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明治大学体育会スケート部フィギュア部門(スポーツ編)

当時のフィギュア部門選手(1932年)(明治大学史資料センター所蔵) 第26回インカレ男子シングルで表彰台を独占(1954年、1位・小林正水、2位・杉田秀男、3位・竹内巳喜男)(『明治大学体育会スケート部85年史』より転載) 第66回インカレ男子シングルで表彰台を独占(1994年、1位・竹内義明、2位・天野真、3位・重松宗隆)(『明治大学体育会スケート部85年史』より転載)


明治大学スケート部フィギュア部門の歴史
 
伊東秀仁(スケート部フィギュア部門監督)

 明治大学スケート部は、1925(大正14)年山岳部が赤城湖畔で全国学生氷上連盟の第1回インカレに出場するために合宿をしたのが部の前身である。しかし、残念ながらその第1回インカレには出場できず、第2回大会から参加することとなった。
 その第2回インカレ(1926・大正15年)は長野・松原湖で行われ、創部メンバーである久保信がフィギュアで2位になっている。その後、久保信は1930(昭和5)年、初めて行われた全日本フィギュアスケート選手権で初代チャンピオンになっている。
 日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)で男子総合優勝できたのは第13回大会であった。フィギュア部門はそれまで慶応大学が連覇を続けており、2位や3位が続いていた。優勝できたのは第15回大会からである。その原動力になったのは、有坂隆祐が入学してからであった。第15回大会では有坂は優勝を逃して2位であったが、3位に小林達雄、4位に木村司と本学の選手が入り、3人の合計で争うインカレで見事初優勝したのであった。
 その後、有坂隆祐は第11回全日本フィギュアスケート選手権大会から5連覇を成し遂げており、世界選手権にも出場した。
 第16回インカレで優勝するものの、その後はしばらく、優勝から遠ざかったが、第23回インカレから第31回大会まで9連覇を達成。明治の黄金時代が続いた。その最大の立役者は第23回大会から個人4連覇を達成した小林正水であった。重野和哉、久永勝一郎(のちに国際スケート連盟副会長、日本スケート連盟会長を歴任)、竹内巳喜男(1956年アイスダンス全日本初代優勝者、アイスダンス世界選手権代表)、杉田秀男(1955年全日本優勝者、世界選手権代表)、朽木久、道家豊が活躍。特に第26回大会では、小林、杉田、竹内で表彰台を独占した。34回大会から37回大会は36回大会の暖気で中止(屋外の大会のため)を挟み、3連覇を達成、個人の優勝はないものの、道家豊、今野和明、守永勝利、寺野正邦、その後監督で活躍した松本宣久がそれぞれ上位に入り、出場した3人の総合力で優勝に貢献した。
 その後、早稲田にチャンピオンの座を奪われるものの、42回大会からは道家敏充、吉沢昭、渡辺偉和夫、菊池明の活躍で4連覇を達成する。また、46回大会から48回大会まで3連覇を達成するが、その後は低迷が続いた。
 55回大会に伊東秀仁、大池弘之で久しぶりに優勝すると宮手浩の入部により、3人で切磋琢磨し、連覇を達成、さらに藤井辰哉が、小林正水先輩以来の個人でインカレ4連覇を達成する。竹内光明も61回大会と62回大会を個人で連覇、64回大会で優勝のアルベール五輪代表になった村田光弘とともに活躍した。この間55回大会から8連覇の明治の黄金時代となった。この期間は女子も活躍した。サラエボ五輪代表の加藤雅子が入部、三輪真佐江、結城幸枝、青谷いずみ、西田美和が活躍、女子も58回大会から62回大会まで4連覇を達成した。私も64回大会からフィギュアの監督に就任し、残念ながら惜しくも65回大会で日大に負け、2位となったが、66回大会では、竹内義明、天野真、重松宗隆、67回大会では相吉学、重松宗隆、天野真が表彰台を独占という2年連続の快挙を達成した。その後、鈴木誠一の入部により4連覇を達成した。女子も66回大会で1位佐野裕見、2位須田敦子とワンツーフィニシュで久しぶりに優勝した。78回大会は柴田嶺と田邉健の活躍で優勝、この年はスピードもアイスホッケーも優勝し、インカレ完全優勝を成し遂げた。女子は大学にリンクを持つ、中京大学、関西大学が優勝争いをしていたが82回大会、83回大会では石川翔子、萩原綾子、高山睦美、望月梨早の活躍で強豪校を破り、2連覇を達成している。86回大会から89回大会まで、西野友毬は女子では史上初の個人で4連覇を達成した。
 86回大会から優勝に遠ざかっていた男子も91回大会で中野耀司、鎌田英嗣、佐上凌が大逆転で関西大学、同志社大学を破って優勝した。令和になっての92回大会は樋口新葉、松原星、佐藤伊吹で女子が優勝した。
 日本学生氷上選手権大会(インカレ)は92回の歴史の中、明治大学は57回の総合優勝を遂げており、フィギュアも男子で38回、女子で8回の優勝を飾っている。その伝統を受け継ぎ、さらに進化しているフィギュアはこれからも多くの歴史を刻んでいくだろう。