2024.8
第20週「稼ぎ男に繰り女?」を振り返って
明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長
村上 一博
村上 一博
新潟時代が終わり、寅子は東京に戻ってきました。前にも書きましたが、実際の三淵嘉子は、女性初の判事となって、昭和27年12月から31年4月まで名古屋地裁に赴任していましたから、ドラマの新潟地裁三条支部時代は、まったくの創作です。
第20週では、寅子と航一の「永遠を誓わない愛」の行方と、直明の結婚と同居問題をめぐって、猪爪・星の両方の家族それぞれの想いが複雑に交錯する様子が描かれました。梅子が竹もとの味を完璧に引き継げるのか(桂場からOKがでるのか)も気になりますね。
さて、第98話で、寅子がかつて所属していた弁護士事務所の雲野と岩居が、突然、よね(司法試験に合格、司法修習を経て、めでたく弁護士となっていました)と轟を訪ねてきました。ちなみに、三淵嘉子が実際に弁護士修習を受け、その後所属したのは、仁井田益太郎(京都・東京帝大教授から弁護士となり、東京二弁会長や貴族院議員などを歴任)の弁護士事務所でしたが、ドラマでは、落合洋三郎(モデルは河合栄治郎)の出版法違反事件を担当した雲野六郎(モデルは海野普吉)事務所であったという設定です。雲野と岩居は、昭和20年8月に広島と長崎に相次いで投下された原子爆弾の被爆者5人が、日本政府を相手取って、損害賠償を請求した「原爆裁判」を担当することになったと、よねと轟に告げ、雲野にもしものこと (?!) があった場合には、岩居を補佐してくれるよう頼んだのでした。
「原爆裁判」は、東京地裁民事第24部に係属、汐見(裁判長判事)・寅子(判事)・漆間昭(判事補)が担当することになりました(第100話)。原爆投下が国際法違反かどうか、被爆者は原爆を投下したアメリカ政府に代わって日本政府に損害の賠償を求めることができるのかなど、多岐にわたる重大な争点を扱う訴訟であることから、原被告の主張を整理して論点をまとめる必要があると考えた汐見は、口頭弁論を始める前に準備手続を行うことにしたのでした。第一回の準備手続は、昭和30年7月に行なわれ、漆間判事補、原告代理人の雲野と岩居、そして訟務検事の反町忠男が出席、岩居が訴えの趣旨を説明したのに対して、反町は、請求棄却を求める方針であり、答弁を準備するために準備手続の続行を求めたのでした。
この「原爆裁判」は、日本の法廷でアメリカによる原爆投下の違法性が初めて争われた、日本政府に対する国家賠償請求訴訟であり、実際にあった裁判です。原告は広島と長崎の被爆者5人で、昭和30年に大阪地裁と東京地裁に訴えが提起され、しばらくして東京地裁に併合されました。準備手続に4年以上(27回)が費やされ、その後、昭和35年2月から昭和38年3月までの3年間に9回の口頭弁論が開かれました。裁判長と左陪席は、異動で交替しましたが、右陪席は、第1回口頭弁論から第9回結審・判決まで、三淵嘉子が担当しています。裁判長は、畔上英治(第1・2回)から古関敏正(第3回から第9回結審・判決)に、左陪席は何度も交替しましたが、最後は(第8・9回結審・判決)高桑昭が担当しました。なお、原告側の主任弁護士は、松井康浩でした。
寅子が汐見・漆間とともに、訴状内容を確認する作業を行っているとき、漆間判事補が、原告5人の悲惨な被爆体験と健康被害の現状を知って嗚咽するシーンがありましたね。ドラマの原告名はもちろん仮名ですが、内容は実際の訴状の一部を引用しています。原告の一人である栗岡隆文(仮名)は、広島で小工業を自営していた47歳のときに被爆。長女(16歳)・三男(12歳)・次女(10歳)・三女(7歳)・四女(4歳)の5人の子供が爆死、妻と四男(2歳)は爆風・熱線および放射線による特殊加害影響力によって障害を受け、原告自身も右手上膊部(技能障害あり)と、右腹部から左背部にわたってケロイドを負い、さらに腎臓および肝臓障害もあって、就業不能であることなどが、書かれていたのです
口頭弁論の様子や判決言渡については、後日ドラマで描かれますので、ここでは触れませんが、NHK解説委員の清永聡さんとご一緒に、「原爆裁判」の法廷シーンの撮影現場に立ち会って、撮影の合間に、汐見役の平埜生成さんや岩居役の趙珉和さんと、「原爆裁判」に関わった実際の裁判長・弁護士の想いについてお話しする機会がありました。お二人とも、気持ちの入った圧巻の演技を見せてくださいました。ご注目下さい。
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