2024.6
第10週「女の知恵は鼻の先?」を振り返って
明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長
村上 一博
村上 一博
第10週から、戦後「裁判官編」に入りました。昭和22年6月、寅子は、裁判官への任用は叶いませんでしたが、「胡散臭い」殿様判事の久藤頼安(ライアン)の引きで、司法省民事局民法調査室に嘱託として採用されました。久藤頼安のモデルは、旧信濃国高遠藩主の内藤家第16代当主の内藤頼博(子爵)です。ご存知の通り、江戸時代、新宿一帯を治めていたのが内藤家であり、現在の新宿御苑は内藤家の中屋敷跡地です。頼博は、長身で二枚目、社交的な性格だったようですから、沢村一樹さんにピッタリの役柄ですね。民法調査室には、寅子と明律大学で同窓だった、「発芽玄米」くん、「失礼垂れ流し野郎」の小橋浩之がいました。小橋を演じているのは名村辰さん、明治大学国際日本学部の卒業生(2019年)です。名村さんは英語が堪能なので、今後、汚名が返上できる機会があると良いのですが・・・。
さてドラマでは、日本国憲法第14・24条を反映して、家制度の廃止と女性の地位向上をはかるべく、戦前の民法親族・相続編を改正する作業が始まっていました。第6次案(昭和22年3月1日付)では、民法第788条「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」を、「夫婦ハ共ニ夫ノ氏ヲ称ス 但当事者カ婚姻ト同時ニ反対ノ意思ヲ表示シタルトキハ妻ノ氏ヲ称ス」と改正する案が示されていましたが、この案では「家」を「氏」と改めたにすぎず、夫の氏が優先されているため、GHQが難色を示しました(頼安も改正が不十分だと考えて、寅子に意見を聞いていますね)。「氏」という用語はその後も消えませんでしたが、男女平等に改変されて、現行民法の第750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」、第751条➀「夫婦の一方が死亡したときは、生存配偶者は、婚姻前の氏に復することができる」(復しなくても良いし、同項は離婚の場合も準用されます)に結着しました。
GHQ民政局法律課の、アルバート・ホーナーのモデルは、アルフレッド・オプラー(Alfred C. Oppler)です。ドイツ生まれで、ヒットラーによるユダヤ人迫害から逃れてアメリカに亡命した司法官です。オプラー自身は、その回想録の中で、日本側に家制度の改正を強要してはいないと語っています。「民法改正審議会」(実際の名称は「司法法制審議会」)の委員の一人、神保衛彦教授が家制度の廃止に反対して、「君たちは我が国の [古き良き美徳である] 家族観を、いや日本を破滅させる気かな?」と詰め寄っていますが、実際の審議会でも、神保教授のように、家制度の廃止反対を主張していた東大名誉教授がいました。ちなみに、神保教授を演じた俳優さんは木場勝己さん、彼も明治大学の門をくぐった方です。実際に、三淵さんが、どの程度、親族・相続編の改正作業に関与したのか、またGHQとの折衝に携わっていたのかは、不明です。
GHQ民政局法律課の、アルバート・ホーナーのモデルは、アルフレッド・オプラー(Alfred C. Oppler)です。ドイツ生まれで、ヒットラーによるユダヤ人迫害から逃れてアメリカに亡命した司法官です。オプラー自身は、その回想録の中で、日本側に家制度の改正を強要してはいないと語っています。「民法改正審議会」(実際の名称は「司法法制審議会」)の委員の一人、神保衛彦教授が家制度の廃止に反対して、「君たちは我が国の [古き良き美徳である] 家族観を、いや日本を破滅させる気かな?」と詰め寄っていますが、実際の審議会でも、神保教授のように、家制度の廃止反対を主張していた東大名誉教授がいました。ちなみに、神保教授を演じた俳優さんは木場勝己さん、彼も明治大学の門をくぐった方です。実際に、三淵さんが、どの程度、親族・相続編の改正作業に関与したのか、またGHQとの折衝に携わっていたのかは、不明です。
審議会に参加するため司法省にやってきて、廊下で偶然に寅子と再会した穂高教授(ちなみに、実際の穂積重遠教授は審議会の委員ではありませんでした)は、寅子が家族を養うために仕方なく法曹界に舞い戻ってきたのだと不憫に思い、別の仕事を提案しました。寅子は、かつての真っ直ぐな自分に戻れず戸惑っていましたから(知らず知らず「謙虚」になってしまって)、穂高の言葉に反応して苛立ち、「私は好きでここに戻ってきたんです」と(自分を納得させるように)啖呵を切りました。
穂高はまた寅子を怒らせてしまったと狼狽えたのですが、桂場は、「いや、ある意味、背中を押してやれたんじゃないですかね」と、少し笑みを浮かべながら言いましたね。桂場も寅子の再起を待っていたのです。寅子は興奮冷めやらぬ心持のなかで優三の言葉を思い起こし、ようやく吹っ切れて、かつての自分らしさを取り戻し、神保教授の家制度存続論に対して、はっきりと否定的意見を述べたのです。そして、戦後初の女性衆議院議員や運動家らが纏めた意見書(家制度や男女不平等の規定を徹底して払拭すべきだと主張)に、寅子も署名することにしたのです。実際に、三淵さんは、「家族法民主化期成同盟」(参加していたのは、衆議院議員の成島憲子・松谷天光光・山崎道子のほか、山川菊枝・平林たい子・神近市子、それに女子部の先輩立石芳枝、ともに高等試験司法科に合格した久米愛、女子部の後輩石渡満子・小美濃清子など)の決議に、「司法事務官 和田嘉子」と署名しています。
なお、ドラマの中で、出席者の一人が、神保教授が主張する「古き良きって、明治時代から始まった決まりばかりじゃない」と発言していたのを覚えていますか。あれは、日本近代家族法史研究の成果を反映した発言です。
最後に、昼休みに日比谷公園で、寅子は花岡にばったり出会い、彼が食糧管理法違反(いわゆるヤミ米取引)の取締りを担当していると聞きます(花岡、元気がなかったですね)。佐賀県出身でヤミ米取引を取り締まっていた判事と聞くと、もしやと思った方もおられたのではないでしょうか・・・その予感は的中です。
【補足1】
日本経済新聞社編集局の大島三緒さん(明大OB)から、昭和14年6月封切りの松竹映画『新女性問答』(佐々木康監督)に、女性弁護士が登場すると教えていただきました(YouTubeで視聴できます)。昭和13年11月に、三淵嘉子さんら3人が女性で初めて高等試験司法科に合格し、昭和14年から弁護士修習(1年半)に入った時期でしたから、実にタイムリーな映画です。もっとも、修習を終えないと弁護士になれなかった筈なのですが、映画の主人公の「時代(ときよ)」(桑野通子)は試験に合格してすぐに法廷に立っています。また映画では、彼女が学んだ学校がどこかは不明ですが、東京が舞台ですから、「明治大学専門部女子部」と「明治大学法学部」の筈です。ご関心のある方は、ご覧ください。
【補足2】
ニコニコ美術館(ニコ美)という、注目の展覧会を解説付きで会場から生中継する番組<明治大学博物館「女性法曹養成機関のパイオニア-明治大学法学部と女子部-」を巡ろう>に出演しました。機会があればご覧ください。
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