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神保町界隈で2022年10月に起きた出来事~福岡卓二へ捧ぐ~(キャンパス編)

2023.4
神保町界隈で2022年10月に起きた出来事
~福岡卓二へ捧ぐ~

明治大学史資料センター運営委員
福岡英朗(法学部事務長)
 
2022年10月初頭。
 秋学期が始まり、なんとなく自分の気分も軌道に乗って来た。神保町の空は夏よりも高くなっているが、青くて気持ち良い。お昼休みに外へ出て「そうだ、夏の間は行っていなかったな」と、カフェ・デ・プリマベーラへ行ってみる。いつもの、あをあをとした植物が生い茂った入り口に到着すると、閉まっている。いつもと様子が違うのがわかる。すぐに看板へ目が行く。看板には9月末日でお店を閉めたことが書かれていた・・・。
 30年以上前から存在しているお店なので、永遠に続くとは思わないが、無くなるなんてことの覚悟ができていなかった。おそらくご夫婦であろうお二人が切り盛りしていた。お二人の見た目は30年前と変わらなかったが、身体の動きは、確かに昔とは変化していることに気づいていた。
 9月末で閉めた、という事実も、ボディブローのように効いてきた。「つい数日前に来ていれば・・」という後悔がおそってくる。このお店は独り客も多かったので、神保町界隈では、僕と同じく静かに悲しんでいる人も多いのではないか。いつも食べていたプリマムッシュ、林檎が挟まったサンドウィッチはもう永遠に食べることはできないのだ。
 
10月25日の火曜日。
 なんとか夜8時前に仕事を終わらせ、ほっとした気持ちで神保町駅へ向かって歩く。大学から駅までには、ジャニス2やディスクユニオンがあり、仕事終わりのクールダウンで、CDやレコードを見たりするのは本当に安らぐ。買っても買わなくても良い。店は8時に閉まってしまうが、その前に仕事が終わると、その「ちょっと」だけが、嬉しいものなのだ。(たまに遠出してTony Recordへも行ったりもして)
 ディスクユニオンは大きな店ということもあり、自分独りでいろいろ探る。しかしジャニス2は、狭いお店(元貸しレコード屋さんが5~6年前に閉めて、中古CD販売部門のみ残った。売り場だけで8畳くらいだろうか)で、店員さんとお客さんが割と近い。最近は、通販機能を高めるため、売り場を倉庫機能が侵食してしまい、僕がCDを探すことができるのは4畳くらいとなっていた。
 店員さんは近いが、積極的に話しかけてくることは無く、こちらが探している時は、なんとなく見守っている風。僕も、具体的なタイトルを探すことはあまりなく「自分は今、何が聴きたいんだろう?」という、目的地を定めない探し方をしていることが多い。
 店員さんは、見守ってくれているけど、たまに話しかけてくれる。これまで聴いたことのなかったジョニ・ミッチェルのブルーをレジへ持っていくと「やっと見つけましたねえ、素晴らしいですよ」とか、ジム・ホールとビル・エバンスのアンダーカレントを見つけた時は「あー、これ、いいですよ」とか、なんとなく、投げられたボールを持ち帰った犬のような、正解を見つけて褒められているような、良い気分で家路につけることが多かった。
 ジョアン・ジルベルトの三月の水(おそらく大学近くにある漢陽楼の上のお店はここからインスピレーションを受けた)があった時は即買ったし、BBキングの刑務所慰問ライヴCDの置いてある場所を記憶して、いつか買おうと思っていた。
 さて、10月25日の夜、仕事終わりの8時前、ジャニス2へ向かう。この頃は、ジャクソン・ブラウンに凝っていて「彼のセカンドアルバムが無いかなあ」と今回は目的を持ってお店の前へ着く。後から知ったのだが、前述のジョニ・ミッチェルもジャクソン・ブラウンも、デヴィッド・クロスビーが彼等の才能を認め、デビューへの助力をしてあげたとのこと。同じ人物によって才能を発見された二人を、2022年の秋に、何故か僕は凝っていた。サンキュークロスビー、君はもう居ないけど、君が50年前に見つけてくれたシンガーソングライターのCDを、僕は今聴いているよ(2023年1月18日逝去)。
 そんな感じで、お店の前に着くと、看板が立っている。看板には「10月23日で閉めました」とある。—立ち竦む—ということはこういうことなんだと自覚できるほど、茫然とその看板を、おそらく2分くらいはじっと見ていたと思う。2日前にはまだやっていたという事実が、ジャブのように襲って来る。倒れるまではいかないが、ダメージが徐々に効いてくる。
 
10月31日
 外へお昼を食べに行く際に、ジャニス2の前を通る。というか、ここ数日はなるべく店の前を通るようにして、様子を伺っていたフシもある。ビル1階共同ドアの鍵が開いていたので、店のある2階へ行ってみる。案の定、お店の中では片付けをするいつもの店員さんたちが居た。
 「閉店、とても驚いたのですよ。さみしいですし、大変残念です。」と僕。「ツィッターでお知らせはしていたのですが。」と店員さん。「ツイッターかぁ、僕、SNSやってないんですよねえ」。でも、ほんとうに、あのまま終わりでなく、今日会えて良かった旨お伝えすると、11/11~13の間で、在庫一掃セールを実施するということを教えてくれた。
 その後、神保町の喫茶店ミロンガ・ヌオーバへ向かうが、満席に近い状態だったので、お昼を食べるのは諦める。
 夜、仕事帰りに、再度ミロンガ・ヌオーバへ寄ってみる。さすがに夜は満席というほどではない、が、いつもよりも混んでいる。店員さんへ「なんだか繁盛していますね。」と話すと「神田古本祭りの時期というのもありますが、今年で一旦閉めるので、それを聴いたお客さんが来るんですよね。」とのこと。「え!閉めるのですか?」と驚く僕。「インスタでお知らせしているのですが。」とのこと。「インスタかぁ、、、、、僕、SNS~」と昼のジャニス2と同じセリフを言う僕。
 良く話を聴くと、年末に一旦閉めて、その後移転して、新年には新たな店舗で開店するとのこと。
 『移転先で店は続くとしても、ミロンガはこの場所だから良いんだよねえ』と思いながら、レジでお金を払って店を出る。教えてもらった移転先の前を通ってみると、『ん?意外と良い場所じゃない(^^♪』と思い直す。
 
11月11日。
 先日教えてもらった在庫一掃セールを覗きに、ジャニス2へ向かう。開店は11:30とのこと。僕の昼休みも11:30からなので、こりゃ有利だ一番手だ、と思っていたら、先客がわんさか、店内を歩けないほど居た。狭い店内で人の間をすり抜けていく。目に付いたCDは、考えずに籠に入れる。まさに、映画「アザーミュージック」で観た閉店風景と同じだと思った。
 それにしても、平日の11:30に出て来た僕よりも先に居るこの沢山のお客さん達って、何をしている方々なのだろう?と思った。きっと、いろいろな仕事をされている方々なのだろう。店内にスーツ姿は僕だけだった。
 店員さんへ「今日の日を教えてもらってよかった」と併せてこれまでのお礼を言い、店を出る。実はその2週間後くらいに、神保町駅でばったり会い、通りすがりに挨拶するのだが、流石にもう、お互い照れがあった。友達ってわけではないしね。
 
エピローグ
 思い出してみると、最後にプリマベーラへ行ったのは7月だった。その時に「このバナナ、いつも美味しいですが、有機なのですか?」と聴いてみた。ご夫婦は明確な回答はせず、追加でもう一個、バナナの蜂蜜がけをテーブルに置いてくれた。その時ふと「このお店はいつ頃までやるつもりですか?」と聴いてみたくなったが、やっぱり失礼な気がして止めた。
 プリマベーラ、いろいろな思い出があるが、終わってしまうと、その最後の思い出だけが刻印のように記憶に残ることとなった。人に対する記憶って、付き合っている間は最初の印象がずっと残っているが、関係性が終わってしまうと、今度は最後の印象が上塗りされて記憶として残る気がする。
 今後も、こんな想いをすると思うと、危機管理、というか、自分でも覚悟をしておかないとな、と思う。
 大学近くの時計屋の修理屋さん、振天堂。この店は今、火曜と木曜しか開店していないが、僕の腕時計の電池は全てここで入れてもらっている。さすがに今回電池交換の際に「このお店はいつ頃まで続けられる予定ですか?」と聴いてしまった。すると店主さん「まだまだ続けるつもりですよ」と笑いながら応えてくれた。こないだ逝った父の形見も、この店で電池を入れてもらうこととなるのだろう。
 そして、カワセ楽器。正確で必要最低限(楽器ではこれが大事)の修理、その分リーズナブルな料金、ここが閉店となったらつらい。
 
2023年3月7日。
 入試業務が落ち着き、久しぶりに外へお昼を食べに出る。この新年からしばらく休店していた、広島風汁なし担々麵のお店へ「そろそろ再開しているかな?」と思って行ってみる。案の定、お店は開いていたが、前に居た店主はおらず、替わりに二人の店員さんが働いていた。
 注文した汁なし担々麵を食べていると「前のお店にも来られてたのですか?味が変わっていないと良いのですが。何か変わったりしていますか?」と、二人が丁寧に聴いてくる。「そうだねえ」とバイキングの小峠のように応える僕。「味は変わっていないです。でも、さっきから店内中に流れているファンクミュージック、これは前には無かったねえ!」僕の入店時から店内には、スライ&ザ・ファミリーストーンやファンカデリックの音楽が流れていて、なんだか不思議だったのだ。
 「僕たち、前はカフェ店員だったので、音楽が好きなんです。店に合うものをいろいろ試した結果、ファンクに落ち着きました。」と二人。僕が「デルタブルース、カントリーブルースとかも汁なし担々麵には合いそうな気もするけど」というと、「あ、それも試したんです。でも、お客様一人の時とかは、ブルースだと暗い気持ちになっちゃって。」
 心の中で『わはは!これでいいんだ』と僕は思った。このお店には、僕が好きだった寡黙な店主はもう居ない。その替わり、タイプのまったく違う元カフェ店員二人が、ファンクミュージックを流しながら店を切り盛りしている。『これでいいんだ!わはは』。
 
 生きている、生き続けているということは、常に何かを失ったり損なったりを続けていることだ。そして、それは歳を重ねるほど多くなってくる。それが街や店の場合もあるし、人の場合もある。その都度、僕等は傷つくし、心の中には欠落感や喪失感、空洞のようなモノもできる。
 でも、その空洞は、埋まるのだ。パテのようなもので補修されるのだ。汁なし担々麵屋の元カフェ店員のように。
 プラマイゼロにはならないし、傷痕は残るかもしれないが、傷そのものは癒えるのだ。
 親しい人の死も、いつか、どこかで補修されるのだ。ミロンガ・ヌオーバの新店舗のように。
 神保町も誰かの人生も、その歴史を擬人化して可視化してみたら、補修ばかりで傷痕だらけなのかもしれない。だけれども、失って埋めての、その、ぼっこぼこの見た目こそが、生き続けて来た(そして今後も生き続ける)ことの証なのだ。
 春が来た。