2024.6
第11週「女子と小人は養い難し?」を振り返って
明治大学法学部教授、大学史資料センター所長/図書館長
村上 一博
村上 一博
第11週は、花岡の死去に始まり、家庭裁判所の旗揚げで終わりました。
花岡の悲劇的な死については、轟と同じ佐賀の出身で裁判官になったという設定でしたから、早い時期から、もしやと悪い予感がしていた方もおられたかもしれません。ヤミ買いを拒否して餓死した判事として広く知られているのが、佐賀出身の山口良忠判事です(青森地裁の保科徳太郎判事も同じ理由で餓死しています)。山口は、昭和22年10月に33歳で亡くなっていますから、花岡が死去したのとほぼ同じ時期です。佐賀高等学校から京都帝国大学を卒業したのち(花岡は帝大進学をあきらめて明律大学に入学しました)、高等試験司法科に合格して裁判官となり、横浜・甲府・東京地裁を経て、昭和21年10月から東京区裁判所で経済事犯(食糧管理法違反)担当の判事となりました。
当時はヤミ買いをしなければ生きていけなかったわけですから、食糧管理法はとうてい守ることができない、「期待可能性」のない「悪法」(もっとも、食糧管理法のおかげで貧困層でも食糧にありつけたという側面があり、一概に「悪法」とも言い切れないのですが)であり、違反しても「緊急避難」として不処罰にすべきだという議論もありました。しかし、「悪法」であっても法律である以上、違法行為は処罰されなければならないというのが、山口を含めて、多くの裁判官たちの共通の理解でした(情状酌量を認めて執行猶予を付けたケースもあったようです)。山口の餓死については、今日でもその理由や是非について意見が分かれるところです。山口の死去後に矩子夫人(父親は元大審院判事の神垣秀六)の個展が開かれ、最高裁判所は、出展された8点の絵画を買い上げて哀悼の意を表しました(ドラマでご一緒している清永聡NHK解説委員によると、この絵画は現在も最高裁判所に保管されているのだそうです)。
当時はヤミ買いをしなければ生きていけなかったわけですから、食糧管理法はとうてい守ることができない、「期待可能性」のない「悪法」(もっとも、食糧管理法のおかげで貧困層でも食糧にありつけたという側面があり、一概に「悪法」とも言い切れないのですが)であり、違反しても「緊急避難」として不処罰にすべきだという議論もありました。しかし、「悪法」であっても法律である以上、違法行為は処罰されなければならないというのが、山口を含めて、多くの裁判官たちの共通の理解でした(情状酌量を認めて執行猶予を付けたケースもあったようです)。山口の餓死については、今日でもその理由や是非について意見が分かれるところです。山口の死去後に矩子夫人(父親は元大審院判事の神垣秀六)の個展が開かれ、最高裁判所は、出展された8点の絵画を買い上げて哀悼の意を表しました(ドラマでご一緒している清永聡NHK解説委員によると、この絵画は現在も最高裁判所に保管されているのだそうです)。
花岡の死と言えば、復員してきた轟が花岡の死を知り悲しみのあまり酒をあおっていたとき、よねが偶然に通りかかり、結局、二人で弁護士事務所を開設することになりました。よねは、東京空襲で焼け死んではいなかったのです。これから戦争孤児・浮浪児たちを助ける仕事に尽力することになります。新憲法に拠って法律上の女性差別が一掃され、新たに司法試験が始まるのが昭和24年ですから、よねも早く司法試験に合格して弁護士資格が取得できると良いのですが・・・。
さて、第11週には、家庭裁判所設立準備室長として、「ちょび髭」の親爺、滝藤賢一さんが演じる多岐川幸四郎が新たに登場しました。モデルとされたのは、最高裁判所事務総局の初代家庭局長となり、「家庭裁判所の父」と称えられた宇田川潤四郎、朗らかで人懐っこく、感情豊かで、髪を七三に分けて、鼻の下にちょび髭を生やし、裁判官らしくないユーモラスで天真爛漫な人物だったようです。ドラマの多岐川は、実際の宇田川にそっくりです(もっとも、私は宇田川に会ったことはありませんが)。ドラマの多岐川は、裁判官として朝鮮に渡り、労働運動で逮捕・起訴されたヒャンちゃんの兄の予審を担当したことが縁となり、配下の汐見圭判事とヒャンちゃんが結婚するに至りました(双方の両親は結婚に反対で、二人は勘当されてしまいました)。多岐川・汐見とともに日本に戻ってきたヒャンちゃんは、朝鮮人であることを隠して、「香子」という日本人として生きる決断をしました。これがドラマの筋書きですが、実際の宇田川は、昭和4年に早稲田大学を卒業後、裁判官となり、昭和13年に満州(朝鮮ではありません)に赴任、新京地方法院審判官を経て、中央司法職員訓練所主事を務め、昭和21年8月に帰国、昭和22年京都少年審判所長を経て、家庭局長になっています。京都少年審判所長時代に、アメリカのBBS運動 (Big Brothers and Sisters Movement) に倣って、京都の大学生を束ねて少年少女の保護活動に取り組みました。ドラマでは、寅子の弟の直明が、多岐川をとても尊敬し、東京少年少女保護連盟の一員となって、孤児たちの保護活動に奔走していましたね。
寅子は、民法調査室から、多岐川を室長とした家庭裁判所設立準備室に移って、家庭裁判所の設立に取り組むことになりましたが、家庭裁判所は、GHQの提言によって設置が決まった機関であり、従来から裁判所であった家事審判所と、従来は行政機関であった少年審判所を統合しようとしたために、相互の折り合いが悪く、統合は難航しました。しかし、孤児たちを助けたいという直明の純真無垢な熱意が職員同士のわだかまりを解消して、なんとか昭和24年1月1日に発足することができました。
なお、ドラマでは、桂場が買い上げた花岡の未亡人奈津子の絵画(チョコレートを手渡している絵)が、東京家庭裁判所の壁に掛けられました。多岐川は家庭裁判所の意義を力説します。「法律っちゅうもんはな、縛られて死ぬ為にあるんじゃない! 人が幸せになるためにあるんだよ!・・・法律を守った花岡がどんなに立派だろうが、法を司る我々は彼の死を非難して怒り続けねばならん! その戒めにこの絵を飾るんだ」と。ちょび髭親爺の見事な演説です。実際に、矩子夫人と家庭裁判所とは深い繋がりがあり、彼女は昭和36年から東京家裁の調停委員を勤め、彼女が描いた無料調停相談のポスター(鳩が蒼空を飛翔する絵)が全国の街々に貼られたということです。
次週からは、「愛の裁判所」(家庭裁判所)で、寅子が奮闘します。お楽しみに。
【補足】
第6週の振り返りコメントで、三淵さんと一緒に日本初の女性弁護士のひとりとなった中田正子さん(三淵さんと同学年、年齢は4歳年上でした)を紹介しました。中田正子さんは、昭和14年に鳥取県出身の中田雄吉と結婚、昭和25年に鳥取で「中田正子法律事務所」を開業、昭和44年には女性として初めて鳥取県弁護士会長に就任、平成14年に亡くなるまで鳥取の地で活躍されました。
今回、中田さんをモデルとした、鳥取県弁護士会のマスコットキャラクター「まさこ先生」が、母校・明治大学を訪問するイベントが6月21日(金)14時から明治大学博物館で開催されます。明治大学公式キャラクターめいじろうとのグリーティング(記念撮影可)もありますので、都合がつけばご来館ください。
関連リンク
- お問い合わせ先
-
博物館事務室(明治大学史資料センター担当)
〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1 アカデミーコモン地階
eメール:history★mics.meiji.ac.jp(★を@に置き換えてご利用ください)
TEL:03-3296-4448 FAX:03-3296-4365
※土曜日の午後、日曜日・祝祭日・大学の定める休日は事務室が閉室となります。
当センターでは、明治大学史に関する資料を広く収集しております。
明治大学史関係資料や各種情報等がございましたら、どのようなことでも結構ですので、上記までご一報くだされば幸いです。