2025.4
三淵嘉子が下した民事判決
明治大学史資料センター所長
村上一博(法学部教授)
三淵嘉子が、東京地方裁判所判事として担当した民事事件「慰謝料並びに損害賠償請求事件」(東京地裁昭和30年(ワ)第1817号事件、昭和32 (1957) 年11月7日判決)が、最高裁判所事務総局編『不法行為に関する下級裁判所民事裁判例集(上)(昭和32年度)』(法曹会、昭和34 (1959) 年6月、293~297頁)に掲載されている。当該事件は、一般的な交通事故の事案で、とくに複雑な事実関係や法解釈について判断が求められたものではないが、三淵が担当した民刑事事件で判決内容を知ることができる事例はこれまで殆ど知られていないから、簡単に紹介しておきたい
嘉子(和田姓)は、昭和27 (1952) 年12月に名古屋地方裁判所判事(初の女性判事)となったのち、昭和31 (1956) 年5月に東京地方裁判所に転じて、同年8月三淵乾太郎と再婚した(嘉子42歳、目黒の官舎に居住)。このような時期に担当したのが、当該事件であった。
原告が運転していたスクーターと被告会社所有の貨物自動車が衝突し、原告はこのため道路上に転倒して傷害をうけたことから、物質的および精神的損害を請求した。
三淵嘉子(単独裁判官)は、被告に対して、10万9百円および昭和30 (1955) 年2月25日以降右完済に至るまで年5分の割合による金員の支払いを命じた。
判決理由では、まず、事故発生について貨物自動車の運転手に過失があったか否かが争点とされている。貨物自動車の運転手は、歩道上を車道に向かって走ってくる人を避けることにのみ気を取られ、後方の原告のスクーターが警笛を鳴らして接近していることに注意を怠り、方向指示器も出さず急に右にハンドルを切って、既に被告の貨物自動車の前方に出ようとしていた原告スクーターに何等の措置をとらせる暇を与えず、衝突せしめるに至ったと認定し、本件事故は貨物自動車運転手の過失によって惹起されたことは明白であるとした(原告側には、運転上の過失を一切認めなかった)。
次に、損害額の算定に移り、原告が事故による負傷のため病院に支払った診察料2万9百円(物質的損害)、および本人尋問と証人の証言から、原告が事故による後遺症のために業務代行を他に依嘱せざるを得なかったことなどにより精神的苦痛を被ったことも認めた(慰藉料8万円)。もっとも、原告はさらに、事故によって4ヶ月間安静休養を余儀なくされたため、この間に訴外の工務店は月2万円(計8万円)の無駄な給料を原告に支払ったとして、その賠償を求めたが、判決は、これは訴外工務店の損失であって原告が被った損害ではないとして退けた。
以上が、判決の要旨である。
当該事件はよくある交通事故の事例ではあるが、判決では、貨物自動車の運転手の過失とスクーター側の無過失が手際よく整理されており、損害賠償を認めた理由の説明も明快である。当該判決だけから、判事としての嘉子の力量を判断することは早計であろうが、十分に説得力のある判決を下していたことは認められてよいであろう。