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教養デザイン ブック・レビュー

岩野 卓司、丸川 哲史 編『野生の教養 飼いならされず、学び続ける』法政大学出版局(2022年)※執筆者は、教養デザイン研究科教員・関係者

紹介者:佐藤 公紀(教養デザイン研究科教員・法学部専任講師)



 「ファスト教養」という言葉があるらしい。要約された情報を手っ取り早く得て、どこかで披露した後、すぐ忘れ去る——そんな現代の知のあり様のひとつを表す言葉のようだ。いっとき流行した、2時間の映画を10分ほどに短縮し、最後にネタバレする「ファスト映画」と同種のものだろう。ネット上の至るところに転がっている「実学志向の・ビジネスに役立つ教養」は、忙しない日常のサイクルの中であっという間に消費されてすぐに捨てられる。「教養」という言葉は、現代では、このような知のあり方にあてがわれているのだ。
本書は、このような時代の風潮に根本的に抗う書物である。そこで示されるのは、「ファスト教養」とは正反対のもの、つまり要約できず飼いならすことのできない知であるところの、「野生の教養」だ。
 この「野生の教養」とは何だろうか。それは、一見対立するかに見える「野生」と「教養」を、従来の文脈から引き剥がし新たな解釈を施した上で結合させる試みだ。そこで意図されているのは、一方では、「文明」「文化」との関係で常に従属的な立場に置かれてきた「野生」を復権し、硬直した「教養」に創造的な息吹を吹き込む契機として再定立することである。他方で、「教養」を、野性味が削ぎ落とされた高踏趣味、「野生」を見下す知性至上主義といった狭隘な意味から解き放ち、その根底に、野生に共通する荒々しい運動、知の横溢を見出すことである。私見では、「野生の教養」という言葉は、「野生」と「教養」の間の本質的な共通性、既存の解釈枠組みを越えでて互いを高め合うような協働関係を指し示す言葉なのだと思う。
 さて、先に「野生の教養」は要約することができない、と述べた。だから、ここでは本書全体を要約して紹介するのではなく(そんなことは不可能だ!)、その中からいくつかつまみ食い的に論文を紹介することでお許し頂きたい。「野生の教養」のマニフェストともいえる岩野論文(10〜26頁)は、「アフリカ的段階」、ブリコラージュ、カニバリズムといった視点を吟味し、そこから「野生の教養」という来たるべき新しい知の創造を展望する。丸川論文(134〜153頁)は、作家林芙美子の戦後の戦争への「反省」の形式を分析することで、現代日本における「戦争責任」の現在性を剔出する。田中論文(175〜191頁)は、19世紀後半〜20世紀初頭のロシアのアナーキスト、ピョートル・クロポトキンの相互扶助論の中に現代的可能性を見出す。石山論文(242〜261頁)は、あるブランド製品の名称とその広告動画を巡る騒動の考察を通じて、現代アメリカ社会における先住民差別と抑圧の構造を炙り出す。本書には、こうした圧倒的な知識に裏打ちされた荒々しい「野生の教養」が各論考に見出される。それらはいずれも固定観念を揺さぶるスリリングな洞察に溢れ、新鮮な驚きをもたらすものばかりだ。読者にはぜひ一度本書を手にとってもらい、関心のある箇所に没入して知の奔流に身を委ねていただきたい。
 このような「反時代的」な書物を可能にした明治大学教養デザイン研究科の多士済々の仕事にただ頭を垂れるとともに、新たな「教養」のデザインを企図する本書の挑戦が広く読まれることを願うばかりである。

目次紹介

はじめに──野生の教養とは 【岩野卓司】

第1部 “野生”の思考

野生の教養のために──未来のカニバリズムのためのブリコラージュ 【岩野卓司】
貧乏花見のブリコラージュ 【畑中基紀】
音楽における野生の教養──ブリコラージュ楽器を中心に 【加藤徹】
野生と現代アート 【瀧口美香】
身体とテクノロジー 【鈴木哲也】
比喩の彼方 【虎岩直子】
ベケットにおける動物性のエクリチュール 【井上善幸】
野性と文明の狭間で 【斎藤英治】
ブリコラージュとしての風景──永井荷風と「煙突」 【嶋田直哉】
疑似的な野生──古代日本人の心性一斑 【伊藤剣】

第2部 “野生”の政治

戦後にループする「裂け目」──林芙美子の「野性」と「生態」 【丸川哲史】
クンとメ・ティ 【本間次彦】
猿は何者か──『猿の惑星』にみる人種表象 【廣部泉】
南洋の記憶──土方久功の『流木』 【広沢絵里子】
相互扶助による「支配のない状態」の実現は可能か──ピョートル・クロポトキンの相互扶助論に焦点を当てて 【田中ひかる】
ムスリム・アナーキストの思想 【佐原徹哉】
イラン映画にみる《野》のリリック──キアロスタミ作品から 【山岸智子】
EDの力 野生の苦悩 【池田功】

第3部 “野生”の人類史

野に生きるための教養──モンゴルの遊牧知について 【森永由紀】
自然保護区域は語る 【薩摩秀登】
「野生」の大地に生きる「野生」の人びと──ディオールの香水、ソヴァージュの広告からみえてくるもの 【石山徳子】
技術から見た東南アジアの展開 【鳥居高】
春の洞窟へのウォークアバウト──『家畜追いの妻』とアボリジナル・オーストラリアの知流 【中村和恵】
教養と身体教育 【釜崎太】
狛犬は旅をする、私も旅をする──「旅する教養」の多様なありよう 【川野明正】
合巻詞書の難解さ 【神田正行】
人新世における地球と人類の共生──野生を考える意義はあるか 【浅賀宏昭】

特別寄稿
在野の詩人・山内義雄を求めて 【高遠弘美】

おわりに──「教養」の反省と復権 【丸川哲史】 

著者プロフィール

岩野 卓司 (イワノ タクジ) (編)
明治大学法学部教授。著書:『贈与論──資本主義を突き抜けるための哲学』(青土社)、『贈与の哲学』(明治大学出版会)、『ジョルジュ・バタイユ』(水声社)、共訳書:バタイユ『バタイユ書簡集 1917–1962年』(水声社)。

丸川 哲史 (マルカワ テツシ) (編)
明治大学政治経済学部教授。著書:『魯迅出門』(インスクリプト)、『思想課題としての現代中国』(平凡社)、『竹内好』(河出書房新社)、『台湾ナショナリズム』(講談社)。

畑中基紀(はたなか・もとき)
明治大学経営学部教授。論文:「金子みすゞ『こだまでせうか』の文体」(『文体論研究』64号)、「テレビCMの構造的一人称」(『明治大学教養論集』538号)。

加藤徹(かとう・とおる)
明治大学法学部教授。著書:『漢文で知る中国』(NHK出版)、『京劇』(中公叢書)、『貝と羊の中国人』(新潮新書)、『漢文力』(中公文庫)、『漢文の素養』(光文社新書)、『西太后』(中公新書)。

瀧口美香(たきぐち・みか)
明治大学商学部准教授。著書:『ビザンティン四福音書写本挿絵の研究』(創元社)、『初期キリスト教・ビザンティン図像学研究』(創元社)、『キリスト教美術史──東方正教会とカトリックの二大潮流』(中公新書)。

鈴木哲也(すずき・てつや)
明治大学法学部教授。共著:『ケルト 口承文化の水脈』(中央大学出版部)、『他者のトポロジー──人文諸学と他者論の現在』(書肆心水)、翻訳:「マイケル・ロングリー詩選」(『現代詩手帖』2018年8月号)。

虎岩直子(とらいわ・なおこ)
明治大学政治経済学部教授。共著:『アイルランド・ケルト文化を学ぶ人のために』(世界思想社)、共訳書:『エンジェル・アト・マイ・テーブル(上・下)』(筑摩書房)。

井上善幸(いのうえ・よしゆき)
明治大学理工学部教授。共編著:『サミュエル・ベケットと批評の遠近法』(未知谷)、共著:Beckett and Animals (Cambridge UP)、共訳書:『ベケット伝(上・下)』(白水社)、論文:「ボルヘスの記憶術」(『明治大学教養論集』562号)。

斎藤英治(さいとう・えいじ)
明治大学法学部教授。著書:『さようなら、映画館』(フィルムアート社)、訳書:スーザン・アレン・トウス『ブルーミング』(新潮社)、マーガレット・アトウッド『侍女の物語』(早川書房)。

嶋田直哉(しまだ・なおや)
明治大学政治経済学部教授。著書:『荷風と玉の井──「ぬけられます」の修辞学』(論創社)、論文:「記憶の遠近法──井上ひさし『父と暮せば』を観ること」(『日本近代文学』第94集)。

伊藤剣(いとう・けん)
明治大学法学部准教授。著書:『日本上代の神話伝承』(新典社)、論文:「律令官人出雲臣広島の風土記編纂意識──『出雲国風土記』秋鹿郡恵曇浜条を中心に」(『国語と国文学』99-4)。

本間次彦(ほんま・つぎひこ)
明治大学政治経済学部教授。共著:『コスモロギア』、『人ならぬもの』(以上、法政大学出版局)、共訳書:『哲学から文献学へ』(知泉書館)。

廣部泉(ひろべ・いずみ)
明治大学政治経済学部教授。著書:『黄禍論──百年の系譜』(講談社)、『人種戦争という寓話──黄禍論とアジア主義』(名古屋大学出版会)、『グルー』(ミネルヴァ書房)。

広沢絵里子(ひろさわ・えりこ)
明治大学商学部教授。共著:Auto-/Biographie: Erzähltes Selbst, erinnerte Bilder(『日本独文学会研究叢書』69号)、『ドイツ文化を担った女性たち──その活躍の軌跡』(鳥影社)。

田中ひかる(たなか・ひかる)
明治大学法学部教授。著書:『ドイツ・アナーキズムの成立──『フライハイト』派とその思想』(御茶の水書房)、編著:『社会運動のグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房)、『アナキズムを読む』(皓星社)。

佐原徹哉(さはら・てつや)
明治大学政治経済学部教授。著書:『ボスニア内戦』(有志舎)、『中東民族問題の起源』(白水社)、What Happened in Adana 1909 ? (ISIS Press)。

山岸智子(やまぎし・ともこ)
明治大学政治経済学部教授。共著:『現代イランの社会と政治──つながる人びとと国家の挑戦』(明石書店)、共訳書:ズィーバー・ミール=ホセイニー『イスラームとジェンダー』(明石書店)。

池田功(いけだ・いさお)
明治大学政治経済学部教授。著書:『新版 こころの病の文化史』(おうふう)、『石川啄木 その散文と思想』(世界思想社)、『啄木日記を読む』(新日本出版社)、『石川啄木入門』(桜出版)。

森永由紀(もりなが・ゆき)
明治大学商学部教授。共著:Who is Making Airag(Fermented Mare’s Milk)? A Na-tionwide Survey of Traditional Food in Mongolia (Nomadic Peoples Vol. 19)、共編著:『多元的環境問題論』(ぎょうせい)。

薩摩秀登(さつま・ひでと)
明治大学経営学部教授。著書:『物語チェコの歴史──森と高原と古城の国』(中公新書)、『図説チェコとスロヴァキアの歴史』(河出書房新社)、編著:『チェコとスロヴァキアを知るための56章』(明石書店)。

石山徳子(いしやま・のりこ)
明治大学政治経済学部教授。著書:『「犠牲区域」のアメリカ──核開発と先住民族』(岩波書店)、『米国先住民族と核廃棄物──環境正義をめぐる闘争』(明石書店)、共著:The Promise of Multispecies Justice(Duke University Press)。

鳥居高(とりい・たかし)
明治大学商学部教授。共著:『岩波講座 東南アジア史 9巻』(岩波書店)、『東アジアの社会大変動──人口センサスが語る世界』(名古屋大学出版会)。

中村和恵(なかむら・かずえ)
明治大学法学部教授。著書:『日本語に生まれて』(岩波書店)、『地上の飯』(平凡社)、共著:『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)、訳書:アール・ラヴレイス『ドラゴンは踊れない』(みすず書房)。

釜崎太(かまさき・ふとし)
明治大学法学部教授。共編著:『身心文化学習論』(創文企画)、共著:『教育における身体知教育序説』(創文企画)、『よくわかるスポーツ倫理学』(ミネルヴァ書房)。

川野明正(かわの・あきまさ)
明治大学法学部教授。著書:『神像呪符「甲馬子」集成──中国雲南省漢族・白族民間信仰誌』(東方出版)、『中国の〈憑きもの〉──華南地方の蠱毒と呪術的伝承』(風響社)、『雲南の歴史』(白帝社)。

神田正行(かんだ・まさゆき)
明治大学法学部准教授。著書:『馬琴と書物──伝奇世界の底流』(八木書店)、共編著:『馬琴書翰集成』全7冊(八木書店)。

浅賀宏昭(あさが・ひろあき)
明治大学商学部教授。著書:『生化学きほんノート』(南山堂)、共著書:『ZEROからの生命科学』(南山堂)、『知っておきたい最新科学の基本用語』(技術評論社)。

高遠弘美(たかとお・ひろみ)
明治大学名誉教授。著書:『プルースト研究』、『乳いろの花の庭から』、『物語パリの歴史』、『七世竹本住大夫』、訳書:プルースト『失われた時を求めて』他多数、編著:『欧米の隅々──市河晴子紀行文集』(素粒社)。

※上記内容は刊行当時のものです。
明治大学大学院