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校旗・校章

校章

 今日、目に見える明治大学のシンボルとして、主なものに校旗がある。校旗は、普段は堅固なケースに納められ、庶務課に保管されており、式典や行事の際に掲げられる。
  この校旗の由来は明白である。1939(昭和14)年10月17日付『明治大学 駿台新報』は「60周年記念を控えて 総長にきく 校旗の由来」と題して、やや詳しい記事を掲載している。それは表題のとおり、翌年に創立60周年を迎えるために組んだものであるが、直接のきっかけは同年9月29日、文部省教学局から本学に対して校旗の由緒について、調査があったからである。本学ではさっそく、校旗制定時に学長であった木下友三郎総長の協力を得て、報告書を作成し、文部省へ提出した。その要約や総長談話が同紙に掲載されたわけである。
以下、要点をまとめてみる。
  校旗は1915(大正4)年4月に制定された。制作に当たり、この校旗全体には典礼の精神である荘厳さをあらわそうとした。
また、形は方正端厳な幡であることを考慮した。また、色は色階の最上位である深紫とした。ここには「向上の希望」(同総長談)がこめられている。
  そして大体、長方形のこの旗の中央よりやや上部に配置されているのが校章である。ところが、明治大学ではじめて校章を制定したのが、いつかということはよくわからない。しかし、1889(明治22)年2月、明治法律学校(明治大学の前身)生徒の浜田芳太郎が国元・神奈川県久良岐郡森村(現、横浜市磯子区森町)の父・与兵衛に宛てた書簡には、このたび生徒の義務として制服が定められたとある。ただし、この制服に校章が付いていたのか、どうかは目下のところ不明である。その後、1901(同34)年4月に学生の風紀を保つために制帽・制服が定められ、その帽章と服装釦に篆書で「明法」の二字が入れられた。しかし、これが具体的にどのような図案なのかは定かではない。さらに、1903(同36)年10月に服制が改定された。専門学校令による「明治大学」が誕生した時である。その際、帽章と服装釦は篆書で中央に「大学」、左右に「明治」が付された。別掲の図のとおりである。
  問題は今日使用している校章(別掲図)はいつ定められたのか、ということである。このことは、目下のところ、確定できない。ただし、別掲の写真はひとつの手がかりとなる。この写真は1911(同44)年10月14日に催された創立30周年記念式のひとこまである。拡大してよく見ると、左側の旗のマークは「明治大学」、しかも今日のそれと同じように見える。この30周年を記念して今日のマークを制定したとはまだまだいえないとしても、少なくとも明治40年前後に制定したといえよう。

(明治大学大学史資料センター事務室室長 鈴木秀幸)
明治大学職員会会誌第22号(1999年6月17日発行)より転載