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教養デザイン ブック・レビュー

立花英裕・真田桂子編訳 ; 後藤美和子・佐々木菜緒(2021年教養デザイン研究科博士後期課程修了)訳『ケベック詩選集 北アメリカのフランス語詩』彩流社(2019年)

紹介者:井上 善幸(教養デザイン研究科教員)



 ここに紹介するのは、立花英裕・真田桂子編訳によるケベック詩選集である。底本として、ローラン・マイヨー、ピエール・ヌヴー共編『ケベック詩—始まりから今日まで』(モンレアル、2007年)が大枠として用いられている。あとがきによれば、三人の先住民詩人が追加されるなどして、計36人の詩人が訳出されている。こうしてみると、相当な数の詩人が紹介されていると言わねばならない。まずはこのこと自体、大いに評価されてよいと思う。
 今回、教養デザイン研究科博士課程を修了された佐々木菜緒氏も訳者のひとりとして参加している。氏はジャン=オベール・ランジュはじめ、計5人の詩人を訳出しているばかりでなく、ヌヴーによる「ケベックの詩」という批評的紹介文の下訳も担当されており、若手ケベック文学研究者として意義深いスタートをきられたものと思う。本詩集の理解にとり、この解説は貴重な地形図として役立つもので、佐々木氏の骨折りに対し、大いなる賛辞を送りたい。
 ただ読みやすい詩選集ではない。日本ではほとんど知られていない詩人たちの紹介も兼ねている本書であってみれば、ある程度のなじみにくさは必然である。いわば初めて聴く音楽のようなもので、フランス語で書かれているからといって、シャンソンのような音楽を期待してはならない。まさにフランスから遠く離れた異国の地で産み出された、新しい、独自の音楽を聴くときのような感覚、いわばフランス語による新世界交響曲を前にしている、といった印象と言えばよいか。あたらしい音楽なり言葉に接すれば、これは避けて通ることのできない大切な感覚である。それを今回は四人の翻訳者=演奏家の解釈を通して聴くことになる。楽譜はなく、タイトルと発表年、および各詩人の簡潔な紹介文が示され、曲全体をそれを手がかりに聴くこととなる。たとえばエミール・ネリガンの ‘Clair de lune intellectuel’ というタイトルから、ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』を連想し、それがどのように変奏されているのかを味わう、といった具合である。
 だがしかし、この詩選集を音楽とのアナロジーで考えるなら、その名も登場するショパンなどのロマン派音楽より、一九六〇年代の北アメリカに擡頭したフリー・ジャズのイメージに近いのかも知れない。本書に収められた詩は六〇年代が中心ではないものの、全体のセレクションは、その息吹きと抽象度において「静かな革命」の始まった六〇年代が息づいているようにみえる。だからこの詩選集の底本といってもよい原書のアンソロジーには、アブストラクト絵画を想わせるマルチーヌ・オデの『彷徨う身体』(2003) の表紙が採用されているのではあるまいか。その点、本訳書のカヴァーには林立する裸の樹木を仰ぎ見た、いかにもカナダの冬を思わせるような白黒写真が採用されているが、詩が描き出す世界は、そのような具象性からはもう少し隔たった、内省的な言葉の森が拡がっているように思う。原書のカヴァーは、自然をモチーフとしながらも、それらはフリー・ジャズのように、時に無骨で、慣れ親しんだリズムや語彙とは異質のイメージを表現している。本選集は、抽象化され、記号化され(この点、ジル・エノーの、鉄道の腕木信号機や、船舶に信号を送る信号所といった意味を持つ「セマフォール」という詩の存在は象徴的である)、フランス語ばかりでなく、時には英語などをも取り込んだ、モダンで、言語の無意識をも恐れない、雪原の樹木に刻まれた印のようなものとして読者の前に存在している。
 ナタシャ・カナペ・フォンテーヌの「宣言する わが大地よ」(Manifestes Assi) などに至っては、manifestesは複数の品詞の間で宙吊りにされているような感覚を与える。またAssiがケベック北方などに住むアルゴンキン族の言葉で大地を意味することを知ることも大切で、大地といってもterreといったラテン語起源の言葉が用いられているわけではなく、固有の土地の名が刻印されているのである。
 一方で、ハイチ出身のジョエル・デ・ロズィエの「カイ 洲の町」(CAYES) という詩はVétiver (1999) という詩集に収められており、vétiverはベチベル草というイネ科の植物をさすが、思わずプルーストのことが想起される。『失われた時を求めて』の冒頭近く、語り手は二度にわたってこの植物の匂いに言及している。興味深い一致と思った次第である。

訳者プロフィール

氏名:佐々木 菜緒
所属(研究科コース):2020年教養デザイン研究科博士後期課程修了
職格:兼任講師
学位:博士(学術)

※内容やプロフィール等は公開当時のものです
明治大学大学院