法人の皆様へ
皆様から頂戴しましたご厚志は、本学の教育・研究活動の発展のために大切に使わせていただきます。
今後ともご支援の程よろしくお願い申し上げます。
明治大学広報では、寄付者の皆さまから頂戴した本学への想いを掲載しております。
寄付をする想いは人それぞれ異なりますが、皆さまの共通点は、強い愛校心や、大学や後輩への温かい思いを胸に秘めていることです。
これからも一人でも多くの皆さまの想いを紹介できればと思います。
ご寄付の際は、ぜひコメントをお寄せください。
明治大学広報 新春増刊号(2021年1月1日発行)掲載
インターネットでご寄付いただいた 皆様の公開メッセージ(抜粋)を 紹介いたします
◆今コロナで辛い思いをしている学生さんもいると思いますが、今乗り越えられれば人の痛みに寄り添える優しさと、自分が支えてもらったように他の人に返していけ る自分になれると思います。応援しています。
◆困難な時代ですが、未来に向かうご自身の底力を信じて、前進してください。
◆明治で学んだことが現在に繋がっています。まさにConnecting the Dots by Steve Jobs です。いろんな可能性にチャレンジしてみてください。
◆新型コロナで家計状況が厳しい学生の皆さんを少しでも応援できればと考え、喜んで寄付をさせて頂きました。頑張れ、明治大学の学生諸君!!
◆100年に1度の危難の時、この危機を不幸と感じるか、または歴史の生き証人と感 じるか。このような時こそ、生き抜いた人が、後生の生き字引になる。困難にめげ ず立ち向かおう。必ず、好機が訪れる。負けるな!
◆厳しい時代にあっても学業を継続し、世界の役に立つ人物になってください。
◆給付奨学金で、夢を叶えることができました。ささやかながら、今度は私が、みなさんの夢を叶えるお手伝いをさせて頂きたいと思います。
◆ほんの僅かではありますが、世の全ての方々にとって有為な人材を輩出する諸施策の一助としていただければと思い、参加させていただきました。明大(卒業)生、がんばれ!
明治大学広報 募金特別号(2020年9月1日発行)掲載 学生・教育活動緊急支援資金に寄せて
「昭和最後の明大卒。平成も明治、令和も明治」奥野 裕子 様 1988年卒
スタンドの高齢化が進む神宮・ 秩父宮にも今も行きます。野球と違い最初はルールもまるでわからないまま先輩に連れていかれたラグビー観戦でしたが、今思えばあの時があればこそ昨年のワールドカップの感動にあそこまで浸れたのでしょう。今年はいろいろむつかしいことばかりですが、これも また後に語り草のみならず肥やしにもなると思います。 明治にはたくさんの校友がいます。必要とあらば一肌脱ぐぜ、とい う人は少なくないでしょう。かつて早明戦チケット購入のため夜の新宿で並んでいたら「なんか食ってあったまれ」とお小遣いをくれた見知らぬOB、飲み会(今はオンライン推奨)の際、隣席から合流してきて会計支援してくれた見知らぬOB、その節は有難うございました。今は私もその世代です。微力ながら今後も何か恩返しをと思います。
「彷徨う」落合 裕一 様 2009年卒
正直、これは大袈裟に聞こえるかもしれません。しかし、ぼくは 友達をはじめ周りの人たちに支えられながら、今の今まで社会人としてなんとか生きていけた…というのは紛れもない事実です。 ぼくにとっての大学生活は、卒業した後でさえ、様々な意味で学び合い励まし合える、今思えばそんな唯一無二の友達に出会えた時間でした。 学問や就活準備等はもちろん大切ですが、もっと大事なものは2度と帰ってこないこの「4年間」という時です。ぼくがそうだったようにみんなにも、一生に一度の時を感じて欲しい…そんな気持ちから、ぼくはこのような選択をした次第です。目の前は確かに真っ暗です。みんなもぼくもまた、いまを彷徨っています。ただ、自分たちでは気付かないけれど、そっと誰かが見 守り支えてくれています。彷徨いながらも、ぼくらはきっと一歩を踏み出せるはずです。
「次代へ 繋ぐ支援のバトン」塚田 萌 様 2018年卒
現在、このコロナ禍の中で、経済状況の苦しさから退学を考えざ るを得ない学生が少なくないと聞き、胸が痛みました。それは、たまたま今年学生であるというだけの理由で教育を受ける 機会を手放さざるを得ないことがあまりにも理不尽であると同時に、もしこのコロナ禍が在学中に起き ていたら、そうした決断に迫られていたのは自分だったかもしれない と容易に想像ができたからでした。これはぜひとも学生時代に受けた 恩返しをしなければと思い至り、今回の学生・教育活動緊急支援資金へ の寄付をさせていただきました。 あまりにも微力ではありますが、私がそうしていただいたように、今度は私が在学生の誰かのかけがえのない学生生活を守る一助となれていることを願います。
「「母校・明治大学」への感謝とエール」茂木 聖親 様 2019(平成31)年卒
明治大学広報第735号(2020年1月1日発行)掲載
「母校と良き先輩方に感謝をしながら」風間 卯一 様 1961年 経営学部卒
そのような体験もあり、いま母校で「志」を持って頑張っている苦学生やアルバイト学生の奨学サポーターになりたいと思い、寄付をいたしました。私のサポートの力はわずかですが、大変喜んでいただいたことに嬉しさを感じております。
東京の御茶ノ水、駿河台、神保町には私の若い頃の青春がいっぱい詰まっています。そこで頑張っている学生には、いま上手くいかなくても落胆することはない、縁あってたどり着いたところに良い先輩や仲間がいて、何の役にも立たなかったことが急に価値を持つようになる、人生に良い出会いがあって良い結果が出る、とお伝えしたいです。
これからも、明治大学とそこに学ぶ学生を応援していきたいと思います。
「時代は変われども、母校明治愛は変わらない」藤方 英和 様 1979年 法学部卒
私は、昭和50年4月、念願の明治に入学しました。真っ先に両親に報告しました。光る高校の古学生服に、新品飾りは、憧れの明大法学部のボタンとバッチだけでした。卒業式までこの学生服で通いました。
私が卒業できたのは、恩師、先生方や友人の励まし、そして明治の奨学金のお陰です。父が倒れ困窮する中、明治は奨学金だけでなく心身ともに支援してくれました。
時代は昭和から平成へと流れ、私は勤労学生時代から24時間働けますか時代を経て、数年前に定年となりました。この間、母校を忘れたことはありません。明治は、私の心の支え、人生の思い出そのものだからです。
広報紙のお陰で奨学金や様々な明治大学を支援する募金があることを知り、恩返しとして募金を始めました。昨年は、初めて紫紺ネット会員になり、ホームカミングデーにも参加し、明治愛に感動しました。
今も友人や先生方、両親、明治に感謝しています。時代はどんなに変われども、明治に関わる家族や友人含めて母校明治愛は共有され、永久に変わりません。未来の学生、母校明治にぜひ前へと繋げてもらうために、私も明治サポーターであり続けたいと思います。
「大学への恩返しを励みにがんばります」小宮山 司 様 1985年 商学部卒
社会人になってから六大学野球や箱根駅伝、大学ラグビーなどのスポーツで後輩が活躍しているのに一喜一憂し、明治大学のOBであることを誇らしく思っています。また、大学施設の充実は私の時代とは雲泥の差で、恵まれた環境をうらやましく思う以上に、これからの日本を担う世代を輩出するためにも僅かばかりではありますが、大学への恩返しも含めて寄付をさせていただいています。おー、明治!!
明治大学広報第723号(2019年1月1日発行)掲載
今しかできないチャレンジを 近藤 渉(1979年経営学部卒)
私は卒業後地元の地方銀行に就職し、2年前定年を迎えました。在学中は当時学部長の故藤芳誠一先生のもとで経営学を専攻する傍ら、ステップ英語会に所属し、学友達と日本の国際化とは何かなどと、安いお酒を酌み交わしながら熱い議論をしたことが懐かしく思い出されます。
就職後も大学時代に培った自分の強みを大切にしようと、ボーナスをはたいてFinancialTimesを定期購読したり、休暇には欧州の金融センターや中国などへ旅行し、「何でも見てやろう」精神で自分への投資をしました。そのお陰か国際部に配属となり、ロンドンでのディーリング研修を経て、ベルギーで現地法人を立ち上げ、1999年からは上海事務所長として3度目の海外赴任をいたしました。
銀行員生活の多くを過ごした国際部門と約8年の海外駐在員時代を通じ、沢山の経験と内外に多くの知己を得たことは私の財産です。この礎を作ってくれたのが母校明治大学の恩師、諸先輩であり、また何より明治大学の風土であることに今改めて感謝しております。在学中は故北島監督率いるラグビー部の常勝時代でしたが、その不屈の精神を象徴する言葉「前へ」は、海外で様々な困難に遭遇した時、いつも問題解決の大事なキーワードでした。
国際環境は急速に変化しており、これに対応できる強い資質を持った人材が求められています。このことは海外では勿論、国内の様々な分野における国際化の進展においても一層顕著です。これから社会人となる学生の皆さんは、是非とも「国際人」を目指して下さい。これは単にコミュニケーションができるということではなく、Discussion、Negotiation、Persuasion、Coordination、Collaborationなど、これらを国内外いずれにあっても、日本語を母国語としない人々、日本と異なる文化・風土で育ってきた人々としっかり行うことができる能力がとても重要という事です。
学生時代は限られた時間です。今しかできないできるだけ多くのチャレンジと経験を積んで視野を広げ、世界に羽ばたいてください。
明治大学広報第719号(2018年9月1日発行)掲載
『明治スピリット』は人生を応援し支えてくれています 米山 明子(1982年 短期大学経済学科卒)
また、このとき出会った『MCTC:明治大学サイクリストツーリングクラブ』は今も楽しい時間を共にする仲間です。あのころのままの若い感性で一緒に過ごす時間は、今の私にとって大きな気持ちの拠り所です。母校が明治で本当によかったと思っています。そしてこれからも明治を母校とする方のために寄付を続けていきたいと思っております。
今尚続く母校・明治大学との繋がり 飯塚 博幸(2006年文学部卒業)
その様な折に、大学から送られる『明治大学広報』で継続寄付の制度を知り、以来明大への寄付を続けさせていただいております。どこか面倒に感じてしまう都度の振り込み手続きはなく、また、今の私にとって無理のない範囲での寄付が定期的に行えるこの制度であれば、息の長い支援ができるのではないかと考え、思い切って始めたことを覚えております。
また、学生時代に「デザインが格好良い」という少々不純?な動機で作った明治大学学生カードも、利用額の一部が大学に還元されるならと、引き続き明治大学カードとして利用しております。
卒業後は、大学との関係が薄れがちになってしまう方も多いかとは存じますが、私は寄付を通じ、今でも明大との繋がりを感じております。だからこそ明大の活躍は、自分事のように嬉しく、誇りでもあるのだと思います。微力ではありますが、今後も明大の躍進に寄与できれば幸いです。
最後に、山田朗先生には3・4年生時にゼミや卒論で大変お世話になりました。山中湖セミナーハウスや、民宿・雷五郎での合宿は今でも良い思い出です。改めて深く御礼申し上げます。
明治大学の更なる飛躍を願って 尾崎 義美(1975年経営学部卒業)
大学時代は体育会スキー部に所属していました。合宿所は私がいた頃から既に古く、卒業後、老朽化による建替えの話が出たとき、OBがある程度寄付を集めれば大学が足りない費用を負担してくれるとのことで、私も僅かながらでも役に立ちたいと寄付をさせていただき、現在の新しい合宿所が実現しました。
このように、一人一人は僅かでも、大勢の人が集まると、大きな力に繋がって大きなことを成し遂げられる寄付金の重要な役割を私は何度も実感しました。
その後、未来サポーター募金が制度化されると、他の体育会のクラブや奨学金にも年に数回、寄付をさせていただくようになりました。今後も私を含め多くの方々からの寄付が大きな実となり、母校の飛躍に繋がることを期待して継続していきたいと思います。
明治大学広報第711号(2018年1月1日発行)掲載
「学恩を深く感じています」中田 重男(旧姓:阿部)(1957年政治経済学部卒業)
教員免許を取り、郷里の山口県萩市でやりたかった教師を29年間勤めました。今の自分があるのは明治大学のお陰だと思っています。学恩を深く深く感じています。
定期的に届く明治大学広報は、様々な情報に接することができ、喜んでいます。なかなか寄付できず、相すまぬ思いがしていました。ですが、創立120周年の募金には協力しました。同郷の知人から「リバティタワーの寄付者銘板にあなたの名前も出ているよ」と聞きましたが、未だに自分の眼で直接確認できないのが残念です。
退職後、ガンとのつきあいが始まり、5つのガンと闘いました。現在も治療中ですが、定期検査ではそれほど心を痛めないで過ごしています。この3月には米寿を迎えました。残り少ない命、僅かですが最後の寄付を致しました。
60年も前のこと、記念館講堂での卒業式で政経学部代表として卒業証書を受けたことは今でも忘れることができません。嬉しい、懐かしい思い出です。
明治大学広報第707号(2017年9月1日発行)掲載
出会いと学びをくれた大学への恩返し 室岡 恵(2015年商学部卒)
所属していた旅行サークルでみんなと旅行したこと。友達とご飯を食べに行って夜までひたすら話をしていたこと。海外語学研修に参加し、アメリカへ一か月間短期留学をしたこと。就職活動がうまくいかず悩んでいた時に、友達からお守りを貸してもらったこと。ボランティアでペットボトルキャップの回収をしにお茶の水を歩いたこと…。
振り返ると、いろんな人に出会い、教えられ、支えられた期間だったなと思います。
人との出会いを通して、自分の知らなかったことに興味を持つようになったり、いろんな考えがあるのだと教えてもらいました。また、友達に支えられた経験から、今度は自分も人を支えられる人になりたいと思うようになりました。
そして、そのように大学時代に教えてもらったことや思ったことが、今でも私が生きる上での指針になっています。
たくさんの出会いと学びをくれた明治大学が私は大好きです。そして、大好きな大学のために何かしたい。そう思って始めたのがこの継続寄付でした。決して大きな額ではありませんが、少しずつでも大学に恩返しができたら幸いです。
明治大学広報第707号(2017年9月1日発行)掲載
企業や経営者が大学にもっと投資をしよう。未来のために。 五月女 圭一(1996年政治経済学部卒)
つまりは明治大学が有する学内外のネットワーク網を活用することで、新たなコラボレーションの実現等、ビジネスの新境地を開拓するチャンスにも繋げられると考えております。私が明治大学の活動をサポートすることは、本学の優れたポテンシャルを発揮するきっかけの一つになると期待すると同時に、関連する企業がもっと大学に投資や寄付を行うことが今後の日本の成長に欠かせない重要なアクションであると考えております。
我々が諸先輩方にしていただいていたように、先人が後輩を導くのは義務だと認識して実行すること。それは好循環を生むと信じています。
明治大学広報第707号(2017年9月1日発行)掲載
学生と大学に感謝 中川 雄一郎(1969年農学部卒、1972年政治経済研究科修士課程修了、本学名誉教授)
そうなったのには理由がある。毎年私は、卒業式後に私がゼミナールの卒業生に感謝する「ゼミ生への謝恩会」で「卒業は君たちの人間的な成長の里程標」であり、また「人間とは学ぶことを怠らない精神である」との「卒業の言葉」を送ってきたが、本年3月を以て定年退職した私は、最後の謝恩会で「最後のゼミ生と一緒に卒業だ」と思ったのである。
私は本学で42年もの間、協同組合学の教育と研究に従事してきた。学生たちは私の講義とゼミ指導に能くついてきてくれた。「学生あっての教員だ」とつくづく思う。そう思うやお世話になった本学に「謝恩の気持ち」を寄付という形で躊躇なく寄せることができた。
そして私は「私の卒業の最初の一歩」をこう詠んだ:生きること確と愉しき朝寝かな
明治大学広報第699号(2017年1月1日発行)掲載
「明治が母校でよかった!」 中田 哲也(1976年政治経済学部卒)
卒業後は地元に帰り、会社勤務の後起業、50名にも満たない小さな会社を始めました。忙しい日々を過ごしながらも定期的に送られてくる大学や校友会(支部を含む)からの案内には必ず目を通し、母校や先輩後輩のご活躍に喜びを感じておりました。
還暦も過ぎ、孫の成長を喜び、若い社員達のまぶしい姿を見ながら、毎日を送っていたところ、わが母校明治大学から「特別招待校友」としてホームカミングデー参加のお誘いがありました。そこには寄付のお願い文書も同封されており、多感な青年期を過ごさせてくれた明治大学に、一雫のささやかなことからであっても「感謝」の気持ちを形に変えていこうと思い、人生のパートナー、よき理解者である妻とともに足を運ばせていただきました。
「めいじろう」が出迎えてくれたわが母校は、私が過ごした学生時代からすっかり景色が変わってしまいましたが、微笑まずにはいられない至福のひとときを一人の卒業生に与えてくれました。
「母校への思いを未来へ」 成井 政仁(1996年農学部卒、2003年政治経済学研究科修了)
私が毎月寄付を始めたのには一つのきっかけがありました。数年前とある演劇で新島襄の役を頂きました。現在私は小学校の教員をしており、新島の役はとても名誉であり同時にプレッシャーでもありました。その時、新島と同志社について調べ、彼の生涯と不屈の精神に感銘し深く尊敬するようになりました。しかし同時に「明治はどうなんだ?」とふと思いました。
明治の3人の創設者の名前は知っていたものの、どのような歴史があり今日まで続いてきたのか、恥ずかしながらほとんど知りませんでした。これを機に岸本辰雄先生や明治法律学校の歴史を調べ始め、他に例をみない格調高い「設立の趣旨」、いく度の廃校の危機に遭いながらも創設者たちが私財を投げ打って学校を繋いだことなど調べれば調べるほどすばらしい歴史と伝統を持っていることを知りました。ここに至って明治に対する誇りと愛校心をより強め、母校のために何かできないかと考え、学生と未来のためにサポーター募金を始めました。
私も教育に携わる者として、岸本先生を敬愛し(もちろん新島襄も)、先生が教育にかけた情熱の何万分の一でも受け継いで、子どもたちの教育に臨んでいきたいと思っています。明治大学がこれからも益々発展し、多くの若者たちが明治を巣立って活躍していくことを願っています。
飛び続けるため、お力をお貸しください 体育会航空部監督 折原 正規(1977年農学部卒)
ところが、航空部はいま危機に直面しています。グライダーを離陸させる「ウインチ」という装置に故障が頻発し、寿命が近づいています。私たちは新たなウインチの購入を決めましたが、1600万円の資金が必要です。OB・OGたちにお願いし、まずは17年春までに1千万円を集めようと奮闘していますが、容易ではなさそうです。飛べなくなることほど、私たちにとってつらいものはありません。どうか、「未来サポーター募金」を通じ、皆様のお力をお貸しください。夢を絶ちきらないための心からのお願いです。
明治大学広報第695号(2016年9月1日発行)掲載
自分を磨き、仲間を大切に! 明治大学頑張れ! 一泉 知由(1975年商学部卒)
私を今の会社に強烈に誘ってくれた西脇司(にしわきつかさ)社長(明治大学校友会愛知県支部長)は、明治大学付属明治高等学校の同級生です。15歳から大学を卒業するまで、共に学び、遊んだ仲間と、卒業して33年後に、同じ会社で働くことになるとは、とても不思議な縁を感じています。
実は、大学2年生の秋のゼミの入室面接で、私の父親(一泉知永)が商学部の教授(専門は金融論)だったこと、また、一泉(いちいずみ)という珍しい名前が災いして、希望した全ての先生から入室を断られ、やむを得ず一泉ゼミに入り、何と父親が指導教授でした。
私は副ゼミ長で、ゼミ長は、本年5月に 明治大学の理事長になった柳谷孝(やなぎやたかし)さんで、彼は、野村證券の副社長・副会長を務め、2年半前から弊社の顧問を お願いしています。
因みに、父親は11年前に亡くなり、ゼミの第1期生は、今年80歳になりましたが、毎年1月の第2土曜日にOBが集まり、父親の墓参り(明治大学和泉校舎をのぞむ築地本願寺和田堀廟所)の後、OBの身内が経営する居酒屋で懇親会を実施しています。
私が明治大学を卒業し41年が経ち、64歳になる現在もモーレツに働くことができるのも、明治大学での学び、明治大学で知己を得た友人のお陰様であると、心から感謝しています。
この度、少しでも明治大学にご恩返しが出来ればと考え、『未来サポーター募金(奨学サポート資金)』に寄付させて頂きました。
明治大学の今後益々のご繁栄と、明治大学で学ぶ学生の皆さんのご活躍を心よりお祈りしております。
未来サポーター募金に寄せて 川井 章江(1986年政治経済学部卒)
学生時代の恩師、校友と過ごした日々はいまだ色あせることはない。偶然にせよ誰かに会ったことで人生が大きく変わることがある。学問だけではなく人としての生き方も背中で教えて下さった吉田忠雄先生。感謝してもしきれない恩師である。
先日、久しぶりに吉田ゼミの仲間と集う機会があった。それぞれがそれぞれの道で成功しているのに偉ぶったところが全くない。そう、昔からそうなのだ。あくまで自然体、肩の力が抜けていて気持ちがいいくらいにおおらかなのだ。別れ際「次に集まる時は先生のお墓参りに行こうよ。」と誰からともなく声が上がる。少々口は悪いが、情に厚い素敵な面々である。
この頃ますます、経済、スポーツ、テレビ、音楽、文学、法曹とさまざまな分野で明 大出身者の方々が活躍されている。明大出身と伺うだけで親しみもわくし、無条件に応援したくなるし、その活躍が嬉しくて仕方がない。
明治大学という懐の大きな港に立ち寄る縁を持てたことで、私はかけがえのない心の糧を得ることができた。恩返しというにはあまりにもささやかですが、ほんの少しでもお役にたてれば幸いです。
全てのことにありがとうの想いを込めて。
学恩は、山より高く、海より深し~寄付は母校との絆 宮北 秀吉(1975年農学部卒)
ただ時代は学園闘争のピークであり、生田校舎も騒然とした状態でありました。生協の運営権を巡る内ゲバ、過激派による授業の暴力的なボイコット、逆に大学側のロックアウトもありました。そのような状況下でも農学部と工学部の学生は地道によく勉強していました。
自然科学系が主流の生田校舎で、農業経済学科は経済学と自然科学の両方を学べ、指導教官との距離が近くて家庭的な一面がありました。ゼミは農業金融の岡田正雄教授で、温厚で優しい教授の指導のもと経済学や金融を学びました。当時はまだ近代経済学とマルクス経済学が同時併存している状態でした。
私は牧場経営を経て、現在不動産賃貸業を営んでおります。その経営の基礎となる、農学、経済学、経営学、簿記会計等を人徳のある優秀な教官との人間的なふれあいの中幅広く学ぶことができ、母校明治大学には大変感謝しています。ある教授からは、ビジネスで成功したいなら法学も学び、リーガルマインドも大切だと助言していただきました。それで法学部で民法や商法の単位も取得しました。それが社会人になって宅建試験や資格取得に大変役立ちました。
私の今日の礎を築いてくれた母校に恩返しの意味でキャンパス整備サポート資金に微力ながら寄付していて、今後も継続したいと思います。又、校友会札幌地域支部の幹事として校友会活動で少しでも母校の役に立ちたいと頑張っています。
改めて、明治大学からはかけがえの無い有益な青春4年間と学問的基礎をもたらされたことに感謝しています。素晴らしいキャンパスや、受験者数日本一を争うなど母校の発展と、次女が経営学部を卒業して親子2代で校友になったこと、この2つが私心からの大きな喜びであり誇りとするところです。
明治大学広報第687号(2016年1月1日発行)掲載
縁 山﨑 美好子(1975年法学部卒)
ホームカミングデー当日、偶然出会った旧友から、山の上ホテルでフランス料理をご一緒に、と誘われたのです。驚いた事に、そこには良く知った法学会の同窓生が、しかも4組のご夫婦になられて。当日来られなかった人達も含めて、旅行をしたり、旧交を温めているとのこと。懐かしく、満たされた一時でした。
振り返ると、語学系大学の他に仏法の明大を受験しなかったら、納谷廣美先生の民事訴訟法・伊藤進先生の物権法の前年に選択したシェイクスピアのプロゼミの先輩から法学会を勧められなかったら、今日のこの一時はなかったかもしれない。
現代法研究室の答案練習で、弁護士には向いていないよと言われ、あっさり断念したこと。幸い、学長推薦を得て、国鉄秘書室に入り、公務員になって喜んだのも束の間、僅か1年半余りで結婚し、専業主婦になったこと。40代で学芸員の聴講生として、再び明大に通うことになったこと。
その時々に縁あって選択を繰り返してきたのだけれど、少しのゆとりと、多くの人々の支え無しでは成し遂げられなかったでしょう。今度は、そろそろ貴女が誰かを支える番だよ、という声がします。私の寄付はほんの一雫の些細なものでしょう。それが波紋となって、大きな円・縁になるよう願うばかりです。
旧友との再会~そして母校への想い~ 石﨑 雅彦(1986年商学部卒)
緊張と期待を胸に参加。果たして旧友の顔を見るや否や一気に古き時代へタイムスリップ。お互いの断片的な記憶を繋ぎ合わせると心の奥底に封印していた純粋な気持ちが不意に蘇り、自分でも予期し得なかった母校明治への熱い想いとなって現れる。以来、旧友と秩父宮ラグビー場・神宮球場へと出かけては学生さながら声援を送り勝利の美酒に酔う。そしてそれはいつしか「母校へ恩返しがしたい」という気持ちへと変化する。
そんな折、大学の広報誌で「ホームカミングデー」というイベントが開催されることを知る。大勢の校友が集い、その場で寄付も受け付けるという。「これだ!」
高層ビルに変貌した駿河台キャンパスで寄付金を納め、30年ぶりにマンドリン倶楽部の演奏を聴く。温かい音色とほとばしる情熱に酔い、ラストの校歌演奏では聴衆全員が立ち上がり自然に肩を組み大合唱に。突如声が詰まり思いがけず溢れる涙。「明治大学出身でよかった」心からそう思う瞬間。
長い年月を経て今ここに立てることに感謝し、これからも前へ前へと歩いていこう。そう、立ち寄った男子トイレの壁には「一歩前へ」と書かれたシールが貼ってあった。北島ラグビーの精神は今も脈々と息づいている。
明治よ、前へ!
明治大学広報第683号(2015年9月1日発行)掲載
夢を叶える支援を! 西野 修(1957年法学部卒)
お蔭様で、昨年傘寿となり、人生の下り坂を歩いています。名古屋市在住の国内最高齢112歳の男性、小出保太郎さんが長寿の秘訣は「無理をしないこと」「何でも喜ぶことが大切」と述べておられます。私も肖り楽しみながらゆっくりゆっくり歩きます。
余命幾ばくもない私の楽しみは「明治大学全国校友大会」に夫婦揃って参加することです。最初は、山形大会に参加し、大会の雰囲気、地方文化に触れて感動・感激して以来、東京・静岡・大分・新潟と参加し、本年の滋賀大会が楽しみであり、これからも継続参加するつもりです。もう一つの楽しみは、新年早々の箱根駅伝です。母校の活躍は自慢であり、誇りであり元気を貰います。是非、優勝を叶えてほしい!
今の私にとって母校が永続的に発展し、厳しいグローバル時代に後輩達が各界で大活躍することが何ものにも代えがたい歓びです。従って、学生の主体的学びを育み、未来開拓力に優れた人材を育成する「世界へ!MEIJI8000」構想に夢を託し、支援を続けます。
グローバリゼーションの時代に 岩波 俊樹(1995年商学部卒)
その下では、一国が国を閉ざして成立する時代ではなく、日本も海外から見て、魅力溢れる国内市場環境の整備が求められる。例えば、海外企業が、円で資本調達して、円で資本投下し得る、開かれた国内市場の整備・運用等、金融・税制・財政等、広く経済的な国際的潮流の観点からの一定の評価が一国を問う時代と言えるでしょう。
そして、国際化の進展を実現するためには日本においても、「真に国際的に通用するグローバル人材の育成」が重要であり、その拠点となるのは、「学校教育」です。私の出身高校でも、既に、(1)海外主要大学との研修制度実施による思考力・表現力の養成。(2)海外主要大学との間でオンライン講座を導入し、修了証獲得を目指す。(3)海外への修学旅行実施による異文化理解等、国際感覚・語学力・教養・思想・論理的思考力の涵養に教育プログラムを整備しているようです。そして、それらをベースに、大学教育では、教養・思想・専門・語学力・IT・論理的思考力・洞察力・人間力等に、グローバルスタンダードを修得した、グローバル人材の育成を意図している。
その点、明治大学は、大学教育の中でも、「教育の国際化」をリードしていく、日本でも有数の大学として成長している今、明治大学が、向学心・向上心・先取の精神に篤い、学生達の学び舎として、グローバリゼーションの時代に、更なる、国際化の深化を遂げることを期待しています。
私の礎を築いてくれた母校に恩返しを ツツミ産業株式会社代表取締役社長 堤 健児(1962年工学部卒)
また、その頃特許を自分で考案し、お金がないので自分で出願しました。社会人になって3年目に認可が下りました。そのためにようやく馴染みはじめた会社を辞め、新会社を設立し事業を始めました。
この会社が今年50周年を迎えます。長い間夢中で働いていたので、母校の事を思い直すことも時間もありませんでしたが、6年前に初めて友人より明大広報の事を聞き、取り寄せてみました。その後、今住んでいる町田の校友会に初めて出席させていただきました。見知らぬ校友と肩を組み校歌を歌ったとき、学生時代を思いだし目頭が熱くなりました。多くの先輩やOBの方々が母校のために尽力されているのをそこではじめて知り、遅ればせながら私も協力させていただきたく、募金室に電話を致しました。
今後も現役で働き続けている間は、寄付を続けていきたく思います。母校明治とはこれほどまでに力を与えてくれ、魅力的な学び舎であることに感謝しています。
自動車部を復活させたサポーター募金! 明治大学駿台轍会 会長 吉田 治雄(1959年経営学部卒)
昭和30~40年代には毎年100人以上の新入生を迎え、夏季合宿は2部制にしても富士吉田寮に入りきらない状況でした。ところが平成に入ると部員が減少し、平成20年には1年生から4年生まで合計で10人以下という危機的な部員数になりました。
2010年度に創設された未来サポーター募金の趣旨に沿い、【創部80周年記念募金】をOBの皆様に呼びかけました。大学時代を部活動中心で過ごした私たちOBは、部活動を通じて社会人になる基本を学んできた自負があります。「財政面をOBが支援をすることで、部員数の増加や競技力の向上につなげよう」「現役学生諸君に自動車部でもっと羽ばたいてほしい」という意見が出され、OBの篤い思いをサポーター募金に託して、現在まで約1000万円の浄財が寄付されました。
来年は創部85周年を迎えます。これを記念して新たに500万円以上の寄付をOBの皆様に呼びかけています。現役学生のために寄付をしようという合言葉は、現役部員の心を揺さぶり、現在31名が活動しています。今年6月には『全関東総合杯優勝』という快挙を成し遂げました。0.1秒を争う競技を勝ち抜くことは、技術面だけでなく、強い精神力が養われます。
駿台轍会会員が一つにまとまり財政面でも支えてくれるという安心感がベースとなり、部員一人ひとりに文武両道の強い精神力が生まれているようです。
明治大学広報第675号(2015年1月1日発行)掲載
国際交流経験を積んで、魅力ある人生を 星 青(1994年政治経済学部卒)
若い時の経験は人生を豊かにするものです。海外研修で視察した地域貢献活動は私のライフワークになりました。国際会議では多様な価値観を持つ人々と出会い、大いに刺激を受けました。リーダーである人々が明るく人間的な魅力にあふれていることに感動し、社会性や感受性などのコミュニケーション力を向上させることができました。懸賞論文入選をきっかけにいただいた明治大学連合父兄会(当時)教育振興表彰は、母校との大切な絆です。明治大学で過ごした時間は、私の人生の礎となっています。
今回の寄付は、母校・先生方・先輩たちや友人たちへの感謝の気持ちです。微力ではありますが、現役の学生が語学研修や異文化体験において豊かな経験を積めるよう、国際化サポート資金としてご活用いただければ幸いです。
世界の舞台で活躍出来る「真の国際人」を目指して!! 倉田 易生(1962年法学部卒)
昨今、社会問題になっています国内の少子高齢化で、近い将来総人口、労働人口の減少が言われています。企業は工場の海外進出、狭まり行く市場を海外に求めてしのぎをけずっています。その様な中、国際的に活躍出来る人材を養成する為の大学教育のあり方が問われています。座学だけではなく、現場での体験を交えての教育、海外からの学生の受け入れ、留学制度の充実、海外大学との交流等々、言葉(語学)だけではなくその国の歴史や文化、習慣を知ることも重要です。
価値観の異なる人間同士が、お互い尊重し、理解し合う関係が増々大切になって来ます。その一つとして学部によっては寮制度を確立し、外国人留学生と生活を共にして、国際感覚を磨くことも必要かも知れません。
既に明治大学は、国際大学を系列法人化し、国際化・語学力向上の布石は打てています。これ等をもっともっと進化させ、世界の中で存在感のある大学になって頂きたいと思います。
在校生そして卒業生が一丸となって、母校明治大学が発展する様願っております。そして、私の僅かな寄付ですが、少しでも明治大学の発展に役立てればと思って続けています。
頑張ろう明治!!頼むぞ明治!!
グローバルリーダーが現れることを期待して 佐藤 直喜(2003年商学部卒)
そこで、私は明大生からグローバルリーダーが現れることを期待し、国際化サポート資金に寄付を絞りました。日本を飛び出した明大生が、より良い世界を築きあげる人材になることを期待して。この後押しによって、世界が変わるかもしれないのです。やはり、学生の時に、成長著しい地域あるいは成熟した地域で学び暮らし、世界から集まる仲間との体験は人生の糧になるものです。
そのため、現在の明大生だけでなく、将来の明大生を支えるために少額での『継続寄付』を続けています。
明治大学への要望は、学生の興味の幅が広がるような、多彩な留学先を用意してもらいたいです。明大生のみなさん、応援しています!
ホームカミングデーに集う 柴田ゼミ四期生 長嶋 辰夫(1964年商学部卒)
私たちが入った柴田ゼミは国際金融・貿易を学ぶゼミでしたが、そちらの方面に就職した者は、残念ながら一人もおりません。柴田先生が他界されて久しくなりますので4期生だけで会を持っています。
それにしても卒業後半世紀もゼミ仲間の集いが続くことは素晴らしいこと、他の大学ではこのような集まりはあまりやっていないようで、明治大学の誇れることの一つだと思います。ほとんどの人はリタイヤして10年前後経ちますので悠々自適の生活ですが、趣味の外に民生委員や保護司、社会福祉協議会役員、子供の野外活動NPO等、皆それぞれに地域社会に貢献しています。もちろん病気で会に出席出来なくなった人、鬼籍に入った人もいます。
ここで一つ自慢とPRをします。それは鹿児島県喜界島で黒糖焼酎を醸造している朝日酒造の会長が同期だということです。「壱乃醸朝日」はプレミアがつく焼酎です。
これからも10年後のホームカミングデーまでは無理としても1964年東京オリンピックの年に卒業したので次の2020年東京オリンピックまで頑張ろうと話し合っております。未来サポーター募金にも少しでも貢献したいと思います。
明治大学広報第671号(2014年9月1日発行)掲載
やっぱり明治がNo.1 篠崎 昇(2011年法学部卒)
社会人とはいえ、入学後の扱いは当然若い学生と全く一緒でした。法律の授業はどれも興味深く、特に村上一博先生の『日本近代法史』や『明治大学の歴史』(学部間共通総合講座)は毎週楽しみであり、また小西啓文先生の『社会保障法』で使用した教科書は今も地域での社会福祉活動を行う際の基本書として読み返しています。
明治大学は、奨学金制度が厚く、私は創立者記念奨学金の一つである矢代操奨学金に申請しました。そして、運よく給費されることが決定し、授与式で学長へのお礼のことばで「奨学金は有効に活用させて頂き、いつの日か必ず何らかの方法により明治大学にお返ししたい」と申し上げました。ようやく少額ずつではありますが約束を履行する時がきました。
私の同級生にパラリンピックや世界水泳で大活躍した秋山里奈さんがいます。彼女は、明るく前向きで努力家であり学ぶべきところが多々ありました。このような学生の一助となればとスポーツサポート資金をさせて頂いています。
目を閉じれば、国立競技場や神宮球場での明早戦の大声援が聞こえてきます。今後も大好きな明治大学を一サポーターとして応援し続けます。やっぱり明治がNo.1。
未来への礎のために 松本 康夫(1985年農学部卒・1987年農学研究科修了)
学生時代に一番大きく学べたことは、実学である農学は、広く多岐に亘る知識が必要であるという点を、身をもって体験して学べたこと、でした。
私は、当時、微生物化学第Ⅰ研究室に所属し、そこでは、単細胞微細藻類による炭化水素生産に関する研究が行われていました。最近、「ユーグレナ」という微細藻類由来の油脂で、大型バスを運行させる実証実験が始まった、という報道がされましたが、小生が学生のころ、既にそのような研究が、明治大学でも行われていたのです。
私の研究の最終段階は、微細藻類の培養槽を屋外に設置し、屋外で培養実験を実施し、培養データと生産物を得るというものでした。このことを実現するため、当時の工学部の工作室の職員の皆様、農学科生産水利学研究室の先生と大学院生の皆様、研究室の後輩たちに協力してもらい、屋外培養実験を実施しました。皆様のおかげで、屋外培養実験は成功し、各種貴重なデータを得ることができました。
「未来サポーター」として、大学を支援するというきっかけは、大学卒業後リバティーアカデミーで大学在学時代の分野だけでなく、様々な分野を受講、あるいは、体験学習し続けられた点です。ハードの整備をはじめ、現役学生・アジアをはじめとする諸外国からの留学生、教職員の皆様になにか一つでもお役に立てればとの思いからです。
県支部創立90周年を迎えさらに結束強化へ 明治大学校友会沖縄県支部支部長 政岡玄章(1964年経営学部卒)
2015年には、支部創立から90周年を迎えますので、記念事業として明治大学マンドリン倶楽部演奏会を2015年1月17日に開催することにしました。3年半前にも同演奏会を約9年ぶりに開催したところ、マンドリンオーケストラを初めて体験した方や校友、父母会の皆様に大変喜んでもらえたほか運営担当した校友同志の交流も深まるなど多くの成果を上げることができました。その時の剰余金から、明治大学及び東北大震災に寄付を行いました。大学へはそれ以降も支部として毎年行っており、今後とも母校の発展のために支部のみならず支部会員にも幅広く呼びかけて寄付を継続的に行い支援していくつもりです。
沖縄県支部は活動も活発で、支部総会,定例幹事会、各委員会以外でも有志による毎月の例会(沖縄では模合という)、毎月のゴルフコンペ(4~5組)等を行っております。
沖縄県が復帰して45周年目となる2017年には全国校友大会を沖縄で開催することになっており、さらに校友会支部の結束を強めていきたいと思っております。
明治大学広報第663号(2014年1月1日発行)掲載
時代を担う若人のお役にたてて嬉しい 北本雅章(1962年経営学部卒)
2010年に明治大学未来サポーター募金制度が創設され、4年目を迎えて新しい制度の奨学事業が開始され誠に喜ばしく思います。応募者千数百名の中から、成績優秀かつ経済的に修学が困難な70名の学生が未来サポーター給費奨学一期生となりました。2013年8月の「感謝の集い」に8人のOBが招かれ、大学ならびに奨学生の方々から直接感謝の言葉が述べられ、大変感銘を受けました。礼儀正しく、若さ溢れる学生諸氏にパワーを頂き、一瞬とは言え学生時代に戻った感じがいたしました。
この制度の素晴らしいところは、授業料の半額を給付することと、返還不要の奨学金であることです。奨学金返済は経済基盤が確立していない社会人1年生にとって、大きな負担となりますのでこの制度の意義は誠に大きいと思います。給付を受けた学生諸氏には、社会との絆・母校明治大学との深い絆を感じながら学生生活を有意義にお過ごしいただきたいと思います。
結びに、本制度に参加して 時代を担う若人のお役にたてて大変嬉しく思います。これからも出来るだけ永くサポーターを続けたいと思っています。
頑張れ明治!! 頑張れ後輩!!
頑張れサポーター!!
世界のトップユニバーシティを目指して 増本正毅(1982年農学部卒)
2011年の秋の東京六大学リーグ戦では、野村祐輔投手(2012年商卒、現:広島東洋カープ)が頑張り日本一になってくれました。その時の応援団の指揮責任者が、何と農学部農芸化学科の後輩で、現在明治大学職員として仕事をしており、とても親しみが湧きました。
私は母を病気で亡くしたこともあり、製薬会社で少しでも患者さんの力になりたいと思い仕事をしてきました。今後、多くの明治大学の後輩が製薬会社に入社し、社会に貢献してくれたら嬉しいです。
明治大学が医学部と薬学部を設立もしくは他大学と合併するなどして設置してほしいというのが私の夢です。農学部には獣医学科と樹医(樹木医)学科を設立して欲しいと願っています。明治大学は国際大学を系列法人化し、国際化・語学力向上の布石はできました。残るは理系を充実させ、世界のトップユニバーシティになり、早慶明と社会で並び評価される人材を輩出していただきたいのです。明大生そしてOB・OGが一丸となって明治大学が発展するよう、心から願っております。私の僅かな寄付でも、少しでも明治大学の発展に役立てば幸いです。
やっぱり明治が№1。
スポーツの分野でも頑張って 明治大学校友会松戸地域支部副支部長 青木 新一(1957年政治経済学部卒)
卒業後、一部上場の建設会社に就職し、47年間会社一途に働きずくめであったが、縁があって何となく松戸支部に入会し、たまたま支部のゴルフコンペに誘われ、その後幹事役員の旅行に場外参加をさせてもらったのを境に、会社在職中はほとんど貢献出来なかった支部活動を、退職を機に心機一転老骨に鞭打って、今では幹事会等の議事録の作成や、支部ニュースの編集、ホームページの更新、そして各種行事への参加等に頑張っている。
このたび、松戸地域支部は、明大マンドリンチャリティコンサートの剰余金から、硬式野球部、ラグビー部、そして競走部に応分の寄付をすることが出来た。
これで支部設立以来16年にわたり行ってきた地域支部としての大学への寄付総額が、累計で381.1万円となった。これもひとえに支部長をはじめ地域支部会員の多くの協力があったればこそで、今後も継続出来ればと願っている。
母校は、一般入試の志願者数が10万人超で4年連続全国1位となった。また高校生を対象としたアンケートでは「志願したい大学」として、5年連続1位と喜ばしい限りではあるが、スポーツの分野でも、もっと幅広く活躍してもらいたいとの夢は、明大OBの願いの一つでもあり、それが母校の更なる発展にもつながるのではないか。
明治大学広報第659号(2013年9月1日発行)掲載
私が学んだ道、そして明治 黒子 昇(1956年商学部卒)
当時小生は月刊誌「リーダーズダイジェスト」を毎月愛読していた。当時のアメリカのテレビ事情判明。日本でも開局のニュースが流れていた。NHK技術研究所を訪ねた。世田谷の砧で木造であった同所で相談し、電線のカットサンプルを戴く。苦心の末テレビ用電線製造設備を最小限で整備した。NHKテレビ放送開始の5カ月前だった。試作品製作の毎日で納得の品を造るまで永い時間が経過した。昭和28年2月1日、NHKテレビ放送開始寸前に合格品完成。テレビ電線製造会社が誕生した。時代が要求する商品のため販売はスムースに流れ、以後40年間利益を生む事業になり、家族は喜んでくれた。この仕事に協力し陰の力になり励ましてくれた両親と家内に心より感謝の毎日である。
若き日に学んだ明治高校、明治大学は心の糧であり、仕事の上でも偉大な力になりました。僅少の寄付ですが、同窓会皆さまに少しでもお役立ちしますれば幸甚です。...
母校への恩返し 齋藤 柳光(1967年文学部卒)
私は細やかだからこそ心が通じるように思います。「50万人の校友が年間一人1000円寄付すれば5億円、10年で50億円」。そう言ってよく失笑を買っています。母校へ恩返しの思いは誰しも大なり小なりあると信じて疑わないからです。もちろん、理想は大であっても、多くは小が現実にならざるを得ないでしょう。だからといって、金額の多寡でサポーターとしての志に軽重などはありません。
学生時代にサークル活動で東南アジアの留学生を支援しました。自分の小遣いもままならない中での細やかなサポートでした。そして半世紀、今も互いに皺だらけの笑顔で交流を続けています。
苦学生は昔語りと思いがちですが、けっしてそうではありません。大学そのものも遠からず自立を求められます。細やかでも誰もがサポートすることで後輩や母校の未来が見えてきます。...
持続可能な奨学金制度のために、気軽に寄付を 岩田 穂香(2006年商学部卒)
私は、大学在学中はある職業を目指していて、卒業と同時に就職はしませんでした。その後、別の道に進むために、現在勤めている会社に非正規雇用として働き始めました。明大卒として恥ずかしくない仕事をしなくては、と思っていたものです。
約3年後、正社員登用されました。正社員になり、精神的・経済的に余裕ができ、大学の広報紙で知っていた未来サポーター募金に寄付をしようと思いました。主に、奨学サポート資金に寄付をしています。奨学サポート資金を選んだ理由は、「経済的に困難な状況であっても、幅広い経験をして体力をつけて欲しい」と思ったからです。
寄付をする際には、時間も場所も選ばずに気軽に寄付をしたいと思いました。そこで、大学のホームページで申し込みをし、ATMで振り込みをするという方法を選びました。
この度、返還不要の給付型奨学金が新設され、大変嬉しく思います。安心して学生生活を過ごせるよう、今後も定期的に寄付をさせていただきたいと思っております。...
前へ、そして一歩前へ!! 明治大学校友会台東区地域支部相談役 植木 栄(1965年文学部卒)
特に彼とは、卒業後も深く係っていました。非常に寂しいことでした。
第二の人生をどう過ごすか、以前からひとつの課題でした。いざその時が来て分かったことは特別何かが変わる訳でもなく、自ら何かを起こさない限り、何も変わらないということです。その中でも、旧友との親交は大きなウエイトを占めていたのに。
前から思っていましたが、なんであんなにまで毎日楽しく過ごせたのか不思議でした。今にして思えば理解できます。素晴らしい仲間がいてくれたということです。出来ることなら今一度、あの4年間のような時を過ごせないものかと思います。
校友会の目的の中に、大学賛助と地域社会への貢献が記されています。この度、私ども台東区地域支部は、2年間の地域社会貢献事業から得た収益金を、支部幹事の皆さまの熱き思いとともに、大学と、福島県支部へそれぞれご寄付させて頂きました。
昔へ帰ることは叶いませんが、こうした活動を行うことが、母校、校友への感謝の気持ちを表すことになると考え、身の丈程の寄付活動を、公私にわたり、今後も引き続き行っていきたいと思っています。...
明治大学広報第651号(2013年1月1日発行)掲載
女性が活躍する場へ 眞田 瞳(1958年法学部卒)
思い起こせば、女性法曹の輝かしい歴史と伝統に憧れて入学し、能力と努力不足で、夢は叶えられませんでしたが、暁の鐘を撞き続けた偉大な諸先輩や先生方に直接教えを受けることができたことは、何よりの誇りです。
バックボーンを強固にして下さった母校に感謝の気持ちを込めて、今までは周年ごとにささやかながら寄付をさせて頂きました。一昨年より、寄付金の使い道を自分で選ぶことができる募金制度になりましたので、昨年は細野はるみ教授のジェンダーセンターを支援したいとの思いから「研究サポート資金」へ、今年は、勝悦子副学長がご活躍の「国際化サポート資金」へ寄付させて頂きたいと思っています。そして次は、「スポーツサポート資金」を通じて、三木容子監督が優勝に導いた体育会射撃部へと、目的が明確になって、夢が広がります。
生涯現役を目指して仕事に励んでおりますので、微力ですがサポーターであり続けたいと願っております。...
頑張ろう!明治! 小澤 正(1975年法学部卒)
私は、神宮球場で応援したくて明治大学に入学しました。在学中から野球、ラグビーを観戦していました。
昭和48年1月6日のラグビーの第9回全国大学選手権決勝、渡辺貫一郎選手の劇的トライで早稲田に13対12で勝った試合を秩父宮ラグビー場で観戦していました。卒業しても「明治大学と繋がっていたい」という気持ちから、東京六大学野球やラグビーを観戦してきました。また、神宮球場で活躍した選手が、プロ野球で活躍する姿に元気をもらいました。
平成24年の箱根駅伝の鎧坂選手の3本指(3位の意思表示)は、待ちに待ったものでした。「ありがとう!」のひと言です。
明治大学に育てて頂いた私が、今度は明治大学にお返しをする役目であるとの思いから、「明治大学のために出来ることは何か」と考えた時の答えが大学への寄付行為でした。資金に余裕がある時に寄付を行ってきましたが、「未来サポーター募金」が制度化されてからは、定期的に寄付をさせて頂いております。
私の僅かな寄付でも、明治大学の発展のために役立つのであれば幸いです。明治大学の益々の発展を期待しております。
頑張ろう!明治!...
躍進する母校明治大学の更なる発展のために 岡田 康宏(1999年商学部卒)
日本経済団体連合会の教育問題委員会「産業界の求める人材像と大学教育への期待に関するアンケート結果」、文部科学省「大学改革実行プラン」からは、研究では象牙の塔ではなく産官学連携等を通じて社会へ貢献することが求められ、教育では国家のグローバリゼーション、社会や技術の高度化に適応できる、国際性や自主性、高い教養と専門的知識を併せ持った人材の育成が求められています。
母校は他大学と比較し1人当たりの寄付金額が少ないようですが、この募金特別号を手にする33万人の校友が毎月自動継続により1000円寄付すれば、1カ月で3億3000万円、1年で39億6000万円、10年で396億円が大学の収入となります。文部科学省はノーベル生理医学賞を受賞した山中伸弥教授の研究所を中心に、今後10年間、総額で200~300億円助成する方針です。この助成金の金額と比較すれば、この金額の大きさをご理解頂けると思います。
私は、母校が注目され社会的評価が上昇することに喜びや高揚感を覚えます。進行する少子化と低迷する景気の状況下で、将来に亘り社会の要請に応え、熾烈な大学間競争を勝ち抜く為の財務基盤を、校友が一丸となり寄付により支えてゆくことは、母校に対する義務と言っても過言ではないと思います。
一人でも多くの校友が1円でも多く寄付して頂ければ幸いです。...
明治大学「経営学」の発展のために「経営経済の二重性」から「蛻変の経営哲学」へ 明治大学「明芳会」会長 佐橋 柳一(1956年経営学部卒)
会員は、経営学部、政治経済学部の藤芳ゼミナール出身者及び大学院において「藤芳誠一」先生の主専攻修了者である。
会の活動の歩みは藤芳先生が明治大学で重職に就かれる足あとと共に歩み続けてきた。その主たるものは経営学部長、卒業生へのホームカミングデーの開設、教務担当常勤理事、校友会副会長など。以上の歩みや藤芳先生執筆の書籍が出版される度に先生と会員相互の懇談、懇親の会合を重ねて、「明芳会」に対する思いを深め、先生の「還暦」「古希」を祝う会には、600名余の参加者となり盛大なる催しができた。「古希」にはその集大成である事業として明芳会が主体となり、藤芳先生のあとを継ぐべく学究の道に進んでいる者による「新経営者教科書」を、藤芳先生の「蛻変の経営」哲学を実践してきた者による「実践経営録」を出版した。
その後、勲二等旭日中綬章を受け、平成24年2月19日に極楽浄土へ旅立ちとなられた。そのプロセスにおいて、会員各々が明治大学への強い想いを具現化したものが、今回の「未来サポーター募金」への寄付であり、「明芳会」の名を未来へ残したい想いがあるからである。
ここに明芳会の活動は終息させ、各期小グループごとの懇談は続けられることを願っている。...
明治大学広報第647号(2012年9月1日発行)掲載
母校へ~頑張れ!ありがとう! 刀祢 健作 (1978年政治経済学部卒)
「3年連続志願者数日本一」なんていうニュースを見ると思わずガッツポーズです。父も明治出身なので、生きていたら喜んだだろうなと思います。今この原稿を書きながら思い出しているのが、神宮球場での六大学野球の応援。対法大戦。明治丸山投手の大力投。確か延長戦。ライトが灯った球場で友と肩を組みながら声を張り上げての応援。明治の勝利。公衆電話で父に勝利の連絡。父の喜びの声。
もちろん勉強も頑張りました。ゼミでの学習。そして麻雀もよくやりました。友の下宿での徹夜麻雀。授業の合間の喫茶店での友との語らい。数々の思い出は挙げたら限無しです。明治での4年間は本当にキラキラ輝いています。
今でも学生時代の事を思い出すと元気が湧いてきます。明治での学生時代そのものが私の青春だと言っても過言ではありません。一生の友も出来ました。
明治の学生であった事、校友である事を誇りに思っています。母校の益々の発展を祈念し、御恩返しも含めて、本当に微力ですが寄付させていただいております。未来へ!おお明治!
支援したい 明治の絆 藤方 英和 (1979年法学部卒)
私は、幸いにも子供の頃から自然と明治大学に憧れを抱いて育ちました。父母の影響のお陰と感謝しています。想えば、子供の頃、父の傍で幾度となく「明治」を見聞しました。明大出身の弁護士の厚い人望、夜間部の勤労学生の真摯な姿等々に触れて、将来は明大に行くぞと夢が膨らみました。
念願の明大生になれたのは昭和50年。夢叶うもその直後に父が倒れ、若輩で非力な私では生計が立たず、中退も考えました。卒業できたのは多くの方の物心両面の支援のお陰でした。父の友人で私の恩師である先生からは「中退はならん」と叱咤激励され、研究室の先生方、先輩方からは「学業継続が大切」と諭され、明大奨学金を紹介して頂きました。卒業まで必死に働き、大好きな明治の学生服で勉強し通した4年間でした。今も母校明治の学恩は忘れません。
この度は、恩返しの気持ちを寄付の形にさせて頂きました。母校、明治大学が未来に向かって一歩でも前進し、発展してほしい。文武各々で世界に有為な人材を更に輩出してほしい。明大の校友、サポーターとして母校の絆、募金の充実を心から祈念いたします。
明治大学の未来を願って 服部 真央 (2008年法学部卒)
未来サポーター募金という制度があると知り、校友の一人として少しでも母校や後輩のお役に立ちたいとの思いから、ささやかながら寄付をさせていただきました。
私が明治大学に入学した時にはリバティタワーも完成し、国際交流制度も整い、恵まれた環境でした。現在の明治大学があるのは、私たちの先輩や教職員の皆さまが、実績と信用を築いてくださったおかげです。次は、私自身が後に続く後輩のために頑張る番です。私たちの後輩が明治大学という素晴らしい環境で学び、伝統を継承し、日本と世界のために貢献できるような人材となってくださることを、心より祈念しております。そのためにも、明治大学のさらなるご発展を、これからもお支えしていきたいと思います。
OBの活動と現役の皆さんへ 明治大学食品OB会 代表 萩野 昌宏(1964年農学部卒)
発会当初は食肉業界OBから始まりました。4年前に広く情報を集め、懇親を更に強める意味で食品業界OBにも門戸を広げました。食品関係の仕事に就かれて居られるOB各位には是非来年の総会にご参加ください。
今、わが国はTPPへの参加をめぐり議論白熱して居ります。加えて環境問題、人口問題など目を離せない問題が山積しております。当OB会は、業界人として、明治大学のOBとして正しい選択を行い、確固たる意見を持って事の対応にあたる所存です。現役の学生諸君におかれても、かかる現状をより認識されて、独立自治の環境で研究を更に重ねられんことを会員一同祈念します。
明治大学広報第639号(2012年1月1日発行)掲載
少しでもお役に立てれば・・・ 田中 幸一(1974年商学部卒)
その中から些少ですが「未来サポーター募金・奨学サポート資金」に応募をさせて頂きました。11月初旬、駿河台に聳える「リバティタワー」を訪れ、募金室の方に募金要領をお聞きし郵便局に振り込みをしました。
小生は長野県中野市から上京して、昭和45年に明治大学の特待生(現:特別給費奨学生)として入学をさせて頂き、毎年の授業料を免除して頂きました。田舎のサラリーマン家庭から東京の私立大学への進学は厳しい環境の中で、この待遇は非常に助かりました。お陰様で4年間は勉学にも励むことができ就職課のお世話もあって大きな会社に就職もできました。それ故に何とか母校に寄付をしようと思っていましたが、在職中はなかなか難しく退職金を貰った今思い切って寄付をさせて頂いた次第です。在学中の「学恩」と「給費生として頂いたご恩」には到底報いることにはなりませんが些少ながらの気持ちです。
「明治で学びたい」という多くの学生の志に「絆を伝え、未来に向けて」少しでもお役に立てれば幸甚に存じます。
恩師との出会い 白木 國彦(1970年文学部卒)
2年生の時、教職課程を取ることにしました。その講座の一つ「教育原理」で、生涯の恩師である三木寿雄先生と出会いました。三木先生の情熱的な、素晴らしい講義を聴くうちに、いつしか教師になりたいと思うようになりました。幸い採用試験にも合格し、卒業と同時に、地元の高校の社会科教員になることができました。明治大学での三木先生との出会いがなかったら、教職を選ぶことはなかったかもしれません。
その教職生活も4年前に定年を迎え、現在は講師として勤務しています。現在勤めている高校は、県下有数の進学校で、毎年明治大学にも多数進学しています。自分の教え子が後輩にもなる、とても嬉しく、ありがたいことです。
卒業して40年以上になりますが、母校に対する思いは強くなる一方です。これからも明治大学を愛し、応援していきたいと思っています。
充実した人生の為に 佐々木 洋介(2005年法学部卒)
約10年を東京で過ごし、地元岩手に引っ越した矢先、東日本大震災に遭遇し実家は全壊し父は他界しました。私自身、今回の震災で多くの親類や友人を亡くしましたし、また、身近に多くの震災孤児がいます。彼らの人生はこれから多くの困難を伴うと思いますが、金銭的な問題で学問を諦めないでほしいと思います。
私が明治大学に入学を決めたのは、奨学金制度が充実しているからでした。今思うと、多くの先輩方の寄付金のおかげで充実した奨学金制度を利用できたのだと思います。
震災後、大学時代の仲間をはじめ、多くの方々にご支援を頂き助けて頂きました。また、これまで私が充実した毎日を過ごせてきたのは、いろいろな場面で多くの人に助けられ、支えられているおかげだと思います。その方々との絆の土台となっているのが、明治大学で過ごした4年間であることは間違いありません。
僅かばかりの金額ですが、自分の寄付が、より充実した奨学金制度に少しでも寄与することができ、それによって、奨学金制度を利用する人が充実した人生を送ることができれば幸いです。
母校の益々の発展と、被災地の早期復興を願っております。
明治大学広報第635号(2011年9月1日発行)掲載
「学恩」に報いる 小山 修(1976年大学院政治経済学研究科修士課程修了)
私が大学に寄付できるようになったのは創立120周年の頃からで、それ以前は逆立してもできませんでした。当時の校友会代議員総会で私は発言しました。
「家の中には何度も御祝い事があります。その都度少額ですが寄付をしたい。ですから、一生かけて寄付しますので、『累計で表示』してくれませんか」
それ以来10年余り「明治大学広報」に累計での記載を確認しております。校友会は125年経つ古い組織でありますが、一人の意見を採択してくれる若い組織です。
私は大学への寄付は学問への恩返し、すなわち「学恩」に報いることと考えております(私の所持する広辞苑に「学恩」という言葉はない)。
長男修平は明治大学を卒業し、私と同じコースをたどり、今年私の税理士事務所に勤務するとともに公認会計士事務所を開設致しました。これも大学のおかげです。
私はキャンパス整備サポート資金に寄付しておりますが、寄付金にもスピードが必要と考え、今年東日本大地震が発生し、明治大学に通う学生達に勉学が続けられるように3月末に少額ではありますが、寄付させていただきました。
人生はチャレンジだ! 吉仲 崇(2007年文学部卒)
私は学生時代、日本学生支援機構と明治大学から奨学金をお借りしていました。そのおかげで勉学に集中することができ、また有意義な4年間を過ごせたと思っております。多くの友人や教職員の方々との出会いで、人間的に大きく成長できました。私が未来サポーター募金に少額ながら寄付を行う理由は、一人でも多くの明大生に中身の濃い大学生活を送っていただきたいとの思いからです。
大学での4年間はあっという間に過ぎてしまいます。私の悪文を読んでいただいている明大生の皆さんにはいろいろなことに挑戦してほしいと思っています。私が尊敬する故ジャンボ鶴田さん(プロレスラー)の名言で、「人生はチャレンジだ!チャンスはつかめ」というものがあります。チャンスは向こうからはやって来ません。自分から動いて取りに行くものです。ぜひ目の前にある好機を掴み取って下さい。
最後になりましたが、母校明治大学のますますのご発展を祈念いたします。
明治大学広報第627号(2011年1月1日発行)掲載
信なくば立たず 平賀陸太(1971年法卒)
昭和46年当時の初任給は3万2千円でしたが、暮れの賞与6万円の内5万円を明治大学に寄付しました。そのせいか、昭和49年に明治大学の卒業生としては初めての総理大臣・三木武夫先生の就任記念の校友会(於:ホテル・ニューオータニ)には最年少に近い27歳で招待されました。
55歳過ぎてからは財産が増えていきましたが、まだ苦しい社会人4年目の時に、三木先生からいただいた色紙には「信なくば立たず」とあり、励まされたものでした。
留学生との交流を 大内トヨ子(1961年短期大学卒)
相互理解が重要であることは言うまでもありません。若い皆さんに、学生時代にできるだけ多くの外国の人々と接しながら、自分自身の視野を広げて、将来、社会の役に立つ人間、世界に貢献する人間に育って欲しいと念願いたします。
私は、明治大学で過ごした学生時代を非常に懐かしく思い出している一人であり、母校愛の一つとして、少し寄付させていただきました。ぜひ有効に利用していただければ、幸いに存じます。明治大学のますますの隆盛を心から祈念いたします。