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教養デザイン ブック・レビュー

廣部 泉著『黄禍論 百年の系譜』講談社選書メチエ(2020年)

紹介者:菊地 修平(2019年教養デザイン研究科博士前期課程修了・修士(学術)・会社員(システムエンジニア)



 近代日本における外交の基盤的方針は専ら列国と肩を並べるための欧米協調の路線であった。その一方で、西洋諸国側の政府をはじめ、知識人やマスコミの一部は、列国の一員になろうとする日本が黄人種同士で結束して白人種に挑戦してくるかもしれないという警戒の眼差しを向けていた。本書は、日本が基調路線として欧米追随をしていく中で、それでは西洋側の反応はどうだったのかについて焦点を当てた内容になっている。とりわけ黄禍論とアジア主義の連関性に注目し、史料や各種メディアの記事などを丹寧に吟味・分析した労作である。
 黄色人種の人口が白色人種のそれを大きく上回ることから、本書では、有色人種が西洋文明を脅かすかもしれないという「恐怖」が黄禍論を加熱させていたことが指摘されている。それからゴールドラッシュを契機に出稼ぎの日本人や中国人に対して、アメリカ西部の人々は仕事が奪われるという「恐怖」でもって強い反応を示したり、日露戦争を契機に海外メディアが黄色人種同士の同盟の可能性を示唆する報道をしたりするなどの恐黄熱が現象として見られるようになったのである。
 著者は特にアメリカの排日移民法の研究に見識があり、アメリカの政治決定に黄禍論が絡んだことが、日本国内の民間人を中心したアジア主義的な言説を盛り上がらせる要因になったことを強調している。その時にも政府側は国内外に火消しに奔走したように欧米協調の姿勢を崩さなかったが、黄禍論とアジア主義の悪循環が露わになったのである。さらに、著者の議論の中で、太平洋戦争の強い煽りを受けていたのは日系移民であったことも着目し、特に真珠湾攻撃後の敵性外国人の隔離はドイツ人やイタリア人と比較して、日系人に厳しいものであったことも明らかにしている。当時は日本の外交方針としても「大東亜共栄圏」に見られるような汎アジア主義的な色彩も見られたため、ここにも黄禍論とアジア主義が切っても切り離せない関係性が見られそうである。
 黄禍論の系譜に関して、近代日本の時代に照準を合わせた研究が多い中、本書はそれにとどまらず、戦後における黄禍論的な言論の分析にも意欲的に取り組んだものになっている。
戦後は国際的に人種的な差別と思われる言動や政策決定は表明しづらいムードがあるものの、日本の高度経済成長や日米の貿易摩擦が黄禍論を助長していたことは興味深いものがある。さらにアジア通貨危機を受けて提唱したアジア通貨基金構想や鳩山首相の東アジア共同体構想など、日本主導のアジア外交に対してアメリカが過剰に反発するのも「人種主義的思考」が根付いているからではないかいう観点も筆者ならではの見方である。
本書を通じて言えることは、外交のベストプラクティスを模索していく中で、他国から映る「恐怖」や「脅威」の認識も必要不可欠であることではないだろうか。その意味で、外交は人種問題も重要なファクターであることを思い知らされる。

著者プロフィール

氏名:廣部 泉
所属(研究科コース):教養デザイン研究科「平和・環境」領域研究コース
職格:教授
研究分野
:国際関係史
研究テーマ:アメリカと東アジアの関係
学位:Ph.D.
主な著書・論文
Japanese Pride, American Prejudice (Stanford University Press 2001)
『二十世紀日本と東アジアの形成-1867-2006年』(共著・ミネルヴァ書房・2007年)
『浸透するアメリカ,拒まれるアメリカ-世界史の中のアメリカニゼーショ』(共著・東京大学出版会・2003年)
『二〇世紀日米関係と東アジア』(共著・風媒社・2002年)

※内容やプロフィール等は公開当時のものです
明治大学大学院