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教養デザイン ブック・レビュー

佐久間 寛(教養デザイン研究科教員)編『負債と信用の人類学 人間経済の現在』以文社(2023年)

紹介者:岩野 卓司(教養デザイン研究科教員・法学部教授)



みなさんは借金に悩んだ経験はあるだろうか。なかには、サラ金やカードローンからお金を借りた人もいれば、奨学金貸与の返済に苦しんでいる人もいるかもしれない。しかし今日クレジットカードでショッピングをすれば、それだけで借金をしていることになる。それぐらい私たちの知らないところで借金は経済の前提になっているのだ。
 借金の別名は負債である。本書は、借金についての名著『負債論』を、佐久間寛、箕曲在弘、小川さやか、佐川徹、松村圭一郎らの人類学者と思想史家の酒井隆史がそれぞれのフィールドで応答しながら論じたものである。(他にグレーバー自身やその友人ハートの論考、論者たちの座談会もある。)『負債論』の著者デヴィッド・グレーバーは、マダガスカルをフィールドにしている人類学者である。それとともに、アナキズムの活動家でもある。彼は格差是正を求めてウォール街を占拠した運動のリーダーの一人であったし、資本主義が構造的に生み出す不必要な仕事(ブルシット・ジョブ)を告発した者でもあった。
 『負債論』でグレーバーは、貨幣の出現から現代の資本主義に至る負債の歴史をたどるのだが、彼が批判するもののひとつが、「借りたものは返さなければならない」というモラルである。これは先史時代の贈与交換から現代の金融にまで一貫して経済において支配的なモラルであり、彼はこのモラルからの解放の必要性を訴える。もうひとつは、商業経済の支配である。商業における交換は等価性に基づくものであり、貨幣による数値化とともに発展してきた。等価交換に先立つ贈与交換においても互酬性というかたちで商業交換が行われていた。しかも、そこには贈与者が優位に立つヒエラルキーも生じている。こういった経済に対して、グレーバーは借りのモラル、等価性、互酬性から解放された人間経済の可能性を模索している。この経済のベースになっているのは、基盤的コミュニズムである。これは、「各人はその能力に応じて貢献し、各人にはその必要に応じて与えられる」というマルクスの言葉に集約される原理である。グレーバーによれば、水道工事のとき、そこのスパナを取ってくれと言われたき、ふつうは見返りに何かよこせと言わないでスパナを相手にわたす。プロジェクトの遂行が互酬性や交換にも先立つのだ。しかも、このコミュニズムはあらゆる人間関係の根底にある、と彼は考える。
 『負債論』のこういった刺激的な内容にもかかわらず、本書はグレーバーの主張をそのまま肯定するものではない。各論者たちが彼の思想を自分たちのフィールドに照らし合わせながら検証しむしろ批判的にとらえている。しかしそれは、グレーバーの考えを否定することではなく、むしろそれを引き受けながらさらに発展させようと試みている、と言えるであろう。
 その一例として、佐久間寛の「完済に至らぬ経済」の指摘がある。アフリカのティブ族の習慣では、贈与へのお返しにおいてわざと少なく返すか多く返して相手との関係を維持しようとする。等価の交換をするとそこで相手との関係が切れてしまうからである。この「完済に至らない」関係について、グレーバーは多く贈与した者が優位に立つヒエラルキーを見て取る。しかし、佐久間はグレーバーの参照した文献を子細に検討し、この贈与交換はお互いの挨拶のための口実に過ぎず、そこに時間、場所、情報、感情などのシェアが行われている事実を読み取る。これは単なる互酬的な関係でも、ヒエラルキーの関係でもない。そこにあるのは、基盤的コミュニズムの人間関係なのである。
 このように本書はグレーバーを批判しつつもその思想の可能性を汲み取り、未来へと投げかけているものだと言えるだろう。グレーバーを越えることこそ、グレーバーの本質を理解することなのである。
 

著者プロフィール

氏名:佐久間 寛
所属(研究科コース):教養デザイン研究科「文化」領域研究コース
職格:准教授
研究分野:文化人類学、アフリカ地域研究
研究テーマ:負債をめぐる民族誌学的研究、フランス語圏アフリカの文化研究
学位:博士(学術)
主要著作:Présence Africaine: Index alphabétque par auteurs 1947-2016 (Présence Africaine, 2021),『ガーロコイレ——ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと叛乱の民族誌』(平凡社,2013年),主な訳書に,カール・ポランニー『経済と自由——文明の転換』(共訳,筑摩書房,2015年),クロード・レヴィ=ストロース『構造人類学ゼロ』(共訳,中央公論新社,近刊)

※内容やプロフィール等は公開当時のものです
明治大学大学院