2025.4
中国語訳された志田鉀太郎の著作
明治大学史資料センター運営委員
三田剛史(商学部教授)
明治大学第5代総長志田鉀太郎(1868~1951年)は、江戸牛込に生まれ、1894年7月に帝国大学法科大学卒業後は大学院に進み、1897年に東京高等商業学校教授となり、帝国大学、学習院、明治法律学校などで教鞭を執り、1902年にドイツ・フランスに留学し、1904年には明治大学商学部の創設に尽力した。1926年には明治大学商学部長に就任し、1940年6月から1943年6月まで明治大学総長を務めた。志田は商法の研究家であり、1896年1月から1898年10月まで法典調査会商法修正案の起草委員の下で補助委員を務め、明治商法の立法作業に関与した。また、1894年9月に日本保険学会を創立した。(以上、『明治大学小史—人物編』、学文社、2011年、42-43頁、村上一博の記述に依拠。)
志田の事績で特筆すべきことの一つは、清国からの明治政府への申し入れにより、清国商法編纂のため北京に招聘されたことである。志田は1908年9月から1912年7月まで、北京でこの仕事に従事した。この間、辛亥革命が起こり1912年1月には孫文を臨時大総統とする中華民国が成立し、清朝は滅亡した。志田が4年をかけて編纂した新商法草案は中華民国に提出された。中華民国はこれを商法分野の立法に利用した。そして1918年7月には、中華民国大総統馮国璋から志田の功績に対して二等嘉禾賞が贈られた。(以上、志田俊郎『志田鉀太郎の生涯』文芸社、2015年、146-153頁に依拠。)
志田の著作ないし講述は、中華人民共和国成立までに少なくとも7点の中国語訳の存在が確認できる。まず、北京図書館編『民国時期総書目(1911-1949) 法律』(書目文献出版社、1990年)によると、以下の5点が出版されている。題名前の数字は同書目の索引番号で、同書目における説明を要約しておく。
(1)2384『商法総則』熊有翰編、北京・安徽法学社、1912年再版
志田鉀太郎の講述を編訳したもので、商法の一般理論が述べられている。京師法律学堂筆記と表紙に記されている。
(2)2407『商法商行為』雷光宇編訳、天津・丙午社、1907年
志田鉀太郎の『新商法論』からの編訳。商行為、各種契約、保険、運送証券等の内容を含む。
(3)2445『商法要覧(第三巻、票拠編、海商編)』東方学会編、上海・泰東図書局、1914年初版
志田鉀太郎は1908年に法律修訂館に招聘され商法を起草し、総則、商行為、会社法、海船法、手形法の各章を含む1910年の『大清商律草案』が編纂されたが、公布施行はされなかった。本書は、前記著述を参考に編集したものである。
(4)2513『票拠法研究』銀行週報社編、上海・銀行週報社、1922年
手形(中国語:票拠)法に関する資料集。法規は志田鉀太郎起草の手形法草案等を含む。
(5)2554『商法海商』陳鴻慈編訳、天津・丙午社、1907年初版
青木徹二と志田鉀太郎の講述を編訳したもの。船舶、船員、海上運送契約、海上保険などの内容を含む。
これら以外に、実藤恵秀監修、譚汝謙主編『中国訳日本書綜合目録』(香港・中文大学出版社、1980年)には、次の2点が記載されている。
(6)志田鉀太郎著『商法』徐志繹編訳、東京・湖北法政編輯社、1905年
(7)志田鉀太郎著『商法総則』陳漢第編訳、天津・丙午社、1907年
これら7点以外に、日本の法学者数名の論著を集めた中国語訳本『法制経済通論』(何燏時・汪兆銘訳述、上海・商務印書館、1908年)の原著者名の中に「老田鉀太郎」の名があるが、これは「志田鉀太郎」の誤記の可能性が高い(『民国時期総書目 法律』、索引番号137)。
さらに注目すべきことに、上海図書館のオンライン目録で検索したところ、志田の著作の中国語訳は2013年に以下の4点が中国で復刻出版されているのである。
(8)志田鉀太郎口述『商法総則』(熊元楷編、上海人民出版社、2013年)
(9)志田鉀太郎口述『商法.会社 商行為』(熊元襄・熊仕昌編、上海人民出版社、2013年)
(10)志田鉀太郎口述『商法.有価証券 船舶』(熊元楷・熊元襄・熊仕昌編、上海人民出版社、2013年)
(11)志田鉀太郎口述『国際私法』(熊元楷・熊仕昌編、上海人民出版社、2013年)
この4点は「清末民国法律史料叢刊.京師法律学堂筆記」という叢書から刊行されている。
上記11点のいずれも現物は未確認であるが、これらの書誌から若干の所見を加えたい。確認できる志田の著作の中国語訳で最も古いのは1905年刊行の(6)であり、東京で刊行されている。日本に留学中ないし留学経験のある中国人留学生が、志田の講義や著作に学び、翻訳、刊行したのではなかろうか。1908年より前に(2)、(5)、(6)、(7)の訳書が刊行されており、志田の北京招聘以前から法律と商法に関心を持つ中国人が、志田の著作に学んでいたことが分かる。(1)は、志田の「講述」を「京師法律学堂筆記」として出版していることから、これは京師法律学堂における志田の講義のノートを出版したものであろう。(8)から(11)も「京師法律学堂筆記」とされているので、(1)と同様の出版物の復刻版と考えられる。1912年出版の(1)と2013年に復刻出版された(8)は、編者は異なるが題名が同一のため、(8)が(1)の復刻版である可能性がある。
20世紀初頭の中国に流布した志田の著作は、21世紀に入って中国で復刻出版されている。志田の著作は中国において古典の地位を獲得しつつあるのかも知れない。本格的検討は今後の課題である。