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明治大学体育会ウエイトリフティング部(スポーツ編)

1965年卒業アルバムより(明治大学史資料センター所蔵) 1966年卒業アルバムより(明治大学史資料センター所蔵)




明治大学体育会ウエイトリフティング部のプロフィール
本多達雄
 
 当部は、1952(昭和27)年、水谷光壮(文学部助教授・ベルリンオリンピックレスリング6位入賞)の発意のものと、北島忠治、田口美智留らの助力をえて、創部される。部長に藤原弘達を戴き、監督水谷光壮、主将神谷務夫、主務池田富男・関口通が初代役員となる。部員は10名であった。
 この時期における当部の創部には、いまだウエイトリフティングへの関心がほとんどなかった我が国にあって、その後の斯会発展のスプリングボードとしての役割を担ったと、自負するに十分なものがある。事実、監督水谷は、法大、早大に呼びかけ、関東学生、全日本学生ウエイトリフティング連盟の設立に尽力し、自らも会長となる。こうして、今日に至る学生、さらには我が国のウエイトリフティング界の組織的、運営上の基盤が据えられたのである。ここにはまた、当部設立後5年にして山崎弘(明大)、三宅義信(法大)両名が世界記録を樹立したことで、我が国のウエイトリフティングの普及に多大な貢献を果たしたことも忘れてはならない。
 2018(平成30)年に創部66年を迎えた当部は、その間幾多の名選手、役員、指導者を世に送り出してきたが、そうした成果は他校に優る練習量と研究熱心の賜物であったであろう。以下、1955(昭和30)年以後の当部及び当部OBの戦績について、簡単に記しておく。まずはオリンピックへの派遣であるが、白鳥博義・山口隆弘のメルボルン大会(1956年)を皮切りに、ローマ大会(1960年)には古山征男・山崎弘、東京大会(1964年)には古山征男・福田弘・山崎弘・三輪定弘、メキシコ大会(1968年)には木村岳夫・三輪定弘、モントリオール大会(1976年)には藤代末男、シドニー大会(2000年)には菊妻康治を派遣し上位入賞の健闘を果たしたのである。
 アジア大会でも、東京大会(1958年)の原善雄(銅)、バンコク大会(1966年)の木村岳夫(銀)と継岡正章(銀)、テヘラン大会(1974年)の藤代充彦(金)、バンコク大会(1978年)の角南保(銅)が成果を残し、2006(平成18)年ドーハ大会では平岡勇輝が活躍した。また、東アジア大会マカオ大会(2005年)で鈴木和美(銅)が成果を残した。
 世界選手権では、ストックホルム大会(1963年)で福田弘が銀メダルに輝いた他、これまで多くの選手が出場し、2007(平成19)年チェンマイ大会では朝田智弘・平岡勇輝の両選手の活躍が光った。
 国内での当部関係者の戦績も際立っている。ことに継岡正章が全日本優勝9回、国体優勝12回の成果をあげたのを筆頭に、全日本優勝4回、国体優勝9回の角南保、全日本優勝9回、国体優勝6回の鈴木和美の活躍が光る。
 また学生のメインイベントである全日本大学対抗選手権でも、団体9回の優勝を誇り、数多くの個人優勝者を生んできた。なお、ここに特記すべきは1958(昭和33)~1961(昭和36)年の4連覇の偉業と、創部50周年の記念すべき2002(平成14)年大会では、出場選手全員が3位以内入賞をもって完全優勝を遂げたことである。