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法学部

法廷メモ事件(レペタ事件)で知られる、ローレンス・レペタ先生が「日本の法廷と傍聴人のメモ: マイ・ストーリー」をご講演されました!(辻雄一郎教授の「憲法(人権)I」の授業にて)

2023年06月16日
明治大学

2023年5月29日に、辻雄一郎教授の「憲法(人権)I」の授業にて、法廷メモ事件(レペタ事件)で知られる、ローレンス・レペタ先生(弁護士・元明治大学特任教授)が「日本の法廷と傍聴人のメモ: マイ・ストーリー(My experience opening Japan‘s courts to spectator notes)」をご講演された。



--------以下は1年の松下琢真さんの感想です。--------

「ローレンス・レペタ先生のご講演」
レペタ先生は、裁判所でメモを取るのを禁止することが日本国憲法第82条の裁判の公開や知る権利に違反すると主張して、1985年に国家賠償請求訴訟を提起し、1989年に最高裁において請求が棄却されたものの、日本国憲法第21条第1項の精神に照らし尊重されるべきとして裁判所での筆記行為を実現した。
私は、今まで外国の弁護士の方のお話を直接お聞きするという経験がなかったこともあり、先生のお話の全てが新鮮なものであったとともに是非とも今後の法律科目の勉強に活かしたいと気持ちを新たにした。そのお話の中で、特に印象に残った場面がある。
一つ目は、アメリカ合衆国憲法の父といわれた第4代アメリカ大統領James Madison, Jr.の言葉を引用して、日本における「知る権利」「情報公開」がなぜ必要なのかを説明したところである。
James Madison, Jr.はこう述べた。

「情報を持つ者は持たない者を支配する。自ら統治者になろうとする人民は知識の力で武装しなければならない。」

その当時の情勢を踏まえると、われわれ人民(国民)が主体的に政治に参画するための要素の一つとして大事なのは情報、すなわちわれわれが必要なときに知れることであるということが本質ではないかと考えた。

 二つ目は、日本におけるレペタ訴訟の最高裁の判断と、アメリカにおけるRichmond Newspapers, Inc. v. Virginia, 448 U.S. 555 (1980).の差異である。日本の最高裁は、筆記行為は日常生活における活動の一部だとしたうえで、法廷におけるそれはあくまで日本国憲法第82条第1項に基づく権利ではなくて、同第21条第1項の精神に照らし故なく妨げられないものだと述べたが、アメリカでは裁判のテープ録音が合衆国憲法修正第1条に基づく権利として認められるとした。

 日本では憲法上の権利として認められずアメリカでは認められるという差が生じることは両国で表現(言論)の自由に対する捉え方に相違があると考えるのだが、日本で筆記行為が憲法上の権利として認められないことには裁判所に何か不都合があるのか、それとも単に人権のインフレ化を起こすため一般的な考え方としての例を提示したに過ぎないのかと思い、今後の検討すべき点となった。

 今回の先生のお話から学ぶべき点、勉強にて活かすべき点がかなり明確となった。貴重なお話をしていただいたローレンス・レペタ先生に心から感謝申し上げたい。

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ご講演後に、憲法の江藤英樹教授が閉会のご挨拶をされた。
レペタ先生は、2022年にJapan’s Prisoners of Conscience(Routledge)を上梓されている。「世界」6月号(岩波書店)に「〈立川反戦ビラ事件をめぐって〉表現の自由をめぐる「時を超えた闘争」ローレンス・レペタ(米国弁護士)、訳=岩川直子が掲載されている。