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国際日本学部

国際日本学実践科目Bで映像制作を行いました

2022年02月08日
明治大学 国際日本学部

2021年度秋学期の「国際日本学実践科目B」では、世界に向けて伝えたい映像作品を、受講生が制作しました。ある者は一人で、またある者はグループでと、制作方法などは異なりましたが、各自が意図をもって「いま」を描き出したと考えています。英語字幕も添付していますので、世界中の方に、ご覧になって頂ければと考えています。  原田悦志(兼任講師)

英語字幕協力:パッソ・パッソ

Non-fungible Reality (制作:杉本貴一、新井桃太、櫻井星歌)

※この動画は授業内(国際日本学実践科目B)の制作物です。


杉本貴一(国際日本学部3年、音響)
初めて映像と音楽とをリンクさせるということに挑戦しました。短い秒数の作品名に音楽の力で少しでも色が足されたと感じていただけたら幸いです。

新井桃太(国際日本学部4年、CG・エフェクト)
Non-fungible とは、『非代替性』という意味です。
SNSやメタバースなど、デジタル空間は拡大を続けていますが、現実に取って代わる事は無いと思い、テーマと致しました。
イラスト制作の櫻井さんと、音響の杉本くんのパワーが凄く、非常に勉強になる制作期間でした。また、原田先生にFBなどご協力して頂きました。誠にありがとうございました。
約1分の短い動画ですが、割と情報を詰め込んであります。ご覧頂ければ幸いです。

櫻井星歌(国際日本学部2年、イラスト)
初めての映像制作で、一人で素材を作っている時はこれで作品が出来上がるのかと不安でしたが、新井さんの編集と杉本さんの音楽によって、作品が活き活きとしていく様子に感動しました。
ポップな色合いのイラストにぜひ注目してみてください!


国際日本学部CM(制作:
田中里奈、髙松莉子、田邉優奈)

2020年春、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、世界各地で様々な混乱が巻き起こり、今もその終息は見えません。日本では緊急事態宣言やステイホームに伴い、今まで当たり前にあった日常が当たり前ではなくなってしまいました。私たち学生にとっても、大学受験や大学生活で困難を極めました。しかし、行動や活動が制限されているコロナ禍だからこそ、自分を見つめなおし、新たな学びを得て、できることや興味のあることに挑戦できるきっかけとなりました。
今回は、明治大学の国際日本学部の学生が学年別に、どのようにコロナと向き合い、国際日本学部の一員として取り組んできたのか紹介します。動画を通して、明治大学の良さ・国際日本学部の良さを知ってもらえたら嬉しいです。

※この動画は授業内(国際日本学実践科目B)の制作物です。
田中里奈(国際日本学部3年)
 

大学1年生では当たり前のように送っていた楽しい大学生活。その春に新型コロナウイルスの拡大により、予定していた留学は中止、2年生の学校の授業はすべてオンライン、アルバイトや遊びも思うようにできない日々を送りました。何もかもうまくいかず、はじめは虚無感に襲われました。しかし、国際日本学部の学生や学生プロジェクトのメンバーとの支えあいがあったからこそ、制限のある中でできることを見つけ、新たな活動にも全力で取り組むことができました。次年度で4年生となる今、当たりまえの生活が送れることに感謝をしながら、大学で巡り合えた頼もしい仲間とともに何事にも前向きな気持ちで歩んでいきたいと思います。動画を見てくださったあなたが少しでも明治大学そして国際日本学部に魅力を見出してくれたら嬉しいです。


髙松莉子(国際日本学部2年)


私が作成したCMは、国際日本学部における多種多様な繋がりをアピールするものとなっています。コロナ禍真っ只中の2020年に入学した私たちの代でも、広い世界と多彩な仲間と繋がることの出来た国際日本学部の魅力を感じて頂けると幸いです。


田邉優奈(国際日本学部1年)


未曾有のパンデミックの中、悲しくて切ない思いをした方も多いのではないでしょうか。未熟な私には想像もつかないくらい、悔しくて辛い思いをした方も多いのではないでしょうか。コロナは仕方がないと気持ちを入れ替えようとしても、なかなか前を向けなかった方も多いかと思います。
私自身、高校最後の一年間は、学校が登校禁止になった影響で友達と会えない時期もあり、部活の引退公演も中止になり、塾も登校禁止になり、受験勉強も思うように行かず、卒業旅行にも行けず、、、理想とはかけ離れた現実を目の当たりにして、世の中の不条理に憤慨し、社会や大人、そして無力な自分を恨んだこともありました。
しかし国際日本学部で夢や希望に満ち溢れる人、どんな状況に置かれても諦めず努力し続ける人と出会い、私の気持ちは変わっていきました。
「このまま人生を諦めたくない。コロナに負けたくない。」
そんな想いから、オンライン留学に参加し、ボーイスカウト部に入って今まで縁のなかった活動に勤しみ、バイトを始め、好きなダンスとバレエを続け、たくさんの経験を積み、たくさんの素敵な人と出会うことが出来ました。
全ての人に、夢をみる、そして希望を抱く権利があります。
全ての人に、それを実現する可能性があります。
このCMを見た人が、数人でもいいから、少しでもいいから、自分の可能性を信じて、最初の一歩を踏み出せるように。
そして、夢を追いかける環境が整っている明治大学国際日本学部に興味を持ってもらえるように。
コロナ禍を生きる同志の皆さんに、この想いが届くことを願っています。


須磨跡光の非日常(制作:鈴木理菜、川杉妃奈)

※この動画は授業内(国際日本学実践科目B)の制作物です。

鈴木理菜(国際日本学部2年)
『須磨跡光(スマートひかる)の非日常』は、私の制作した記念すべき初の動画作品になりました。どんな作品を作りたいか、という話し合いから始まり、コンセプトを決め、試行錯誤しながら、短い期間ながらより完成度の高い映像に仕上がったのではないかと思います。世界に伝わる面白さとは何か、を考えながら、一つのシーンにおいて様々な角度から撮ったり、カメラの画角におけるパーツの位置であったりと構成を練りながら撮影しました。編集の段階では、様々な効果音や古典音楽、字幕など、より世界の人々に伝わるように意識しました。ひとりの人間が、普段私たちが何気なく使っているスマホという電子機器へと突然変化してしまう様を描いているので、日常の大事さや大切さを多くの方に感じていただけたら嬉しいです。是非スマホならではの視座に注目して観ていただきたいです。また、最後の結末について、それぞれ自由に想像していただくとより楽しめるかと思います。この授業を通して、番組の制作過程という、楽しさと苦労を知ることができたので、とてもいい経験になったと思います。
最後になりますが、この作品に参加してくださった皆様、常に的確なアドバイスを下さった原田先生など、多くの方々の協力があって無事に完成させることができました。本当にありがとうございました。

川杉妃奈(国際日本学部1年
私たちが制作した「須磨跡光の非日常」は、主人公が突然スマートフォンになってしまう、という非日常体験を描いたコメディームービー作品だ。
大学生の須磨跡光はある日、急いで教室に入ったところ転んでスマホを割ってしまう。落ち込んでふて寝し、目が覚めると体がスマホになっていた。友人のあきこが通りかかるも自身に気づいてもらえず、むしろ気味悪がられてしまう。打ちひしがれるスマホを拾うものは誰なのか。

この作品を通して伝えたいことは、目線を変えれば見る世界も変わるということだ。現代ではスマホは必需品であり、私たちの生活を支える「道具」である。それは、その利便性から生活を豊かにする一方、スマホ依存症や中毒として社会問題になっている。この作品を見る人には、もし自分がある日スマホになったら、と想像してみてほしい。一人一人のスマホの使い方によって伴う問題は異なり、様々なストーリーが生まれるはずだ。「スマホ」という題材にはポジティブな面もネガティブな面もあり、使う人のスマホへの向き合い方によって見える世界も異なる。私がスマホを題材にストーリーを構想した時、その利便性に改めて感心し、スマホになっても生活できるのではないかと思う一方で、スマホとしての生活にどうしようもない寂しさを感じた。
この作品はコメディーとしてスマホになった主人公をコミカルに表現したが、ただ見るだけでなく、現代のスマホ生活と向き合うきっかけにしてほしい。

また、サイレント映画のようなコミカルな表現がこの作品の売りである。映像の合間にセリフや場面説明を入れることで、音声を使わないテンポの良さを演出した。走っていくシーンなどは倍速にすることで人物の動きをコメディチックにし、BGMにクラシックを用いて心情をダイナミックに表現することでシュールさを加えることができた。それにより、全体を通してスピーディーなコメディー作品にすることができた。

制作する上で苦労したことは、人が操作するスマホを、自分の意志で動いているかのように見せることだ。使える道具は限られていたため、スマホを自立させることすら難しかった。
アングルを調整してスマホが倒れている場面は隠したり、スマホ—ケースに細工して自立させたりなど、「スマホになった人間」がただの端末に見えないよう工夫した。また、画面録画を使って画面に勝手に文字が打ち込まれているように表現したり、スマホの視点を表現するために内蔵カメラを使ったりと、スマホならではの表現を生かした。
また、今回初めて動画編集をしたため、編集には多くの時間を費やした。特に各動画を違和感なく自然につなげることが難しく、複数台のカメラを使って撮影しているテレビや映画などの編集のすばらしさを改めて認識した。

今回映像作品を作るにあたって、構想や撮影計画が十分でなく、行き当たりばったりになってしまった。企画段階では大まかなあらすじや使いたいシーンの相談しかしておらず、撮影のアングルやストーリーの展開を撮影時に考えることになり、非効率だったと反省している。このことから、自分の構想を文字化・イラスト化し、他人に十分な説明ができるまで練る必要があるということを学んだ。
そして、映像制作という今まで触れてこなかった分野に触れ自ら考え制作することで、何気ない日常の中にも面白い映像のための題材が落ちているということが分かった。この経験を活かし、日々想像力を働かせ新たな映像作品の要素を探していきたい。


The Wandering - A Plastic Journey to Nowhere - (制作:金澤英貴)

※この動画は授業内(国際日本学実践科目B)の制作物です。


この作品はビニール袋をメインとして描いた短編映画であり、物やゴミを入れるために使用されるのがごく当たり前なビニール袋がその固定化された役割の殻を破り、明確な最終地点のない旅の中で自分の新しい役割や存在意義を見つけていくという物語となっています。「本来のビニール袋」として人に使われ捨てられる様子、風に飛ばされ飛び回る様子、巡り巡って最終的には最初の持ち主とは別の人に拾われて今までの「ビニール袋」とは違った形で世界に存在する様子を描くことでストーリーが展開していきます。 私はビニール袋を擬人化させ、人の人生の一部分を切り取ったようなストーリーを描きたいと思い、この作品を制作しました。具体的には、自分が今いる社会やコミュニティーの中で与えられた役割やキャラクターという殻の中で縮こまらず、荒波にもまれながらも新しい世界へ飛び込むことで全く新しい自分に出会うことができることを伝えたいという意図がありました。これを作品の中のビニール袋で例えてみると、物やゴミを入れるために使われることが普通だったビニール袋が持ち主の手を離れ、人に踏まれたり海に流されたり捨てられたりするなどの紆余曲折を経て、今までのビニール袋とは全く違い、凧へと変化して世界に存在することができたということを指します。加えて、これは私個人の話になりますが、現在大学生活のうち3年間が終わろうとしており、これまで色々なことを経験し、そこからやりたい事・やらなければならない事がたくさん出てきた中で、毎日何か「目的」があって動くことが多くなりました。目的を持って動くことは非常に大切であると感じながらも、時には短編映画に登場するビニール袋のように目的や目的地を決めず、流れに身を任せた先に待っている何かとの巡り合わせにあるハッと驚くような出会いや発見を私自身が大事にしたいと同時に、この作品を観てくださった方にもそういった出会いがもしもあれば、大切にしてほしいという少々お節介かもしれない想いも込めてこの作品を制作しました。あまりセリフを盛り込まずにストーリーが進むため、観た人それぞれが自分自身の率直な解釈に従って鑑賞して頂ければと思います。


明大茶CM(制作:三枝伶紗)


※この動画は授業内(国際日本学実践科目B)の制作物です。