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阿久悠と「甲子園の詩」~最高試合~(文化人編)



2023.6
阿久悠と「甲子園の詩」~最高試合~

学術・社会連携部博物館事務室
大学史資料センター担当
福田厚史


 

 阿久悠は生涯で5,000曲以上の作詞を手掛けた日本を代表する作詞家であるが、小説『瀬戸内少年野球団』を執筆しているように大の野球好きでもあった。そのため、阿久悠の作品には野球を題材としたものも多い。そのような作品の一つとして、スポーツニッポン紙に1979年から2006年にかけて掲載した「甲子園の詩」がある。
 「甲子園の詩」は、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の一回戦から決勝までを観戦し、毎日一編の詩を作り、観戦記と一緒にスポーツニッポン紙に掲載したものである(1)。阿久悠は、28年間で363編の「甲子園の詩」をスポーツニッポン紙に掲載した。今回、このコラムで紹介する「最高試合」は、執筆初年度の1979年の作品の一つである。先に書いたように、「甲子園の詩」は毎日一編を執筆しているため、阿久悠は夏の甲子園の期間中、一日中試合を観戦していた。そして、締切に間に合うように、その日のうちに詩と観戦記を書き上げるということを繰り返していた。そのため、基本的には観戦した日の試合から一試合を取り上げて詩の題材とし、翌日の紙面に掲載した。しかし、執筆初年度の1979年の作品には、例外のものがいくつかある。「最高試合」は、その例外の一つであり、試合があった翌日の紙面ではなく、四日後の紙面に掲載した。
 「最高試合」は、夏の甲子園の大会史上に残る名勝負である第61回大会の三回戦、箕島高校(和歌山)と星稜高校(石川)の一戦を題材としている。この一戦は当日の第四試合であり、延長18回(2)で決着が着いたため、試合終了が20時近くとなった熱戦であった。また、その試合内容も劇的なものであり、箕島高校は延長12回と16回にともにツーアウトランナーなしからホームランで同点に追いつき、引分寸前の18回にサヨナラ勝ちをした。勝ち上がった箕島高校は、三日後の準々決勝に登場、勝利した。阿久悠は、延長18回の熱戦から三日後の試合も快勝した箕島高校を見て、準々決勝ではなく、あえて三日前の三回戦を題材としたのである。このことについて、阿久悠は「まだ、脳裏に残っている名試合を賛歌として書き残したいと思った。」と観戦記に書いている(3)。本学の駿河台キャンパスアカデミーコモン地下1階にある阿久悠記念館では、上記の「最高試合」の詩の全文を展示パネルで紹介している。ご来館の際には、当時の試合内容を踏まえて、ご覧いただき、当時の阿久悠が覚えた興奮を感じていただきたい。
 また、6月6日(火)から9月30日(土)の期間には、特別展示コーナーにおいて、過去にも展示した「甲子園の詩」4編を展示パネル、直筆原稿(複製)、取材ノートとともに展示する。阿久悠が28年間にわたって執筆した「甲子園の詩」。夏の甲子園への思いの一端、情熱といったものにぜひ触れていただきたい。


(1) 2004年は休載。2005年、2006年は準決勝、決勝のみ掲載。
(2) 現在と異なり、第61回大会では延長戦は18回まで実施していた。
(3) 阿久悠『甲子園の詩』福武書店、1984年、31ページ