卒業生の声
【岸ゼミ】トルコ・イスタンブール大学とのABR共同実践: アートを通して「多文化共生」を問い直す国際協働の学び
2026年01月08日
明治大学 国際日本学部
2025年9月、岸ゼミではトルコのイスタンブール大学の学生とともに、アートベース・リサーチ(Arts-Based Research:ABR)による国際共同実践を行いました。テーマは「多文化共生」。異なる文化的背景をもつ他者と出会い、同じ日常を「別の視点」から経験することで、自分自身の見方や価値観を問い直し、「こうかもしれない」という新たな可能性をひらいていく試みです。
日本人学生とトルコ人学生がペアを組み、街を歩き、写真を撮り、語り合う。そこから生まれるのは、正解を出す学びではなく、問いが生まれ続ける学びでした。以下では、学生自身の言葉を通して、その実践のプロセスと気づきを紹介します。
写真:イスタンブール大学正門前にて
■はじまりのABR体験——身体・写真・語りから他者を知る(南條 絢音)
初日は、イスタンブール大学の学生にABRを体験してもらうことを目的に、複数のワークを行いました。身体表現を用いた自己紹介、マッピング、ナラティブ表現による他者理解、そして写真を使った文化探究です。この日は、アイスブレイクも兼ねてABRを導入しました。
冒頭に行った自分の名前を身体で表現するワークでは、戸惑いを見せる学生もいましたが、進めるうちに緊張がほぐれ、最後には全体で笑い声が響き渡るほど打ち解けることができました。そのほぐれた空気感により、他のワークもスムーズに進めることができました。
写真のワークでは、日本の日常を切り取った写真を並べ、「多文化共生」を感じる一枚をそれぞれが選びました。なぜその写真を選んだのかを語ってもらうことで、その人の価値観や世界の捉え方が自然と浮かび上がってきます。
このワークは、翌日から始まるウォーキング・エスノグラフィーの準備でもありましたが、すでにこの段階で、私たちとは大きく異なる視点から世界を見ていることが伝わってきました。その違いがとても興味深く、これからの探究への期待が高まりました。
写真:選んだ写真を見せながら、なぜ選んだかをシェアリングしている様子
■街を歩くことで見えてくるもの——ウォーキング・エスノグラフィーの実践(花咲 ひなた)
日本人学生とトルコ人学生がペアになり、ジェンダー/多文化共生/場所の記憶/ウェルビーイング/感情(人々の想い)といったテーマを手がかりに、明治大学とイスタンブール大学の学生がそれぞれウォーキング・エスノグラフィーを実践しました。
ウォーキング・エスノグラフィーとは、街を歩きながら人や風景を観察し、写真やメモを通して「その場の文化や人々の営み」を探究する方法です。歩くことで、普段は見過ごしてしまう出来事や風景に立ち止まり、写真や対話を手がかりに、「自分の視点」と「相手の視点」の違いが少しずつ浮かび上がってきます。
私は「多文化共生」をテーマに街を歩きました。まず訪れたのは、昔から多くの人が集まってきた歴史的な街、タクシム広場周辺です。その後、フェリーに乗ってトルコのヨーロッパ側からアジア側(アナトリア)へ渡り、同じ都市でありながら大きく異なる街並みを体感しました。
歩きながら、私が「あれは何?」と何度も尋ねると、トルコ人学生が「日本にはないの?」と問い返してくれます。そんなやり取りの中で、互いが自国では当たり前だと思っていた風景や習慣を、自然に共有していくことができました。
途中、動物の権利を訴えるデモ行進に遭遇し、トルコ人学生からトルコの政治状況について話を聞きました。多くの学生が社会や政治に対して自分なりの意見をもっていることを知り、日本との違いに強い驚きを覚えました。
こうした気づきは、資料を読んだり教室で話を聞いたりするだけでは得られなかったものです。一緒に街を歩き、同じ場に立ち、対話を重ねたからこそ出会えた学びだったと、今振り返って感じています。
写真:「多文化共生」をテーマとして撮影した風景
写真:動物の権利を訴えるデモ行進
■写真から詩へ——想像による他者理解(土屋 志恵留)
翌日、イスタンブール大学の教室にて、それぞれが撮影した写真を持ち寄りました。ここで行ったのは、少しユニークなABR実践です。まずは写真をペアと交換し、「なぜこの写真を撮影したのか」を説明せずに、ただ見せ合う。そこから生まれるのは、「どうしてこの写真なの?」という驚きや問いかけでした。
次のステップでは、相手の立場に立ち、その写真を撮った理由を想像して詩的に表現するという試みに取り組みました。つまり、「説明」ではなく「想像」と「詩」を通して、相手の経験を探ろうとしたのです。写真を手がかりに、相手がどんな現実を見ていたのか、どんな気持ちでその場に立っていたのかを想像する。そして、それをことばではなく詩として編み直すことで、文化や経験に対する理解が一層深まっていきます。
私たちのペアは「場の記憶」というテーマで街を歩き、写真を撮りました。お互いが撮った写真から5枚を選び詩を書くとき、その写真から読み取れる情報以上に、相手とその場所を訪れたときにどのようなことを話したか、そのときどんな表情をしていたかということを思い出していました。それは、単純に相手の視点に立って考えるというより、パズルのピースをはめていくような感覚で、記憶の再構築を行っていたのだと、今振り返って感じています。
私たちは街を歩く中で、イスタンブール考古学博物館を訪れました。そこで多くの歴史的遺物を見ることができました。私にとっては、教科書で見聞きしたものが目の前にあることに感動していましたが、詩を書く中で、ペアのサーカンにとっては、そこに展示されているものを含む歴史や文化は、私と比べて身近なものだったのではないかと考えました。相手の視点になって詩を書くというワークだったからこそ、改めてこの視点の違いを認識することができました。
このワークを通して強く感じたのは、感じ方のズレが、対話をひらく力になるということです。ズレを否定するのではなく、「Yes, and」で受けとめ合うことで、言葉にしにくい感情や価値観まで引き出されていきました。一般的なコミュニケーションの中では、対話の中でのズレはネガティブなものとして捉えられてしまうことが多いと思います。しかし、このワークを行ったときは、お互いが書いた詩に対して、本来考えていたことと違ったとしても否定するのではなく、無意識に「Yes, and」のコミュニケーションが成り立っていました。むしろ、その違いがあるからこそ、より深く考えるようになり、抱えている感情や大事にしている価値観など、言葉にすることが難しいものを引き出すことができるようになっていたと感じています。
写真:つくった詩を朗読する様子
■詩を読む ——同じ写真、異なる記憶(本吉 美帆)
最後に、ペア同士でお互いが書いた詩を読み合う時間をもちました。私のペアのスウェーダさんは、私が撮影した絨毯の写真を選び、その写真から詩を書いてくれました。
私がこの写真を撮った理由は、スウェーダさんと、日本の若者文化である「Kawaii」について話したことが強く印象に残っていたからです。日本で生まれ育った私にとって、「かわいい」という感覚はとても身近なもので、カラフルでポップな絨毯の中にも、自然とその感覚を見出していました。
「cute」や「pretty」、「beautiful」や「unique」。
英語にはさまざまな形容詞がありますが、日本独自の“kawaii”という感覚は、どれにも完全には当てはまらないものだと感じています。トルコの街を一日一緒に歩きながら、その微妙なニュアンスをスウェーダさんと話し、共有できたことが、私の中に強く残っていました。だからこそ、その日いちばん「かわいい」と感じた絨毯の一枚を、私は写真に収めたのです。
一方で、スウェーダさんがその絨毯の写真から感じ取り、詩に込めてくれた意味は、私の捉え方とは異なるものでした。私にとっては「kawaii」を象徴する存在だったその絨毯が、スウェーダさんにとっては故郷を思い出させる存在だったのです。その絨毯のデザインは、彼女の生まれ育った地域にルーツをもつ、伝統的なものだと教えてくれました。
その話を聞きながら、私自身も、日本で育つ中で“かわいいもの”に囲まれてきた記憶を思い返していました。もしかすると、私にとっての「kawaii」文化も、知らず知らずのうちに、故郷や育ってきた環境と結びついた、大切な記憶の一部なのかもしれない——そんなふうに感じました。
生まれた場所も、育った文化も異なるスウェーダさんと、同じ一枚の写真を通して、共通する感情や思いを見出せたことは、とても印象深く、忘れがたい体験でした。
写真と詩を介したこの対話は、違いを比べるためのものではなく、互いの記憶や価値観に静かに触れていく時間だったように思います。
写真:私が撮影した写真
写真:スウェーダさんが私の写真でつくってくれた詩
■全体を振り返って(徳永 和香)
帰国最終日までイスタンブール大学の学生たちと一緒に過ごしました。育ってきた環境も、今置かれている場所も違う私たちは話すたびにたくさんの驚きがありました。話せば話すほど知りたいこと聞きたいことが生まれてきて、それでも投げかける質問に絶えず真摯に向き合い答え続けてくれた彼女たちの姿勢に感謝しています。彼女たちだけに限らず、トルコでの一番の思い出は人です。道端で目が合えば微笑み返して、道に困ったときはすぐに声をかけてくれたり、日本大好きだよ!と声をかけてくれたり、とてもあたたかい人たち。「Bir fincan kahvenin kırk yıl hatırı vardır」というトルコの諺があります。直訳すると一杯のコーヒーには40年の思い出がある、となりますが、これは「どんなに小さなことでも親切にしてくれた友情は絶対に忘れない」という意味で使われるそうです。この諺のように、トルコでたくさんの人々がくれた優しさと明るさが今でも私の中に残って染み込んでいます。ちょっと大雑把で完璧ではないけれどあたたかい国、トルコ。またあの景色と、人々に会いに訪れたいと思います。
写真:明治大学とイスタンブール大学のABR実践チーム
最後に、イスタンブール大学のTuncer Can先生とベイザ、サミール、サーカン、セマ、ディララ、イライダ、スエーダに心から感謝申し上げます。
日本人学生とトルコ人学生がペアを組み、街を歩き、写真を撮り、語り合う。そこから生まれるのは、正解を出す学びではなく、問いが生まれ続ける学びでした。以下では、学生自身の言葉を通して、その実践のプロセスと気づきを紹介します。
写真:イスタンブール大学正門前にて
■はじまりのABR体験——身体・写真・語りから他者を知る(南條 絢音)
初日は、イスタンブール大学の学生にABRを体験してもらうことを目的に、複数のワークを行いました。身体表現を用いた自己紹介、マッピング、ナラティブ表現による他者理解、そして写真を使った文化探究です。この日は、アイスブレイクも兼ねてABRを導入しました。
冒頭に行った自分の名前を身体で表現するワークでは、戸惑いを見せる学生もいましたが、進めるうちに緊張がほぐれ、最後には全体で笑い声が響き渡るほど打ち解けることができました。そのほぐれた空気感により、他のワークもスムーズに進めることができました。
写真のワークでは、日本の日常を切り取った写真を並べ、「多文化共生」を感じる一枚をそれぞれが選びました。なぜその写真を選んだのかを語ってもらうことで、その人の価値観や世界の捉え方が自然と浮かび上がってきます。
このワークは、翌日から始まるウォーキング・エスノグラフィーの準備でもありましたが、すでにこの段階で、私たちとは大きく異なる視点から世界を見ていることが伝わってきました。その違いがとても興味深く、これからの探究への期待が高まりました。
写真:選んだ写真を見せながら、なぜ選んだかをシェアリングしている様子
■街を歩くことで見えてくるもの——ウォーキング・エスノグラフィーの実践(花咲 ひなた)
日本人学生とトルコ人学生がペアになり、ジェンダー/多文化共生/場所の記憶/ウェルビーイング/感情(人々の想い)といったテーマを手がかりに、明治大学とイスタンブール大学の学生がそれぞれウォーキング・エスノグラフィーを実践しました。
ウォーキング・エスノグラフィーとは、街を歩きながら人や風景を観察し、写真やメモを通して「その場の文化や人々の営み」を探究する方法です。歩くことで、普段は見過ごしてしまう出来事や風景に立ち止まり、写真や対話を手がかりに、「自分の視点」と「相手の視点」の違いが少しずつ浮かび上がってきます。
私は「多文化共生」をテーマに街を歩きました。まず訪れたのは、昔から多くの人が集まってきた歴史的な街、タクシム広場周辺です。その後、フェリーに乗ってトルコのヨーロッパ側からアジア側(アナトリア)へ渡り、同じ都市でありながら大きく異なる街並みを体感しました。
歩きながら、私が「あれは何?」と何度も尋ねると、トルコ人学生が「日本にはないの?」と問い返してくれます。そんなやり取りの中で、互いが自国では当たり前だと思っていた風景や習慣を、自然に共有していくことができました。
途中、動物の権利を訴えるデモ行進に遭遇し、トルコ人学生からトルコの政治状況について話を聞きました。多くの学生が社会や政治に対して自分なりの意見をもっていることを知り、日本との違いに強い驚きを覚えました。
こうした気づきは、資料を読んだり教室で話を聞いたりするだけでは得られなかったものです。一緒に街を歩き、同じ場に立ち、対話を重ねたからこそ出会えた学びだったと、今振り返って感じています。
写真:「多文化共生」をテーマとして撮影した風景
写真:動物の権利を訴えるデモ行進
■写真から詩へ——想像による他者理解(土屋 志恵留)
翌日、イスタンブール大学の教室にて、それぞれが撮影した写真を持ち寄りました。ここで行ったのは、少しユニークなABR実践です。まずは写真をペアと交換し、「なぜこの写真を撮影したのか」を説明せずに、ただ見せ合う。そこから生まれるのは、「どうしてこの写真なの?」という驚きや問いかけでした。
次のステップでは、相手の立場に立ち、その写真を撮った理由を想像して詩的に表現するという試みに取り組みました。つまり、「説明」ではなく「想像」と「詩」を通して、相手の経験を探ろうとしたのです。写真を手がかりに、相手がどんな現実を見ていたのか、どんな気持ちでその場に立っていたのかを想像する。そして、それをことばではなく詩として編み直すことで、文化や経験に対する理解が一層深まっていきます。
私たちのペアは「場の記憶」というテーマで街を歩き、写真を撮りました。お互いが撮った写真から5枚を選び詩を書くとき、その写真から読み取れる情報以上に、相手とその場所を訪れたときにどのようなことを話したか、そのときどんな表情をしていたかということを思い出していました。それは、単純に相手の視点に立って考えるというより、パズルのピースをはめていくような感覚で、記憶の再構築を行っていたのだと、今振り返って感じています。
私たちは街を歩く中で、イスタンブール考古学博物館を訪れました。そこで多くの歴史的遺物を見ることができました。私にとっては、教科書で見聞きしたものが目の前にあることに感動していましたが、詩を書く中で、ペアのサーカンにとっては、そこに展示されているものを含む歴史や文化は、私と比べて身近なものだったのではないかと考えました。相手の視点になって詩を書くというワークだったからこそ、改めてこの視点の違いを認識することができました。
このワークを通して強く感じたのは、感じ方のズレが、対話をひらく力になるということです。ズレを否定するのではなく、「Yes, and」で受けとめ合うことで、言葉にしにくい感情や価値観まで引き出されていきました。一般的なコミュニケーションの中では、対話の中でのズレはネガティブなものとして捉えられてしまうことが多いと思います。しかし、このワークを行ったときは、お互いが書いた詩に対して、本来考えていたことと違ったとしても否定するのではなく、無意識に「Yes, and」のコミュニケーションが成り立っていました。むしろ、その違いがあるからこそ、より深く考えるようになり、抱えている感情や大事にしている価値観など、言葉にすることが難しいものを引き出すことができるようになっていたと感じています。
写真:つくった詩を朗読する様子
■詩を読む ——同じ写真、異なる記憶(本吉 美帆)
最後に、ペア同士でお互いが書いた詩を読み合う時間をもちました。私のペアのスウェーダさんは、私が撮影した絨毯の写真を選び、その写真から詩を書いてくれました。
私がこの写真を撮った理由は、スウェーダさんと、日本の若者文化である「Kawaii」について話したことが強く印象に残っていたからです。日本で生まれ育った私にとって、「かわいい」という感覚はとても身近なもので、カラフルでポップな絨毯の中にも、自然とその感覚を見出していました。
「cute」や「pretty」、「beautiful」や「unique」。
英語にはさまざまな形容詞がありますが、日本独自の“kawaii”という感覚は、どれにも完全には当てはまらないものだと感じています。トルコの街を一日一緒に歩きながら、その微妙なニュアンスをスウェーダさんと話し、共有できたことが、私の中に強く残っていました。だからこそ、その日いちばん「かわいい」と感じた絨毯の一枚を、私は写真に収めたのです。
一方で、スウェーダさんがその絨毯の写真から感じ取り、詩に込めてくれた意味は、私の捉え方とは異なるものでした。私にとっては「kawaii」を象徴する存在だったその絨毯が、スウェーダさんにとっては故郷を思い出させる存在だったのです。その絨毯のデザインは、彼女の生まれ育った地域にルーツをもつ、伝統的なものだと教えてくれました。
その話を聞きながら、私自身も、日本で育つ中で“かわいいもの”に囲まれてきた記憶を思い返していました。もしかすると、私にとっての「kawaii」文化も、知らず知らずのうちに、故郷や育ってきた環境と結びついた、大切な記憶の一部なのかもしれない——そんなふうに感じました。
生まれた場所も、育った文化も異なるスウェーダさんと、同じ一枚の写真を通して、共通する感情や思いを見出せたことは、とても印象深く、忘れがたい体験でした。
写真と詩を介したこの対話は、違いを比べるためのものではなく、互いの記憶や価値観に静かに触れていく時間だったように思います。
写真:私が撮影した写真
写真:スウェーダさんが私の写真でつくってくれた詩
■全体を振り返って(徳永 和香)
帰国最終日までイスタンブール大学の学生たちと一緒に過ごしました。育ってきた環境も、今置かれている場所も違う私たちは話すたびにたくさんの驚きがありました。話せば話すほど知りたいこと聞きたいことが生まれてきて、それでも投げかける質問に絶えず真摯に向き合い答え続けてくれた彼女たちの姿勢に感謝しています。彼女たちだけに限らず、トルコでの一番の思い出は人です。道端で目が合えば微笑み返して、道に困ったときはすぐに声をかけてくれたり、日本大好きだよ!と声をかけてくれたり、とてもあたたかい人たち。「Bir fincan kahvenin kırk yıl hatırı vardır」というトルコの諺があります。直訳すると一杯のコーヒーには40年の思い出がある、となりますが、これは「どんなに小さなことでも親切にしてくれた友情は絶対に忘れない」という意味で使われるそうです。この諺のように、トルコでたくさんの人々がくれた優しさと明るさが今でも私の中に残って染み込んでいます。ちょっと大雑把で完璧ではないけれどあたたかい国、トルコ。またあの景色と、人々に会いに訪れたいと思います。
写真:明治大学とイスタンブール大学のABR実践チーム
最後に、イスタンブール大学のTuncer Can先生とベイザ、サミール、サーカン、セマ、ディララ、イライダ、スエーダに心から感謝申し上げます。








