私は、日本人のアジア認識、つまり、日本人が「アジア」をどのように捉え、歴史的にそれとどう関わってきたかについて研究しています。「アジア」と日本の関係性を考えることとは、「他者認識」であると同時に、否応なく「自己認識」の問題でもあります。そこからして、日本人における観念的でもあり実体的でもある「アジア」認識自体を対象化するのは、過去から現在、またこれから先も重要だと言えます。
具体的な研究の対象は、戦後日本のある時期まで大きな影響力を持っていた、竹内好という中国文学研究者の、「日本のアジア主義」(原題:「アジア主義の展望」、1963年)という論文が現在までどのように読まれてきたか、また、その中で提出された問題自身の再検討です。その論文は、むしろ時代の反動化を招いている左派側の脆弱さを克服するために提出されたものであり、その意味では、「戦後」の鍛えなおしとして、日本人の主体性を問うたものでもあります。この論文で、戦前日本の「大陸侵略」の片棒を担いだ「アジア主義者」の問題の再考をせまった竹内は、往々にして、“ナショナリスト”として批判されますが、それは、当時の言論空間での竹内による、状況的でアクチュアルな「実践課題」/「方法」としての問題提起の意味を捨象しているようにも思えます。