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相続放棄に関する三淵嘉子論文(法曹編)

明治大學女子部創立二十周記念論文集

 2023.5
相続放棄に関する三淵嘉子論文

明治大学史資料センター所長
村上一博(法学部教授)

 ここで紹介するのは、三淵嘉子が、東京地裁判事補に就任する以前に、明治女子専門学校(1944[昭和19]年に明治大学専門部女子部を改組)の教授として(和田姓で)執筆した論文、和田嘉子「相続放棄に関する一問題(法律相談ノートより)」『明治大学女子部創立二十周記念論文集』(1949[昭和24]年3月発行)である。
 第二次大戦後の改正民法は配偶者の相続権を強化し、第1順位から第3順位の他の相続人とともに、常に相続人となる旨を定めたが、第939条は、同種類の相続人しか存在しなかった明治民法第1039条をそのまま継承し、「放棄は、相続開始の時にさかのぼって効力を生ずる」(第1項)、「数人の相続人がある場合において、その一人が放棄したときは、その相続分は、他の相続人の相続分に応じてこれに帰属する」(第2項)と規定したため、放棄された相続分がどのように他の相続人に帰属するのか(とくに直系卑属である子が放棄したとき、配偶者にも帰属するのか)について、見解が分かれる事態となった(ちなみに、相続分には、プラス財産のみならず、マイナス財産[債務など]も当然に含まれる)。
 当該論文において、三淵は、5通りの解釈の可能性を指摘したうえで、次の説を妥当とした。第939条第1項は、「相続放棄により、放棄者が相続開始時生存していなかったと同様の効果を生ずることを意味するが、放棄者の相続分の帰属については、同条第2項によってこの原則の修正が行われ、放棄者の相続分は、他の総ての共同相続人に帰属することゝなる」。したがって、例えば直系卑属2人のうち1人が相続を放棄したときは、その相続分(3分の1)は、他の1人の直系卑属と配偶者にその相続分(直系卑属は3分の1、配偶者も3分の1)に応じて帰属するから、直系卑属と配偶者はそれぞれ6分の1ずつ(本来の相続分と合わせて6分の3ずつ)を取得することになるという。三淵は、当時実務家の多くが主張していた、いわゆる「頭分け」説を支持したのである。ちなみに、最高裁も旧939条の解釈としては、この「頭分け」説を採用している(最判1967[昭和42]年5月30日、民集21巻4号988頁)。
 もっとも、三淵の見解が他説を圧倒するには至らず、その後も学説・実務(法務省の不動産登記の先例と国税庁の相続税徴収の取り扱いが異なるなど)の混乱は続いたのだが、1962 (昭和37) 年に、同条は「相続を放棄した者は、その相続に関しては、初から相続人とならなかったものとみなす」と全面改正されたことから、直系卑属2人中の1人が相続を放棄したときは(代襲相続権も同時に消滅する)、他の1人の直系卑属のみに帰属することとなり(結局、配偶者は3分の1、直系卑属が3分の2を取得する)、いわゆる「株分け」説が採用されて、立法的な解決をみることとなった(なお、直系卑属がいる場合の配偶者の法定相続分が3分の1から2分の1に引き上げられたのは、1980[昭和55]年のことである)。