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国際日本学部

国際日本学部 連続特別講義「ニッポンのミソジニー(上野千鶴子氏講演・全5回)」を開催しました

2022年03月03日
明治大学 国際日本学部

 国際日本学部では、2019年の東大入学式の祝辞が評判になった東京大学名誉教授の上野千鶴子先生を特別招聘教授としてお招きし、藤本由香里教授のコーディネートで、2021年12月に全5回の特別講義を行いました。1~4回は明治大学の学生・院生と関係者のみを対象に、12月10日(金)・11日(土)に各2コマの計4コマ。そして12月18日に、明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター長の牛尾奈緒美教授も登壇し、明治大学の学生もセッションに参加する、一般公開の最終シンポジウムを、ジェンダーセンターとの共催で行いました。
 4回の特別講義「ニッポンのミソジニー」は、「1.ミソジニーの理論」「2.男のミソジニー」「3.女のミソジニー」「4.暴力とフェミサイド」に分けて語られたもので、イヴ・セジウィックの“ホモソーシャル”“ホモフォビア”“ミソジニー”の三点セットを下敷きに、この社会にある性差別的な構造的暴力の仕組みを解き明かすとともに、完全な合意による性行為からレイプまで、性暴力は連続体であり、その中での「状況の定義権」の重要性、「セクハラ」という言葉がようやく定着していったように状況の「名付け直し」がいかに重要であるかが、従軍慰安婦の問題や、女性を狙った殺人的な暴力=フェミサイドなども例に引きながら語られ、問題発言などに気づいたらその場でイエローカードを出す、という実践的な提言がなされました。
 最終シンポジウムでは、まず上野千鶴子氏から、これまでの4回の講義の内容をダイジェストでご紹介いただくとともに、学生に出した課題「あなた自身のミソジニーの経験について述べよ」「ミソジニーが解消する兆しがあればそれについて述べよ」「ミソジニーを解決する手段について述べよ」に対して得られた興味深い回答をふまえての上野氏のリスポンスが語られました。
 続いて、牛尾奈緒美氏により、自身が経験してきたミソジニーがきわめて率直に語られ、とくにかつてフジテレビのアナウンサーで、一度は結婚退職した牛尾氏がその後、一念発起して大学院へと進み、「若さや新鮮さで評価されない、積み重ねや熟練が評価される仕事」として大学教授を選んだと語ったことが印象的でした。牛尾氏はさらに、現在の職場における女性管理職の少なさやミソジニーの実態,テレビ局を中心としたメディアの問題,そしてこれからの企業に求められるダイバーシティ・インクルージョンはミソジニーを克服しなければ実現しないのに,それがなかなか浸透しないことも指摘。牛尾氏自身のキャリアをミソジニーの構造で再分析する過程で,女性活躍が進まない理由は女性の能力や経験ではなく,奥に潜む社会構造・価値観の存在があり,その一つとしてミソジニーの存在を抜きにして語れないことが改めて強調されました。
 これに対し上野氏が、「以前からの疑問なのだが、日本の会社は経済合理性よりも、これまでのホモソーシャルな組織文化を変えたくないという不合理を優先しているのではないか」という疑問を出し、牛尾氏もそれを肯定する形で、現在の企業の問題点が2人のやり取りで活発に語られました。さらに、上野氏の1~4回の特別講義を聞いての疑問として、「性差別とミソジニーとはどう区別されるのか」という質問に上野氏が「性差別は構造。ミソジニーは実践」と、端的に答える場面もありました。
 最後に、藤本ゼミと牛尾ゼミから学生が一人ずつ、パワポを使って上野氏に質問を投げかけ、そのあとも、学生たちからの質問を優先して受付け、学生たちからのさまざまな質問に、上野氏が次々と答えていきました。
 シンポジウムの感想アンケートでは、「学生たちとのやりとりがとてもよかった」という声が予想外に多く、連続講義の最終回として学生も交えて双方向で行なったこのシンポジウムが、外部の人に明治大学の学生を印象づける結果となったことが感じられました。1~4回の講義には常時200人程度、最終シンポジウムには300人を超える参加申し込みがあり、終了後はいずれも長文の回答や感想が多く、参加者が自分の経験と重ね合わせて講義を受け止めたことが感じられました。

【学生の感想】
 学生たちから寄せられた感想では、自分のこれまでの具体的な経験を織り交ぜて語る熱い感想が多く、<経験が構造に結びあわされていく授業で、「そういうことか!」という感情が止まりませんでした><ミソジニーを改善する上で大事なことは、自身が生活する中でそれらと遭遇した際に、しっかりと間違いを指摘することだ、とわかった><今まで無力感を感じてきたけれど、はじめて私にもできることがある!と感じた>等の感想が寄せられ、今回の連続講義と最終回のシンポジウムが、これまでにない深い学びとなったことが感じられました。