2025年02月04日
水野 博子・川喜田 敦子 編『ドイツ国民の境界—近現代史の時空から』山川出版社(2023年) ※佐藤 公紀(教養デザイン研究科教員・法学部専任講師):分担執筆, 担当範囲:第1部第3章
紹介者:前田 更子(教養デザイン研究科教員・政治経済学部教授)
国民とは何か。本書は、「ドイツ」近現代史の事例からこの古くて新しい問いを考える最良の一冊であろう。「国民の存在は日々の人民投票である」。本書を読みながら、まず頭に浮かんだのは、1882年にフランスの宗教史家エルネスト・ルナンが語ったこの言葉だ。国民とは、人びとの同意、共に生きたいという願望、また過去の遺産を共有し、それを共同で活用しようとする意志によって作られるものだというルナンの主張である。
しかし、本書はそうしたオーソドックスな国民理解に留まらず、そもそも「国民」や国籍、領域/集合体としての「ドイツ」、「○○語圏」が指し示すものが、ドイツでは、フランスや日本とは大きく異なることを教えてくれる。ドイツ的特殊性(と私には映るもの)が、本書に掲載されたあらゆる論文の叙述から浮かび上がってくるのだ。たとえば、戦後の西ドイツでは、「ドイツ民族に属する者」はドイツ国籍者以外も「国民」の範疇に組み込まれていた事実が、説得的に論じられる(第9章)。国籍制度自体が近代の産物ではあるものの、国籍が国民を規定できないとしたら・・・。「民族」が国民の境界を左右するという事実を前に、読者は、ドイツにおける「民族」の重みに圧倒され、改めて「国民」概念の多義性を理解するだろう。また、国民国家と○○語圏の関係についても再考を促される。たとえばフランス史においては、「語圏」は一般に植民地拡大の歴史的文脈の中で考察され、その存在は本国の威光の強化に利用されはすれども、国民国家(本国)そのものを揺るがすような力にはほとんどならない。しかし、本書の中で語られるドイツの場合、ドイツ語圏という存在は、地続きヨーロッパ内での人の移動、地理的境界の変動にともなって生まれ、変容し、国民国家と切り離せない、国民国家本体の問題として現れる。つまり本書は、「普遍」「自明」とされがちな、私たちの固定観念に揺さぶりをかけ、問い直す歴史的経験の事例に満ちた本である。
本書では、国家の内部に引かれる境界線にも眼が向けられる。本書の第一部に収められた4本の論文では、近代的な価値規範の形成に伴い生み出される、市民社会にふさわしい人とふさわしくない人とを区別する論理や、他者と自己を分け、人を差異化する社会的実践が分析される。第3章の佐藤公紀「「赦し」から「予防」へ—近代ドイツにおける釈放者扶助の変容」は、「犯罪者」と釈放された受刑者の扱いをめぐる議論を通じて、19世紀後半から20世紀前半のドイツ社会において、犯罪者に向けられる人びとの眼差しがどのように変化したのかを論じる。背景にあるのは医学、精神医学、心理学、犯罪学、教育学などの人間諸科学の発達である。こうした科学に基づく近代的学知は、釈放された受刑者の自立支援を行う際に、「扶助を受けるに値する者/しない者」という境界を築き上げていく。近代諸科学が人間の分類に熱心に取り組み、近代国家の統治論理・技法を支えていたことは比較的よく知られた事実だが、本論文では、そうした近代化の歩みの中でも、前近代的とみなされるキリスト教的価値観、隣人愛に基づく「赦し」の考えが20世紀に入っても消滅することなく、近代的な論理と絡まり合いながら、ドイツの釈放者扶助を支えていた点を丁寧に論じている。近代に登場するいくつもの主要な概念や枠組みを問い直す本書の中において、本論文は「世俗化」「福祉国家」の再検討につながるものとして読むことも可能である。
近代がもたらした人の区分けの仕方、それによって正当化された排除や差別は、21世紀の今をも規定している。「境界」線はどのようにして、誰によって引かれるのか。暴力を伴うその行為の恐ろしさを知る私たちが、歴史から学ぶことは多いだろう。
著者プロフィール
所属(研究科コース):教養デザイン研究科「文化」領域研究コース
職格:専任講師
研究分野:ドイツ・ヨーロッパ近現代史、現代ドイツ政治
研究テーマ:19世紀後半~20世紀前半のドイツにおける刑罰制度・犯罪生物学・釈放者扶助の歴史的展開/現代ドイツの右翼ポピュリズム
学位:博士(学術)
主要著作:『ドイツ文化事典』(共著) 丸善出版 2020年,『ナチズム・ホロコーストと戦後ドイツ』(共著) 勉誠社 2020年,
ウォルカー・ヴァイス『エリートたちの反撃 : ドイツ新右翼の誕生と再生』(翻訳) 新泉社 2020年
※内容やプロフィール等は公開当時のものです。