2024.5
第6週「女の一念、岩をも通す?」を振り返って
明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長
村上 一博
村上 一博
第6週は、高等試験司法科の合格と級友たちとの別れがあり、喜びと哀しみが交錯する一週間でしたね。
高等試験司法科に女性が受験できるようになったのは昭和11年度からですから、当時法学部2年在学中の寅子も受験が可能でした。しかし、共亜事件裁判が進行中だったため受験できず、翌年、最終学年3年の昭和12年度に(級友たちと一緒に)、初めて受験しました(結果は女性全員不合格)。三淵さんが、実際に、昭和11・12年度の高等試験を受けたのかどうかは不明ですが、三淵さんの1学年下(女子部第5期生)の西岡光子さん(昭和14年合格、東北初の女性弁護士・秋田弁護士会会長)は、昭和11年度(法学部1年在学中)に最年少で受験していますから、三淵さんも、おそらく在学中に1・2度受験したと考えるのが自然でしょう。
ドラマでは、昭和12年度の試験に、1学年上の久保田さんが女性としてただ一人、筆記試験に合格したものの、口述試験で不合格となりましたから、彼女が中田正子さんに該当します。もっとも、実際の中田さんは三淵さんと同学年で、年齢は4歳年上でした。
また、ドラマでは、昭和12年度の試験で女子部出身者から一人の合格者も出なかったので、学長が募集停止を決断したところ、香淑さんの渾身の抗議によって閉校だけは免れたという筋書きになっています(入学者の減少から明治大学で女子部閉校の動きがあったことは事実ですが、実際に募集停止にはなりませんでした)。香淑さんは、兄が労働争議に加担するなど治安維持法違反の容疑で特高による取調べを受けたことから、朝鮮に帰らざるを得なくなるのですが・・・自身が苦境におかれていたにもかかわらず、女子部の存続と級友たちの合格のために健気に奮闘する姿には泣けましたね。なお、朝鮮の独立運動は、大正8年3月に起こった三・一運動(万歳事件などとも呼ばれる)が有名で、留日朝鮮人学生たちが神田三崎町にあったYMCA会館に集結して「独立宣言書」を採択しています。(この会館はその後、猿楽町に移転し、そこに独立宣言の記念碑が建てられています)。昭和に入って、表面的には独立運動は影を潜めましたが・・・。香淑さんは高等試験を1度だけ受けて帰国してしまいましたが、明治大学女子部出身の、朝鮮・台湾や中国からの「女子留学生」たちが高等試験を継続的に受験していたことは確かです(残念ながら、一人も合格できませんでした・・・ちなみに「男子留学生」は合格しています)。余談ですが、香淑さん役のハ・ヨンスさんは、流暢に日本語を話すとはいえ、さすがに法律用語などを理解するのは難しそうで、演出担当の安藤大佑さん(韓国語が堪能です)にも助けてもらって、懸命に勉強して役を演じています。
寅子は昭和13年3月に法学部を卒業したのち、再び高等試験に挑むことになります。しかし、香淑さんに続いて、涼子さんは桜川男爵家存続のために婿を取らざるを得なくなり(女性は華族家の相続ができません)、梅子さんは夫から離婚を迫られて末子を連れて家を出ざるを得なくなったことから、受験できなくなりました。このやるせなさ、哀しみ、やり場のない怒りが、合格祝賀会での寅子の演説に繋がっていきます。
結局、昭和13年秋に合格したのは、久保田(口述試験だけ受験)と中山、それに寅子の3人でした(男子では轟も)。中山については、夫が出征中との話しがありましたから、モデルは久米愛さんだったことが分かります。もっとも、実際の久米さんは、泣き虫ではありませんでしたし、三淵さんの1学年下で(年齢は3歳年上)、合格したとき、法学部3年に在学中でした。
高等試験司法科に女性が受験できるようになったのは昭和11年度からですから、当時法学部2年在学中の寅子も受験が可能でした。しかし、共亜事件裁判が進行中だったため受験できず、翌年、最終学年3年の昭和12年度に(級友たちと一緒に)、初めて受験しました(結果は女性全員不合格)。三淵さんが、実際に、昭和11・12年度の高等試験を受けたのかどうかは不明ですが、三淵さんの1学年下(女子部第5期生)の西岡光子さん(昭和14年合格、東北初の女性弁護士・秋田弁護士会会長)は、昭和11年度(法学部1年在学中)に最年少で受験していますから、三淵さんも、おそらく在学中に1・2度受験したと考えるのが自然でしょう。
ドラマでは、昭和12年度の試験に、1学年上の久保田さんが女性としてただ一人、筆記試験に合格したものの、口述試験で不合格となりましたから、彼女が中田正子さんに該当します。もっとも、実際の中田さんは三淵さんと同学年で、年齢は4歳年上でした。
また、ドラマでは、昭和12年度の試験で女子部出身者から一人の合格者も出なかったので、学長が募集停止を決断したところ、香淑さんの渾身の抗議によって閉校だけは免れたという筋書きになっています(入学者の減少から明治大学で女子部閉校の動きがあったことは事実ですが、実際に募集停止にはなりませんでした)。香淑さんは、兄が労働争議に加担するなど治安維持法違反の容疑で特高による取調べを受けたことから、朝鮮に帰らざるを得なくなるのですが・・・自身が苦境におかれていたにもかかわらず、女子部の存続と級友たちの合格のために健気に奮闘する姿には泣けましたね。なお、朝鮮の独立運動は、大正8年3月に起こった三・一運動(万歳事件などとも呼ばれる)が有名で、留日朝鮮人学生たちが神田三崎町にあったYMCA会館に集結して「独立宣言書」を採択しています。(この会館はその後、猿楽町に移転し、そこに独立宣言の記念碑が建てられています)。昭和に入って、表面的には独立運動は影を潜めましたが・・・。香淑さんは高等試験を1度だけ受けて帰国してしまいましたが、明治大学女子部出身の、朝鮮・台湾や中国からの「女子留学生」たちが高等試験を継続的に受験していたことは確かです(残念ながら、一人も合格できませんでした・・・ちなみに「男子留学生」は合格しています)。余談ですが、香淑さん役のハ・ヨンスさんは、流暢に日本語を話すとはいえ、さすがに法律用語などを理解するのは難しそうで、演出担当の安藤大佑さん(韓国語が堪能です)にも助けてもらって、懸命に勉強して役を演じています。
寅子は昭和13年3月に法学部を卒業したのち、再び高等試験に挑むことになります。しかし、香淑さんに続いて、涼子さんは桜川男爵家存続のために婿を取らざるを得なくなり(女性は華族家の相続ができません)、梅子さんは夫から離婚を迫られて末子を連れて家を出ざるを得なくなったことから、受験できなくなりました。このやるせなさ、哀しみ、やり場のない怒りが、合格祝賀会での寅子の演説に繋がっていきます。
結局、昭和13年秋に合格したのは、久保田(口述試験だけ受験)と中山、それに寅子の3人でした(男子では轟も)。中山については、夫が出征中との話しがありましたから、モデルは久米愛さんだったことが分かります。もっとも、実際の久米さんは、泣き虫ではありませんでしたし、三淵さんの1学年下で(年齢は3歳年上)、合格したとき、法学部3年に在学中でした。
優三さんとよねさんは、筆記試験は通ったものの、口述試験で不合格になりました。よねさんは試験官と口論となり自分を曲げなかったため不合格となり、優三さんは、全力を出し切り悔いはないということで、これを区切りに受験を諦めるという決断をしました(私は、優三さんに翌年の口述試験を受けさせたかったのですが・・・受ける間際に出征するという、ちょっと可哀そうな筋書きを考えていました)。
合格祝賀会での、寅子の演説は圧巻でしたね。台本では、久保田・中山の2人が記者の質問にそつなく答えているのですが、映像では、その部分はすべてカットされて、寅子のやるせなさと怒りが吐き出されています。「高等試験に合格しただけで、女性の中で一番だなんて、口が裂けても言えません。」「志半ばで諦めた友、そもそも学ぶことができなかった、その選択肢があることすら知らなかったご婦人方がいることを私は知っているんですから。」「法改正がなされても結局、女は不利なまま。女は弁護士にはなれても裁判官や検事にはなれない。」「女っていうだけで、できないことばっかり・・・元々の法律が私たちを虐げているのですから。生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない。男か女かで、ふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います・・・私はそんな社会で・・・良き弁護士になるよう尽力します。困っている方を救い続けます・・・男女関係なく!!」と。
初めて台本を読んだとき、真夜中でしたが、寅子の力強い演説に思わず拍手してしまいました。しかし、果たして、言葉通りに寅子が活動できたかどうか。ちょっと、名残惜しいですが・・・今週で明律大学編が終わり、次週からは、寅子が弁護士として苦闘する日々が始まります。
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