自然を糧として若き青年を鍛える道場でもある。
 創部以来、約1300名の卒業生が全国各地で、法曹・経済・教育等々多分野で活躍し、1955(昭和30)年にはOB会(なため会)が組織された。足りないテント装備や一線で活躍するOBとの交流を通じた物心両面の支援は現役部員にとって心強い。特に三月に行われる卒業部員のOB会入会歓迎式典で、卒業生には4年間の活動の証として部員番号を刻した伝統のバックルが贈られる。社会に貢献する有能な人材を数多く送りだして来た明治大学ワンダーフォーゲル部に、これからもご期待いただきたい。

(注)ワンダーフォーゲル(Wander Vogel)とはドイツ語で「渡り鳥」を意味し、1896年にベルリンのシュテリッツ中学校の教師カ-ルフィッシャ-によって提唱された。渡り鳥のように山野を歩き、自然に親しみ、行ったことのない地を訪れ、見聞を広めて教養を養おう、雄大な自然に自らの歌声を響かせ、友情と信頼を暖めあおう、というのがその主な活動目的であった。