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教養デザイン ブック・レビュー

加藤 徹(教養デザイン研究科教員)著『漢文で知る中国—名言が教える人生の知恵』NHK出版(2021年)

紹介者:岩井 晴子(教養デザイン研究科博士後期課程在学(3年))



 名言とは「よく、ことの道理を言いあてたすぐれたことば。名高いことば。」(『日本国語大辞典』)である。本書に収載されている名言は、「すぐれたことば」であるが、人口に膾炙する「名高いことば」ばかりではない。しかし、どれも心に響く珠玉の名言である。
 本書は、『三国演義』『西遊記』などの古典小説や魯迅の小説、漢詩や禅語、俗諺、そして、毛沢東の演説などの中から、中国文化の専門家である著者が選りすぐった名言を、平明な文体でわかりやすく読み解いたエッセイ集である。収録された56篇は、それぞれ独立した読み切りで、内容によって、第一部「世に残る名言」23篇と、第二部「人生をつむぐ暦」33篇の二部に分かれている。
 まず、冒頭に漢文の訓読文と訳文、短い解説が示される。そのあと、名言につながる豆知識を端緒として、背景となる歴史や関連する漢詩文などの解説が繰り広げられる。時に『古事記』や中村草田男の引用があったり、映画やマンガ、アニメになぞらえたり、著者の博覧強記には目を見張るばかりだ。また、随所に中国の伝統文化や風習などのほか、中国人の生活についても語られているので、中国と中国人を理解する手がかりともなるだろう。
 例えば、◆「回家見仏」〈訳:家に帰って仏に会う〉では、最初に日本の正月と中国の正月「春節」の違いが語られ、つぎに、中国人にとって「春節」が最も大切な祝日であることや、「春運」と呼ばれる猛烈な帰省ラッシュについての説明が続く。そして、「回家見仏」は中国人の家族観を表す言葉だとして、その由来が解説される。これは、仏教の真理を求めて旅していた人が、仏陀はどこか遠い特別な世界にいるわけではなく、実は身近にいるのに気づいていないだけなのだと悟る話である。出典の説明や類語の紹介のあと、「回家見仏」と発想の似たメーテルリンクの『青い鳥』を引きながら、「人生は面白い。」と静かに結ぶ。
 また、本書には著者の研究対象である京劇のセリフが、名言として取り上げられていることも特徴だ。例えば、◆「我這裏出帳外且散愁情!」〈訳:幕舎の外に出て、しばし愁いの心をまぎらわせましょう〉は、「四面楚歌」の故事で有名な京劇『覇王別姫』の名場面での虞姫(虞美人)の歌詞の一部である。ここで紹介される京劇の名優・梅蘭芳による虞姫の演技は、か弱いだけの人形のような虞姫のイメージを一新する画期的なものだったという。このくだりを読めば、京劇ファンならずとも梅蘭芳の『覇王別姫』を見てみたくなるだろう。すると「京劇はやはり、劇場で見るのが一番だ。一度でもよいので、生の舞台を御覧になることをお勧めする。」とあって、思わず著者の術中に陥りたくなってしまう。
 蛇足ながら、本書の56篇のエッセイは何処から読んでも楽しめる。そして、使ってみたくなる。この春、学窓を去る友に「ただ去れ、また問うことなからん。白雲、尽くる時なし」(唐の詩人・王維の送別の名句)と言ってみたい。

著者プロフィール

氏名:加藤 徹
所属(研究科コース):教養デザイン研究科「文化」領域研究コース
職格:教授
研究分野:中国伝統演劇(京劇)、中国文化
研究テーマ:中国の文化を、日本社会との比較という視点もふまえつつ研究
学位:文学修士
主な著書・論文:
『東洋脳×西洋脳』(共著)(中公新書ラクレ・2011)
『本当は危ない『論語』』(NHK出版新書・2011)
『中国古典からの発想』(中央公論新社・2010)
『梅蘭芳 世界を虜にした男』(ビジネス社・2009)
『怪力乱神』(中央公論新社・2007)
『貝と羊の中国人』(新潮新書・2006)
『漢文力』(中央公論新社・2004)
『京劇』(中公叢書・2002)

※内容やプロフィール等は公開当時のものです
明治大学大学院