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明治大学専門部女子部卒の女性税理士・実業家の先駆け 加藤愛子(校友編)

女子部雄弁大会(加藤愛子の演題の垂れ幕が演台の後方に見える。前方には女子部の学生たち。1934年明治大学専門部女子部卒業アルバムより)

  2024.6
明治大学専門部女子部卒の女性税理士・実業家の先駆け 加藤愛子
 
学術・社会連携部博物館事務室
大学史資料センター担当
古俣達郎
 
 現在、絶賛放映中のNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」では、明治大学専門部女子部及び法学部を卒業し、日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子を主人公のモデルとし、大きな話題を呼んでいる。ドラマの反響は大きく、女性法曹の先駆けとなった女子部卒業生たちの存在が広く知られるようになってきている。
 一方、女子部は法曹界以外の領域・分野においても日本初となった卒業生を輩出したことでも注目される。先に紹介した女性初の高等試験行政科合格者の渡辺美恵は女性行政官の先駆けであったし、女子部商科第一期生の伊藤きくゑ、小嶋栄は女性初の計理士であった。
 そして、今回紹介する加藤愛子は女性税理士の先駆けである。彼女は「明大の法科出のバリバリの女性税理士で実業家」と評されていたように、税理士業のかたわら、美容院や飲食店を経営し、清川虹子、越路吹雪、水の江滝子らトップスターを集めた女性だけの劇団「いざこ座」の専務取締役を務め、実業家としても活躍した。さらには、全国女性税理士連盟初代会長、東京パイロットクラブ会長、国連東京婦人会副会長、東京婦人商工会議所婦人会副会長、母校の明治大学女子同窓会企画運営部長など様々な団体で要職を務め、税理士業界や経済界を中心に多くの人々から慕われた人物であった。
 
 加藤愛子は1913年4月17日、愛知県春日井郡鳥井村(現:春日井市)に生まれた。加藤家は士族の家系で、かつては裕福な家庭であった。しかし、彼女の幼少時に外交官だった父が死去、一家は苦しい生活を余儀なくされる。それでも、母と兄たちは末っ子の愛子だけは上級学校に行かせてやりたいと学資を貯め、加藤は県下でも数少ない女子専門学校(戦前の女子高等教育機関)であった金城女子専門学校(現:金城学院大学)に進学することができた。
 卒業後の1931年、加藤は上京し、明治大学専門部女子部に進学した。明治大学を志望したのは、そこでの教育が良妻賢母教育ではなく、「男子と伍して学問を身に着けたい」という彼女の希望に沿うものだったことが理由で、兄たちも「愛子を女学士にさせてやろうじゃないか」と後押ししたという。在学中は持ち前の明るさで人気者となり、女子部雄弁部で雄弁を振るい、野球の試合で応援団長の代りを務めて観客を唖然とさせたこともあったという。
 1934年に女子部、1937年に法学部を卒業、卒業後は信仰していた獅子吼会の導師の推薦で中税務会計事務所(所長中武三)に就職した。24歳だった加藤は当時であれば結婚すべき年齢であったが、家族に恩返しがしたいとの思いから就職の道を選んだという。中事務所では無我夢中で仕事に取組み、戦争で事務所の男性がすべて徴兵されてからは事務所を守るために一人泊り込んだこともあった。また、中事務所時代には、弁理士に登録、女性の弁理士は1935年に独学で弁理士試験に合格した井上清子(海軍省タイピスト)が最初だが、戦前期を通じて8名しかおらず、加藤は数少ない女性弁理士であった。
 戦後間もない1946年には、税理士の前身である税務代理士にも登録し、女性初の税務代理士となった(藤原房子『女のなかの女1 現代を生きる112人』)。そして、1952年に税理士法が制定されると、税務代理士の資格を有していた加藤は無試験で税理士の資格を得ることができた。この時、無試験での税理士登録者は計4438名だが、そのうち、女性と思われる名前は加藤も含め10名程度である。
 税務代理士への登録と同時期に、加藤は独立し、新宿、続いて銀座に東京経営研究所を開設した。1958年には「税制を通して女性の地位を高めよう」との理想をかかげて(藤原、前掲書)、全国婦人税理士連盟(現:全国女性税理士連盟)の創立に携わり、初代会長に就任した。税理士として「納税者の味方となって、純粋に権益よう護の立場」を貫くことを語り(同上)、男女問わず多くの後輩税理士に慕われ、1967年の全国青年税理士連盟の結成にも助力した。また、この間、美容院、小料理屋などの経営も手掛け、鳩山一郎の要請を受けて衆議院選挙にも出馬している(1952年)。1951年には神近市子や市川房枝、平林たい子らと働く女性によるボランティア団体東京パイロットクラブを設立、同会は加藤を「礎となった先人」として称えている。
 1982年、69歳で死去。葬儀には1000名にも及ぶ会葬者が集まったという。
 加藤の没後、生前親交があった人々により、『愛ちゃん 加藤愛子伝記・遺稿・追憶集』が刊行された。この文集を読むと、彼女が「円満なリーダーシップのある人柄」と「明るくて親分肌」な性格で、いかに多くの人々から慕われていたのか強く伝わってくる。

【参考文献】
「加藤愛子伝記・追憶」出版委員会編『愛ちゃん 加藤愛子伝記・遺稿・追憶集』1984年
*本文中の鉤括弧内での引用は記載がない限り、同著に基づきます。
市川房枝『婦人年報第一輯 婦人会の動向』文松堂、1944年
鎌田啓貴「戦後における計理士資格及び業務範囲の変遷—日本計理士会機関誌『會計監査』第二巻を見る—」『関西学院商学研究』第83号、2003年3月
古俣達郎「文官高等試験行政科を突破した女子部卒業生 渡辺美恵-女性の労働問題・人権問題をライフワークに-」2023年5月 https://www.meiji.ac.jp/history/meidai_sanmyaku/thema/article/mkmht000000bxm8r.html
藤原房子『女のなかの女1 現代を生きる112人』人文書院、1976年
『明治大学短期大学五十年史』明治大学短期大学、1979年
「明大女子部から女計理士二人」『時事新報』1932年6月4日
「婦人の職業戦に拓かれた処女地」『報知新聞』1935年10月19日
官報第1606号(1932年5月11日)、第3960号(1940年3月25日)、号外第105号(1951年12月25日)
東京パイロットクラブ  https://tokyo-pc.jimdofree.com/ (2024年6月18日閲覧)