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明治大学法科大学院、確立期までを振り返る~その2・開設後~(施策編)

明治大学法科大学院2004-2006年度自己点検・評価報告書—草創期の3年—

 2022.7
明治大学法科大学院、確立期までを振り返る~その2・開設後~

明治大学史資料センター運営委員     
市川園子(学術・社会連携部博物館事務長)
 
法科大学院開設
 2004年4月1日、明治大学法科大学院開設にあたり、初代法科大学院長には設立教学委員会委員長であった伊藤進教授が就任し、スタートを切った。午前に第1回となる「法科大学院教授会」を開催し、午後は知的財産制度改革に係る開設記念シンポジウムに続き、文部科学大臣臨席の開設記念祝賀会を実施した。法科大学院設置準備室は法科大学院事務室へと名称変更され、事務管理職者を含む専任職員5名が業務にあたることになった。
 開設翌日からの2日間に学生ガイダンスを集約し、武道館での入学式前々日の5日から授業開始となった。教室等施設は4月に使用開始となったアカデミーコモンであり、院生研究室は改修直後の14号館であったから、教職員・院生ともに何事も初めての環境でのキックオフに教育現場も事務室もしばらくは混乱したものの、活気に満ち溢れていた。
 法科大学院執行部運営体制としては6つの常置委員会を置き、各委員長が法科大学院長(以下、法科大学院長は「院長」という。)を支えることになった。設置準備時の6つの作業部会が、人事関係常置委員会(委員長:院長)、教育等関係常置委員会(三枝一雄委員長、院長代行の役割を担う)、入試等関係常置委員会(中山幸二委員長)、教務等関係常置委員会(河内隆史委員長)、学生指導関係常置委員会(上野正雄委員長)、教員研究研修関係常置委員会(松本貞夫委員長)となった。これら委員会も含め基本的に会議等は法学部と同じ木曜日の午前にあてられ、法科大学院に係る事項を審議する教授会は月1回開催で、その前週に院長と各委員長による執行委員会議が行われ、それ以外で各委員会が開催されることとなり、特任教員を含めた専任教員はいずれかの委員会に属して法科大学院運営に関与するシステムをとった。
特徴的なこと 
1 5分野に強い専門法曹養成
 「21世紀の日本社会を担う法曹」の養成を目指し、その一つとして「専門分野に強い法曹」の育成を掲げた。本学法科大学院ではとくに重視する「企業法務」「知的財産」「環境」「ジェンダー」「医事生命倫理」の5分野についてカリキュラムの中に展開・先端科目として8単位(半期4コマ)開講し、理論と実務の両面に対応できる教員を各分野2名配置した。また、企業法務を除く4分野では専門法曹養成研究教育センターを組織した。
 知的財産制度改革に係る開設記念シンポジウムは象徴的なイベントであり、元通商産業事務次官の棚橋祐治教授が企画にあたり当該分野の第一人者が集結した。登壇者の中の高倉成男客員教授(第五代院長、法務研究科長)は当時特許庁幹部で、みなし専任教員の枠で本学に「法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律」に基づき、いわゆる派遣行政官として着任していた。
2 寄付講座実施
 専門法曹養成のために先端的な教育を担う法科大学院では、関係団体・会社等からの外部資金を受入れて寄付講座を開設し、その成果を専門家ばかりでなく広く市民に知識を提供することにより社会貢献を果たしてきたことも特筆すべきである。2004年度から5年にわたり日本音楽著作権協会(JASRAC)寄付講座、2008年度から3年間にわたり第一生命・損保ジャパン「保険法寄付講座」、2011年度から6年にわたり「民法(債権法)改正の動向」寄付講座を開講するなど、分野は違えど脈々と続いている。
3 授業日数確保
 法学未修者は3年で93単位、法学既修者は2年で67単位取得することが修了要件であった。高額な学費ゆえ院生のコスト意識が高いことばかりが理由でなく、学部生とは比べものにならないほどの勉学への熱心な姿勢には、学習環境面でも施設整備面でも応えなければならなかった。
 授業実施回数にフォーカスすると、プログラムが詰まった法科大学院では、学期内に1時限90分×15回を確保することが至上命題であり、大学の学年歴では月曜の授業回数確保のために休日授業実施日を設定していたが、それとは別に厳密に回数保障をするため、別の平日に不足する曜日の授業を「みなし月曜」「みなし○曜」と称して実施するこれまでにないスケジュールを取り入れたほどであった。
4 教育補助講師の導入
 理論と実務の架橋を教育の基本方針の一つに掲げる法科大学院では、密度の濃いカリキュラムでの学びを通して短期間で膨大な知識を修得しなければならない。伊藤院長は構想段階から、院生の自主学習をサポートするために履修や学修について日常的に指導する新たな存在として、弁護士や非常勤講師等の資格を持つ教育補助講師が必要であると考えて制度創設に尽力した。2006年に「明治大学RA、TA及び教育補助講師採用規程」が制定され、他専門職大学院・機関にも波及した。認証評価においても高いポイントとなっている。
法科大学院長交代
 院長の任期は2年で、教授会の直接選挙により選出される。発足から2年、完成年度前の2006年3月に初代院長は定年退職を迎え、その後の2期4年は青山善充教授がバトンを引き継いだ。青山教授は東京大学副学長もつとめた民事訴訟法の大家であり、納谷廣美学長とは三ヶ月章先生(元法務大臣)の兄弟弟子の関係にある同学の親友で、定年までの6年間は法学教育に専念するとの「男の約束」で本学に着任したはずであった。しかし院長代行は療養が必要となり、学長や院長などの要請をやむなく受け入れる形での就任であったが、第二代院長として法科大学院確立の基盤整備にあたった。
 その青山院長は特任教授として5年残ることとなったが、2010年3月に専任教員の定年退職を迎え、第三代院長には河内教授が選出された。河内教授は開設前年から法学部に籍を置きながら開設準備に参画し、開設後は執行委員として運営面で中心的な役割を担っていた。院長としては後述の変革期における舵取りに苦労があった。
法科大学院の位置づけ~大学院制度改革による3大学院体制
 「明治大学法科大学院(仮称)設置大綱」において法科大学院は学部同等に位置づけられることとなっていたが、いざ開設されても学部並みに扱われず、法科大学院長は学部長会メンバーではなく、人事案件等直接関与すべき事項も学長または法学部長が代行した。また、職務給については、2005年秋に院長、学部では教務主任や学科長に相当する執行部5名は、法科大学院専攻主任として院長代行にあたる1名、常置委員会委員として残りの常置委員会委員長4名に(前年4月に開設していたのであるが)2005年4月に遡及して支給されることになった。
 法科大学院は大学院学則の中に委任規定が設けられ学則的には独立的な地位が確保されているにもかかわらず、折からの大学院制度改革において「従来型大学院+専門職大学院」の二本立てが議論される中、青山院長の粘り強い関係者への説明により「従来型大学院+法科大学院+専門職大学院」の三本立てが認められた。これによりようやく院長は学部長会メンバー入りを果たした。職務給は2008年秋の改定により、院長は50,000円から80,000円(2010年春の改定で120,000円。あわせて責任担当時間8時間。)に、法科大学院専攻主任は35,000円から50,000円に、常置委員会委員は20,000円から35,000円に変更があった。
 ちなみに事務組織としては2005年4月に専門職大学院事務室としてまとめられ、2007年9月の事務機構改革により教務サービス部専門職大学院グループとなり、2009年4月の事務機構第二次見直しによる教務事務部専門職大学院事務室への変更を経て、現在に至っている。
第三者評価
 法科大学院は学校教育法により認証評価を5年に一度その教育研究活動等の適格認定に関する評価を受けなければならない。2004年開設の場合は2008年度中に大学評価・学位授与機構(当時)、大学基準協会に加え、日弁連法務研究財団の3団体のいずれかから受審する必要があった。
 2005年秋にはトライアル評価として日弁連法務研究財団に自己点検・評価報告書を提出し、実地評価も受けた。実務寄りの評価項目が多く、結果は厳しいものであったが、初めて外部評価を受けたことによって得るものは大きかった。
 2008年度に実施した第一回目の本評価は、教授会審議を経て大学評価・学位授与機構とした。私立大学の多くは大学基準協会を選択する傾向があり、第二回目以降は大学基準協会で受審していることから、長年国立大学に在籍して傾向を熟知していた青山院長の意向が反映されたのだろう。私はこの認証評価の大学側事務局を担当したのであるが、膨大で詳細な資料を短期間で用意し、再三再四の細かな照会への回答に追われて文部科学省への設置認可申請業務よりも難儀した。11月には2日間の実地調査に対応し、2009年3月に適格認定が下された。評価結果には不適合とされる項目はなかったが、改善すべき項目が成績評価を中心に4点指摘され、改善に向けて運用面での対応にあたった。
 また、開設からの草創期3年の活動を総括した『自己点検・評価報告書第1号』刊行を契機に、2008年5月には5名の有識者による外部評価を実施し、評価書及び座談会記録から成る『2008年度実施外部評価報告書-創業から守成へ-』を発行している。
 思えばこの時期は私立大学の一職員である私が、法学者・教育者及び大学行政人として日本をリードしてきた青山院長の下で働くという稀有な機会を得て、そのお人柄と見識に魅了され、大学人としての自身を確立していった。そして設立前から協働してきた河内教授や中山幸二教授と意見交換を繰り返しながら、楽しく時には処理すべき大量の業務にもがき苦しみ、より良い組織運営を事務職員の立場から考えて行動していた。
 
 【参考文献】
明治大学法科大学院自己点検・評価報告書(2008年度)
中山幸二「青山善充先生のこと」(明治大学法科大学院論集第7号2010年)
明治大学教職員組合協定書 第2005-4号、第2008-7号、第2010-1号