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明治大学に残る戦争遺跡(3)(キャンパス編)

【写真1】敗戦直後の中野駅北口付近の空中写真(1947年 米軍撮影:国土地理院所蔵) 【写真2】現在の中野駅北口付近の空中写真(2019年 国土地理院撮影・所蔵) 外枠:旧中野学校の敷地、内枠:明治大学中野キャンパス 【写真3】東京警察病院内の「中野学校趾碑」(2022年11月 山田撮影) 石碑の前に植栽があり、近づかないと石碑の存在に気がつかない。 【写真4】東京警察病院内の「中野学校趾碑」(2022年11月 山田撮影) 【写真5】中野学校にふれている中野四季の森公園の案内板(2022年11月 山田撮影)

                                                                               2022.12

明治大学に残る戦争遺跡(3)

明治大学史資料センター運営委員
山田 朗(文学部教授)

 明治大学のキャンパスにはいくつかの戦争遺跡が存在している。すでにこのコラムでも、それらを紹介してきた(注)。今回は、現在の明治大学中野キャンパスが、かつての陸軍中野学校(以下、中野学校と記す)の跡地であることと付近に存在している戦争遺跡について紹介したい。
 中野学校は、旧日本陸軍における〈秘密戦〉要員の専門育成機関である。〈秘密戦〉とは、防諜(スパイ取締り)・諜報(スパイ活動)・謀略(攪乱工作)・宣伝(プロパガンダ)を指している。登戸研究所(現・生田キャンパス)が〈秘密戦〉のモノ作りの中心地であったのに対し、中野学校(現・中野キャンパス)は〈秘密戦〉のヒト作りの中心地であった。登戸研究所と中野学校はともに、参謀本部第8課(謀略課)によって実質的に指揮されており、登戸研究所の所員が開発した兵器・資材について中野学校で講義するなど、両者は密接に結びついていた。
 中野学校は、1938(昭和13)年に九段に開設された「後方勤務要員養成所」から始まり、その後、1939年には中野の旧電信隊跡(現・JR中野駅北側)に移転、参謀本部直轄校になり、1940年に正式に「陸軍中野学校」と呼称されるようになった。中野学校の東隣り(中野駅寄り)には憲兵学校があったが、憲兵学校に通う軍人にも、それに隣接する施設が何であるのかは分からなかったと言われている。
 日中戦争の泥沼化、日米戦争の開始といった激動の情勢の中で、中野学校は高度に訓練された〈秘密戦〉要員を育成し続けた。戦況の悪化にともない、1944年には静岡県磐田郡(現・浜松市天竜区)に、「遊撃戦」(ゲリラ戦)要員の養成機関として二俣(ふたまた)分校が設置され(1974年にフィリピン・ルバング島から帰国した小野田寛郎さんはその1期生)、また、1945年4月には本土決戦にそなえ中野学校は本部を群馬県富岡町(富岡中学校)に移転した。開設から敗戦までに2,131名が卒業し、それらの人々のうち戦死289名・刑死8名・不明376名とされている。中野学校出身者が、戦時中、どのようなことをしていたのか、それは断片的にしか分かっていない。
 「明治大学に残る戦争遺跡」を紹介する企画なのだが、残念ながら、1947年の空中写真【写真1】で映っている旧中野学校の建物などは、現在、何も残っていない。【写真2】で比べてみると、中野学校の敷地がどれほど広大であったかわかるだろう。現在、中野学校がかつてこの土地に存在したことを示しているのは、東京警察病院内にある「中野学校趾碑」【写真3・4】だけである。この石碑は、中野学校関係者が戦後に建立したものであるが、いつ、建立されたのか、石碑には刻まれていない。現在、明治大学中野キャンパスになっている土地は、中野学校の敷地の南西角に位置し、面積でいうと中野学校の10分の1ほどであろう。キャンパスに隣接する中野四季の森公園の案内板【写真5】は中野学校にもふれているが、この案内板そのものが極めて目立たない。
 できれば、現在からは想像もつかないことだが、それでもこの土地にかつての〈秘密戦〉の担い手を養成した中野学校があったのだ、ということと、その敷地の一部に明治大学の中野キャンパスがあったのだ、ということを何らかの形で後世に残す手立てはないものだろうか。このコラムもささやかなその1つの試みかもしれない。

(注)「明治大学に残る戦争遺跡(1)」(2020.12、山田執筆)として和泉キャンパスの「飯塚先生留魂之碑」、「生田キャンパス史(1)」「同(2)」(2021.1、松下浩幸農学部教授執筆)として登戸研究所関係の「旧36号棟」(現・平和教育登戸研究所資料館)・「弥心神社」(現・生田神社)・ヒマラヤ杉並木と車寄場跡・「動物慰霊碑」等の遺跡、「明治大学に残る戦争遺跡(2)」(2021.12、山田執筆)として生田キャンパスの登戸研究所関係の「26号棟跡」・「5号棟跡」・「防火水槽」・「弾薬庫」を紹介している。