Master of Public Policy, MPP

公共政策のプロフェッショナルを育成する公共政策大学院ガバナンス研究科

【加藤竜太専任教授】意思決定と政策:経済学的視点から

本コラムは明治大学公共政策大学院に所属する加藤竜太専任教授が執筆しております。 筆者:加藤竜太教授

新型コロナウィルス感染者が増加する中、医療従事者の方はもちろん、現場の最前線で日々対応されている多くの方々に対し、心より御礼申し上げます。

さて、本稿では政策決定における意思決定を経済学的視点に立って考えてみる事にいたしましょう。

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はじめに

第一回目の小林先生のコラムでは、「現場の使命感」と「日本の美徳」という側面から、2011年3月の東日本大震災を事例にあげて、「危機」に対する日本在住の方々の対応が紹介されました。世界中からの多くの支援の中、当時の日本在住の方々の心温まる献身的な対応に、世界中が驚くと共に賞賛が集まりました。過去に米国西海岸で発生した大地震の時には、暴動や略奪が起こったことを思い起こせば、まさに「日本の美徳」と言えるかも知れません。

ところで、今回のようなパンデミックは人類史上、今回が初めてではありません。私の知る限りでは6世紀までその発生は遡ります。また、それ以来、パンデミックは世界的に何度も、それもほとんど定期的に発生してきています。ではどのようにして人類はこの何度も起きた危機的状況を乗り越える事ができたのでしょうか。それは端的に言えば、「隔離」と「ワクチン利用」の2つの組み合わせです。ワクチンの発明はそれほど遠い昔の話ではない事、ワクチンの開発には時間を要する事を考えれば、「隔離」の実施が極めて有効な手段であったことは間違いありません。

この度の新型コロナウィルスへの対応は世界で異なっています。いち早く政府の強制力に基づく罰則規則を伴った外出規制を行った国や、日本のように「要請」による外出自粛を期待する国もあります。また、「緊急事態宣言」を発出するタイミングもそれぞれの国で異なっています。多くの感染者・死者を経験している諸外国からは「日本は本当に大丈夫か?」という心配の声を多く聞く中、「数週間後は日本も同じような危機的状況に墜ちうる」という警鐘も数多くあります。日本の場合、「日本の美徳」に裏付けされた「要請」で、この危機的状況を乗り越えることができるのでしょうか。政府の意思決定はもちろん、我々個人の意思決定においても、経済学では「費用」と「便益」という考え方がとても重要です。本稿ではこの「費用」と「便益」という発想で我が国の「緊急事態宣言」発出に至った経緯とそれに伴う緊急経済対策について考えてみましょう。

便益と費用

経済学では「便益」と「費用」を天秤にかけて人々は行動するという考え方が一般的です。我々がある行動を起こす場合、その行動に伴って「便益」が発生します。例えば、理髪店で散髪をしてもらう場合、散髪により消費者は「便益」あるいは主観的な満足を享受することになります。一方、理髪店では料金を支払わなければなりません。これが金銭的「費用」です。もし自分が納得しない髪型になってしまえば、「便益」は減少するでしょう。もしこの主観的な「便益」が金銭的に支払った「費用」より低ければ、二度とその理髪店には行かないでしょう。まさに、「便益」と「費用」を比較して、理髪店に行くか否かを決定しています。経済学ではこの例にあるような金銭的な「費用」はもちろん、通常は「機会費用」という概念で費用を考えます。ある行動を起こす場合、その行動を起こすことによって多くの別な機会を失います。理髪店に出向き、同時に同じ時間帯にレストランには行けません。経済学ではこの失うすべての機会から生じるそれぞれの便益の中で、一番高い便益をある行動を起こすことによって生じる「機会費用」と定義します。A,B,Cという3つの投資機会があるとしましょう。この3つの投資から得られる便益はそれぞれ10,20,5だとします。この場合、投資機会Aを実施する際の「費用」は20です。なぜなら投資機会Aを選択することによって投資機会BとCを断念しなくてはなりません。BとCでの便益はそれぞれ20と5ですが、Aを選択することによって失う最大の便益は20ですから、投資機会Aを選択し10の便益を得る一方、20の費用が生じることになります。この場合、Aの‘純’便益(便益マイナス費用)はマイナス10となります。このように考えれば、この例では投資機会Bの純便益が10(20の便益マイナス10の費用)となり、Bを選択することが一番の得策です。

次に「非常事態宣言」に関して、「便益」と「費用」で考えてみましょう。

非常事態宣言の発出

「非常事態宣言」の発出に伴い、「便益」と「費用」が発生します。さて、便益とは何でしょうか。別な言い方をすれば、今一番望まれる状況とは何でしょうか。それは明らかに新型コロナウィルスの収束です。収束に伴い、社会全体が「便益」を享受できるわけです。新型コロナウィルス収束が一番望まれるなか、どのようにこの収束を達成できるでしょうか。先に述べたように、歴史的にみても「隔離」と「ワクチン利用」が収束の鍵です。ワクチンの開発が待たれる今、「隔離」が有効な手段です。中世期のような国家的な強制力を伴った「隔離」が無理な現況においては、まさに「自宅待機」が唯一の解決策であることは間違いありません。医学関係者もこの点は当初から強調しています。疫学的に考えれば、「自宅待機」をすることが、それも一日も早く開始することが明らかに望ましい、それも唯一の方法だと思われます。一方、「自宅待機」、と同時に「休業要請」も行われつつあります。さて、これら「自宅待機」、特に「休業要請」によって生じる「費用」は何でしょうか。多くの飲食店が休業に伴い、多額の経済的損失を被るでしょう。これが「費用」と考えられます。もちろん、待機疲れも費用の一部でしょう。このように考え、「緊急事態宣言」発出のタイミングを考えてみましょう。いくつかの大都市の首長は政府に「緊急事態宣言」早期発出を期待していました。諸外国から「遅すぎる」という指摘もあります。経済学的な発想に立てば、政府は「便益」と「費用」を天秤にかけ、少しでも費用、すなわち経済的損失を最小化することを勘案した結果、この度のタイミングになったと考えられます。さて、休業要請を少しでも遅らせることで本当に経済的損失を最小化することができるのでしょうか。一日のずれが如何に収束にとって命取りになるかわかりません。経済を重視するあまり、この度のタイミングが遅すぎたのではという疑問が残ります。なぜなら、先に述べましたように、我が国が今一番望んでいることは新型コロナウィルスの収束だからです。

政策評価の時間軸:短期と長期

少しでも「休業要請」、あるいは「自宅待機」を遅らせる根拠として「経済的損失」が考えられます。確かに短期的にはより長く今までの経済環境を維持することが望ましいでしょう。しかし一方で、長期的に考えれば果たしてそのような政策が経済全体にとって望ましいのでしょうか。なるべく早い収束は経済的に考えても望ましいことです。なぜなら、長期戦になればなるほど経済は疲弊し、経済的回復には膨大な費用がかかります。経済的な理由を根拠に政策における意思決定が遅れたとすれば、それは短期的な発想に基づいていたのかも知れません。長い目で見れば、思い切った自宅待機・休業を今こそ徹底することが経済的損失を最小にできる方策ではないでしょうか。政策の効果を考える場合、その効果を時間的に考えることもとても重要です。

自宅待機と休業要請

我が国の「緊急事態宣言」は基本的に強制力を伴った宣言ではありません。まさに、「日本の美徳」、あるいは「誠実・良心」に訴えかけた宣言です。さて、社会科学では行動を規制する場合、法律などでルールを示し、それに違反した場合には「罰則」で社会的に望まれる状況を達成する方法と、インセンティブを与えて社会的に望まれる状況に我々を「誘導」する方法が考えられます。経済学的発想の多くは後者です。「罰則」を伴わない強制力がない「緊急事態宣言」発出の中、小池都知事が提案した「協力金」はまさに後者です。インセンティブを与えて、「休業」という状況を作り出そうとする方策です。コロナウィルス収束が一番の目的ですから、小池都知事の方策は経済学的に考えて評価できる方策でしょう。

緊急経済対策とその財源

マスクの配布や一人10万円支給という政策が始まり出します。これらの政策も「便益」と「費用」で考えることができます。「費用」はかなりの程度まで金銭的に計ることができるでしょう。例えば、マスクの配布には400億円以上の公的資金が投入されます。さて、各家族に2組のマスクが配布されることにより国民全体の総便益がどれほどになるでしょうか。また、この多額の公的資金をマスクの配布に投入することにより、その公的資金は他の政策に利用することはできません。医療従事者への手当や彼らの逼迫した職場環境の改善に費やすことによって社会全体でより高い便益は達成できないでしょうか。

また、急遽変更になった所得保障ですが、当初はより強い被害を受けた方々に限定的に支給する案でした。まさに大きな被害を受けた方にはより手厚い保障という発想です。限定的に支給する条件の複雑さや困難さは当初から指摘されていますが、そもそも限定的に支給することが公平であるという発想です。確かに日本全体が多くの被害を受けていることを考えると、より多くの方々に広く給付を行うことは重要でしょう。重要なことはそもそもの「目的」は何だったのか、また、今の段階で国民一人一人に10万円を支給する方策はコロナウィルスを収束させるという最優先目的にとってプラスなのか、あるいはマイナスなのかを真剣に問うべきです。いずれにせよ、利己的な発想を捨て、どのような政策がいつの時点で一番有効であるかと言うことを、便益(プラス)と費用(マイナス)を勘案して国全体で誠実に考えることは極めて重要です。

さて、これらの緊急経済対策に伴う膨大な新たな財源はどのようにして確保しなければならないでしょうか。予備費からの支出に加えて、公債発行に頼ることは避けて通れません。公債発行は今回の借金の将来への移転ですから、この費用は時間をかけて世代間でなるべく公平に負担されるべきでしょう。将来の負担は今の状況下ではなかなか議論されにくいのは当然です。しかしすべては有限です。有限だからこそ、今の借金を有効に使うことが重要となります。公的資金の投入に伴う「便益」と「費用」を十分に考え、国民が納得できる政策を実現していくべきでしょう。

政策評価

新型コロナウィルスは一日も早く収束させなければなりません。一方、収束後、関連政策はその効果について評価されなければなりません。正しい評価こそ、将来の危機に対する正しい備えとなります。ガバナンス研究科では、どのように政策を評価したらよいのか、また、政策立案に関してどのようなことを考えなくてはならないのか、など、政策評価に関する多くの優れた授業を提供しています。