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国際交流センターの設置——明治大学における昭和戦後の国際交流史(留学生編)



 2024.2
国際交流センターの設置——明治大学における昭和戦後の国際交流史

学術・社会連携部博物館事務室
大学史資料センター担当
阿部裕樹

 明治大学が、明治・大正・昭和戦前期にアジア各地から多くの留学生を受け入れていたことは、『戦前期アジア留学生と明治大学』(高田幸男編著、東方書店、2019年)や『白雲なびく遥かなる明大山脈③アジア編Ⅰ』(明治大学史資料センター編、DTP出版、2022年)などにより、とくに近年、広く発信されるようになった。しかし、明治大学における昭和戦後期のアジアや、広く世界との交流については、他大学に比べて活動が低調だったこともあり、研究の対象としても注目されてこなかった。本稿では、昭和戦後期の明治大学における国際交流史のターニングポイントとなった、1986(昭和61)年4月の国際交流センター設置をめぐる動向について紹介したい。
 戦後の明治大学では、留学生や外国籍の学生の受け入れは、学部や大学院ごとに対応していた。全学的に国際交流を担当する部局はなかったのである。全学的な取り組みの嚆矢は、1970(昭和45)年7月に発足した学長の諮問機関「学術国際交流促進準備委員会」(委員長:印南博吉商学部教授)の設置であった。同委員会では、留学生受け入れにとどまらない、さまざまな国際交流にかかる課題について検討をかさね、学長に諸課題を答申した。これを受け、1972(昭和47)年9月に「明治大学学術国際交流委員会」(委員長:木村礎文学部教授)が設置され、担当事務局(教務課を中心とする複数の関係部署職員で構成)も定められた。以後、とくに研究面での国際交流事業が立案・実施され、これを支える資金面では、1982(昭和57)年に創立100周年記念事業のひとつとして「国際交流基金」が設立された。
 1983(昭和58)年、政府が「留学生受け入れ10万人計画」を発表するなど、日本の国家的課題として留学生の受け入れを含む国際交流への機運が高まるなかで、明治大学では、1986(昭和61)年4月、上記・国際交流センターを設置したのである。初代所長の浜本武雄工学部教授は「本学の国際交流活動の遅れを嘆く声を聞くようになってから、すでに久しい(中略)今回の国際交流センターの発足は、交流活動における大学の機能を全面的に統一・強化しようとする目的で行われたものである」(『明治大学広報』第219号、1986年5月)と述べている。事務局は教務課から分室した国際交流事務室が担当した。以来、国際交流センターは、外国人研究者の単位付与講義への講師招聘、国際シンポジウムの開催、国際共同研究の支援、外国人留学生に対する日本語教育、外国人留学生の課外活動指導、海外大学との協定締結の推進など、明治大学の国際化政策の担当部局として大きな役割を果たすこととなった。
 1980年代の明治大学の学部・短期大学で学んだ留学生数は表のとおりである。国際交流センター設置の前後で留学生数が増加していることがわかる。1980(昭和55)年と1990(平成2)年の比較でいえば、およそ6倍の増加である。国・地域別でみれば、中国、台湾、韓国の割合が圧倒的に高い。当時の学内紙記事では、明治・大正・昭和戦前期以来のアジア留学生受け入れの伝統について書かれることがなかったため歴史的な相関があるとはいえないが、1980年代の明治大学で学んだ留学生についても、アジア出身者が圧倒的に多かった。
 国際交流センターは、2009(平成21)年10月、国際連携機構に発展的に改組し、今日に至っている。21世紀以降の動向については詳述しないが、2024(令和6)年1月末現在、明治大学は59カ国・地域の376大学と協定を締結しており、うち47カ国・地域の274の大学と学生交流のある協定を締結している。
 
参考文献
明治大学史資料センター編『明治大学140年小史』(DTP出版、2021年)